第三章
第十一話 付喪神
一通り雑誌を読み終えた時、お茶はとっくの昔に冷めており、羊羹はすべて
しかしながら彼は、別段それで気分を害した様子もなく静かに本を閉じるまで待っていてくれたようだ。
「面白かったか?」
「とても興味深かったです」
「テレビで放送されたらしいから、興味を持つ人間が増えるかもしれないなあ」
すいっと軽やかに男は立ち上がると手を伸ばし、誘われるまま
「政府が放送を許すはずはないのだが、なんだか嫌な気配がしないでもないな。何か中枢で起こっているのかもしれない」
そう言いながら雑誌を元の古書の山に戻す。都度、元の場所に戻す事で場所を記憶しているようだった。
そろそろお暇をしなければと時計を見て気付いた少年は、冷え切ったお茶を一気に飲み切って、ソーサーにカップを置いた。
クシャン。
「あっ」
カップはまるで崩壊するように粉々に砕けた。指でつまんだ持ち手の部分だけが儚く
「ああ、終えたか」
「ごめんなさい! 弁償しますので……」
「ん? ああ、君のせいじゃないから気にしなくていい」
「でも」
「これにはいわゆる
フッと男は軽く笑うが、耳を疑う言葉を聞いた気がする。
「来客用のカップとして相当に大切にされたらしいが、特別なお客様をもてなす意思が強すぎて、
「は、はぁ」
「だが時代を経てアンティークとしての価値が出てしまって、来客用として使われる事がなくなってしまったが、使われる事を目指したまま留まってしまった
「呪いの道具……」
そんなカップでお茶を飲んでいたらしい。
「君をもてなして満足したみたいだね。ただの粒子に戻って周囲の他の
そう言いながら襟をつまんだ藍色の羽織りは、随分と年季が入っていそうだとは思ったが、洋装の上にわざわざ着ている理由がそれだと知る。しかし古い道具を使って役目を終えさせるという地味な仕事を、黙々とこの人はやっているのだろうか。
「……どうやればわずかな意思の力で
肩をすくめながらのその口調は、幾分自嘲めいていて
「ああそうだ、もしよかったらなんだけど、日曜はうちでバイトをしないか? 地味な仕事だけどバイト代は弾むよ。
部活。
美術部に所属しているが三年が五人、二年はおらず、一年生は
アンティークショップをうたっているだけあって、周囲に目を向ければガラクタに混じって掛け軸や額縁、彫刻などの美術品も多い。それらに触れる機会があるというのは、少年の興味を引くのに十分だった。
「僕でよければお手伝いします」
「ありがたい。よろしくな、たっくん。雇用契約書の準備があるから、それが出来次第連絡するよ。勤務形態についてもその時に相談しよう」
携帯のメールアドレスを交換し、これから付喪神がついているという道具たちと共に過ごす事が決まってしまった。
* * *
――あ、やだな……。
少年の帰宅の道中に一軒のコンビニがあるのだが、時折ガラの悪い集団がたむろする。運悪く、今日はそういう日だったらしい。向こうもこちらに気付いている状態で道をわざとらしく変えるのも変な刺激をしてしまいそうで、出来る限りの平常心を動員し、なるべく彼らと視線が合わないようにまっすぐに前だけを見据えて歩く。
低い身長、根暗そうな長い前髪、勉強しかやってきてなさそうな黒縁眼鏡は、この手の輩のおもちゃ認定をされる事が多い。いつもならもう少し人通りが多いから人込みに紛れるように避ける事もできるのだが、生憎今は路地から一人で出て来た状態だ。
何もない事を祈るしかない。
前を通り過ぎる時に視線を感じたが、これといって声をかけられなかった事に安堵した。しかしそれは早計だったようだ。
いくつかの角を曲がった時に気配を感じて振り返れば、先程コンビニ前にいた二十歳ぐらいの派手な三人の男達がニヤニヤと下卑た笑いを浮かべていて、思わず眉を寄せてしまう。
「それ私立の制服だよねえ、お小遣いをいっぱい貰っててお財布が重いんじゃないのかい? 良ければ軽くするお手伝いを親切な俺達がしてやろうかなあ、なんて」
「ふひっ、なんだよその理由付け」
「いいんじゃないのー? こんな親切を断わる方が悪いってね。ぼくたちお酒を仕入れたいんだよねー」
「お金なんてありません」
事実、今日は手土産に羊羹を買ったせいで、せいぜいジュース代がある程度だ。彼らは到底それでは納得しないだろう。
「こういう時って、言うんだっけ? ぴょんぴょん飛んでみなってさ」
「ぎゃはは、なんだよ昭和かよ」
勝手に喋って勝手にウケて笑い転げている彼らをどうするか、一歩後ずさったとき、男達の視線が変わる。笑顔は消え、目を細めて睨みつけて来ていて、幽霊なんかとは別種の怖さだ。
「本当にないんです」
「じゃあおうちに帰って、パパとママにお小遣い貰って来てくれるかなあ? お財布からするっと抜いて来てくれてもいいよ」
こんな奴らに家を知られたらたまったものではない。話してわかる相手ではないというのはありありとわかって、もうこれは逃げる以外ないと判断した
「あっくそ、逃げるのかよ」
複数の足音が聞こえる。以前、靄に追いかけられていたような恐怖は感じないが、それでも捕まるのは嫌である。彼らは進学校の制服を着た地味でチビな少年と侮っていたのだろうが、
すぐに諦めてくれるだろうと思っていたのだが、
夕暮れの住宅街。
キャワキャワと騒がしい鳥の群れが空に踊る。
――ムクドリ……。
鳩より小さく、スズメよりは大きい小鳥の群れが耳をふさぎたくなるような羽ばたきの音と、高音の鳴き声を立てて乱舞する。
ヤタが言った「友達」に彼らが含まれるのか不明だったが、ダメ元で呼びかける。
「後ろから追いかけて来る三人の男の邪魔をして助けて欲しい!」
必死の懇願は聞き遂げられた。
上空を大型魚から逃げるイワシの群れのように飛んでいた彼らが、このまま世界を埋めつくのではないかと思う程の存在感の騒音はそのままに一気に低空に降りて来て、
少年は立ち止まり、振り返ると先ほどの爆発的な喧騒が嘘のように静かな住宅の路地に戻っていた。
やがて百メートルほど先で再びムクドリの黒い影が舞い上がり、空を何度も舞ったのち、ねぐらがあるであろう森の方へと消えて行く。
――本当に、言葉が通じた……。
起こった出来事が未だ夢のようで、ぼんやりと空を見続けていると、背後から不機嫌な声が降って来た。
『あれくらい、自分一人でどうにかできなかったの?』
声の主は電柱の上にいて、カァ、と馬鹿にするように続けて鳴いた。
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