第十二話 御使い
「何とかって」
まさか殴り合って追い払えとでも言うのであろうか。一人で三人を相手にするなど、武道の達人でもなければ相当厳しいのではないかと思う。ゲーム内であっても、対峙する時はなるべく一対一だ。
電柱の上の鴉がばさりと翼を広げて飛び降りたと思ったら、すいっと少年の右肩に降り立ち、ぴょんと軽く跳んで方向転換をして
『そんなにたくさんの力をため込んでいるのに、使わないなんて宝の持ち腐れよ』
「そんな事を言われても、僕にはその力が何なのかわからないから、たくさんあると言われてもどうしようもないよ」
『むぅ……』
ヤタがぶわっと羽毛を膨らませたものだから、モフモフの羽根で彼の右の頬が埋まる。
『人間って、昔の方がその力を使いこなしてた気がする』
「昔っていつの時代?」
『牛が引いてる乗り物に偉い人が乗ってたりしてた』
「牛車……平安時代とかか……。まさかヤタってその時代も生きてたとかそういう事はないよね……?」
『私には時間の流れは関係ないもの。あまり人里に降りてこれる程暇でもなかったしね。姫様の傍にお仕えできるのは、えっへん、私みたいな優秀な御使いだけだったし!』
大きく胸を張る鴉の羽根が更に少年の頬をモフっと圧迫する。
「ところでいつまで肩に乗ってるの」
『そろそろ暗くなって来たから見えないんだもん』
「えっ、それで家に帰れるの?」
『ねぐらにしてる木はあるけど特定の巣はないから。今日はタクマのところに泊めて欲しいな』
「ペット禁止だから動物は……。あっ、父さんが今日帰って来てるんだ、だから女の子になるのもダメだよ!」
また自分の唇を啄もうとした鴉を押しとどめる。チッと舌打ちが聞こえた気がする。
持っていた通学バッグのファスナーを開けると、今日は授業が少なかった分、それなりの隙間があった。中の教科書を数冊取り出すと、鴉一羽が入れるスペースがありそう。
「僕の部屋に入るまで、この中に隠れてくれるなら泊めてあげる」
コテンと首を傾げ、バッグの隙間と
* * *
帰宅する時に家に電気がついているのは一週間ぶりだ。家に誰かいるという安心感は実は貴重なのだと今ならわかる。玄関に入ると父の靴が揃えて置いてあり、ほっとした。
息をすっと吸って、勇気を振り絞る。
「ただいま」
奥の部屋でガサゴソとしていた音が止み、ぺたぺたと裸足で歩く足音のあと、ヒョイっと
「……おかえりタク」
「父さんもお疲れ様」
お互い、気恥ずかしそうに微笑みあってしまった。
リビングに入るといくつもの段ボールが開封されていて、父は帰るなり母の遺品の整理をはじめていたようだ。
「時差ぼけもあるだろうに何も帰国してすぐやらなくてもいいんじゃないの」
「勢いとやる気があるうちに、少しでも進めておこうかなと思ったんだけど、思いのほか適当に詰め過ぎていたね」
納骨が終わった直後、母の気配のする思い出の品はすべて彼の手によって段ボールに詰め込まれた。家の中から一切の痕跡が無くなって、まるで彼女はこの世に最初からいなかったかのように。最大の母の存在の証である自分も、何処かに片付けられるのではないかと漠然と恐怖したことを思い出す。あの時の父は鬼気迫った様子もあってとにかく恐ろしかった。
「アルバムなんかの大事な物だけ残して、後は処分してしまおうと思っている。いつまでも全部は置いておけないしね。タクも……これだけは残しておきたいという物を選んでおいてくれないか」
「うんわかった。ところで夕食は?」
「久々にピザでも取るか」
「父さん、日本食が恋しいんじゃないの?」
「アメリカでも今は普通に食べられるからね」
肩をすくめて笑う父は、色々と吹っ切れたような顔をしていて、何が彼をこのように変えたのか不思議には思ったが、そのままネットでピザを注文しはじめたので、
ファスナーを開けると、プハッとヤタが大きく嘴を開く。
「ごめん苦しかった?」
「カァ」
「ご飯は後で持って来てあげるから、ここで大人しくしててね」
『うん』
黒い鳥をバッグから抱え上げてベッドの上に座らせると、手早く制服を脱いで部屋着のジャージに着替える。振り返ると鴉は枕の下に頭を突っ込んでいた。
「何してるの」
『乙女の前で着替えとか!』
「あっごめん」
思いのほかデリケートな鴉と、無頓着だった自分に思わず笑いが出てしまう。直後インターフォンが鳴り、ピザが届いたようだったので少年は部屋を出て、注文していた一式を受け取る。代金はカードで支払い済み。
Lサイズのピザ一枚にサイドメニューはコールスロー、コーラが二本。リビングのテーブルで箱を開けば、四種ミックス。ベーコンアスパラに照り焼きチキン、季節のキノコに定番のサラミ。
どれも
小学校を卒業するころには少年が炊事を一通り一人でもできるようになって、外食やデリバリーの利用はめっきり無くなっていた。誕生日だとか記念日、特別な日にたまにという感じだったから、宅配ピザも数年ぶりといった感じで。
「やっぱり日本のピザは具が面白いな」
早速キノコミックスに手を伸ばした父が、はふはふと空気を吐きながら口にしはじめたので、少年もそれに倣ってベーコンアスパラに手を伸ばす。口に含む前に、聞いておきたい事があった。
「向こうの仕事、どうだった?」
「今までの定説が覆るかもしれない。これからかなり忙しくなりそうだ。今までみたいに毎日帰って来るというのは……ちょっと難しくなるかもしれない」
「そうなんだ……」
父のいない毎日に慣れる事はなく、寂しいものだった。目に見えてしゅんとした息子の姿に、
「何?」
「あ、いや。もう年頃だから、親は家にいない方がいいとかそういう反応をされるかな、と」
「……いなくなって欲しいなんて、一度も考えた事ない……」
考えた事はなかったが、それでも母は失われてしまった。更に父までいなくなったらと思うと、心細さの方が勝る。自分は己が思っている以上に臆病で弱い生き物なんだと、たった一週間で痛感してしまった。意地を張って父を疎遠にして暮らせた日々が、父はいなくならないという甘えから来ていたのではないかという気さえ。
空気が少し重苦しくなり、父が顎に手を添えて目をそらしている事に気まずさが募り、あえて笑って明るい声を出す。
「彼女が出来たら留守の日を待ち遠しいとか、言っちゃうかも!」
場を和ませるために
「まだ高校生なんだから。そういう事に興味はあるだろうが相手を妊娠させるような事は。繁殖の行為は生物として当然の欲求だが、人間には社会性も重要で」
「仮定の話だから! まだいないし出来る予定もないから」
遮りながら慌てふためく息子を見て、自分でも気が早い話をしていたことに気付いたのか、父の張りつめていた表情は一気に緩み、キノコミックスに手を伸ばす。
「父さん、そればっかり食べてるよ」
「おっとタクの分まで食べてしまったな」
向こうでの仕事の詳細は家族であっても話せないようで、とりとめもないアメリカの文化の話や大学の話をする。そしてコーラを飲んでいた父が何かを思い出したように口を開く。
「タクは、進路をどう考えているんだ。父さんと同じ大学に来て一緒に生物を研究するのか? それとも……まだ美術に興味があるなら今からでも予備校に通って美大という選択肢もあるし。他の大学でもアメリカへの留学でも、タクなら楽しんで通えると思う」
ピザを取ろうと伸ばした手を思わず止める。
選びきれないこの質問は、中学の時にも聞かれた事だ。答えが出せなくて雨が降りしきる外に飛び出し、助けてくれた人に迷惑をかけ、父を心配させたあの日の思い出は、今も苦い。
今日もあの時と同じ「どっちでもいい」と喉元まで出かけたが、咄嗟に呑み込む事ができ、ちゃんと自分は成長出来ている実感が沸いた。葛藤などなかったかのように、さり気無くピザを手にする。
「まだもう少し悩みたいけど、父さんと同じ大学に興味がある。美術は趣味かなって」
そう答えると、
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