第十話 失われた創刊号


 教員の会合の都合から午前で学校が引けたこの日、校舎の近くにある和菓子屋を覗き込み、定番の羊羹と季節限定の栗入りをそれぞれ買う。ここ数日、帰宅途中に何度か覗いたが放課後には売り切れている事が多く、今日やっと購入に至った。

 先日のお礼をするのに少し日を空けてしまう事になったので、若干行きづらくなってしまったが。


 大里屋と書かれた紙袋を提げて、通学路を一本外れてアンティークショップを目指す。裏路地となるそこは人気ひとけが一気に無くなって、まるで世界が切り替わったように感じた。


 角を曲がったところで拓磨たくまの足が止まる。


――なんだろう、高級車っぽいけど……。


 黒塗りのいかつい車がアンティークショップの看板のある入り口前に停車していた。骨董品を扱っているなら、お金持ちのお客がいても何もおかしくはないが、ガラクタがうず高く積み上がる店頭の前では不釣り合いに見えた。


 首を傾げながらも店に近づくと、玄関前で引き戸に持たれるように白戸しろとの姿。その前には黒いスーツ姿の三人の男。


――お客さんが来ているなら、日を改めた方がいいのかな……。


 足を止めた少年の姿に目敏く無精髭の男は気づき、だらしなく引き戸に預けていた体を起こすと、スイっと右手を挙げた。三人のスーツの男達は、ハッと振り返り拓磨たくまの存在を認めると、白戸しろとに軽く会釈をして足早に車に乗り込み、バタバタと慌ただしく立ち去ってしまった。


「すみません、お客さんの邪魔をしてしまったみたいで」

「あれは客ってもんじゃないからな。追い払うのには良いタイミングだったよ、たっくん」


 肩をすくめ、口角を上げて見せる。そしてついっと視線が少年の手元の袋に注がれた事に気付くと、拓磨たくまは微笑んでそれを差し出す。


「なかなか買えなくて、お礼に来るのが遅くなってしまいました。先日はご迷惑をおかけして」

「放課後には残ってないだろうからな、苦労をかけたな」


 ぱっと受け取ると、男は玄関に入り手招きする。


「茶を淹れるところだ、少し話相手もしていってくれ」

「はい、僕でよければ」


 まだ日は高いが室内は物であふれかえり、白戸しろとの後を追うように一歩玄関に入るとうっすらと暗くなる。先日と同じ部屋で促されるまま座布団に腰を下ろすと、白戸しろとは羊羹の袋を持って廊下の奥に消えていく。


 拓磨たくまは周囲の物珍しいものに目線を向けていた。統一感はなく雑多とし、とにかく物は多いが壊れている様子もなければ埃も積もらず、これといった汚れも見当たらない様子に手入れが行き届いていると感じた。

 商品にしては値札も見当たらないが時価というものだろうかと漠然と考えていると、積み上がった古本が目に入る。

 親の世代が読んでいたあたりの時代だろうか。黄ばんだ背表紙に赤いインクだけが劣化して消えてしまい、読みにくくなった文字。角はボロボロで随分読み込まれているようだった。何の雑誌だろうと目をこらして見てみると、断片的な文字と写真でアダルトな大人向けの物であることに気付いて赤面し、慌てて目を逸らす。


 そこに白戸しろとが盆に茶と、カットした羊羹を乗せて戻ってきた。


「たっくんもお年頃だねえ、興味があるのかい。よければ見て行ってもいいけれど」


 先ほどまで拓磨たくまが見ていた古本の山の方をちらりと見ると、目を細めてにやりと笑う。


「いえっ、違います! 何の本だろうと思って見ていただけで……」


 本当に? と言わんばかりの意味ありげな目線に思わず目を逸らすが、拓磨たくまの前に以前と同じアンティークのティーカップが差し出されたので素直に受け取る。今日の中身は緑茶。

 白戸も座布団の位置を軽く調整すると、胡坐を組んで座った。ふわりと羽織っている着物が空気をはらむ。仕草がカッコイイなあとうっかり見惚れてしまったが、目が合ってしまい誤魔化すためにお茶を口に運んだ。

 一口飲み下し、ほっと息をついてから気になった事を聞いてみる。


「アンティークショップって、古本も扱っているんですか?」

「ああ、それなりに」

「古本……そうだ、科学雑誌なんかもあったりします? 探してる古い月刊誌があるんですけど図書館にもないみたいで」

「何ていう雑誌だい?」

「クラスメイトに勧められた月刊レムリアという雑誌の創刊号を読んでみたくて」


 羊羹に楊枝をつきさそうとしていた白戸しろとの手が止まり、ちろりと視線だけで拓磨たくまを見る。


「あれはもう普通では手に入らないレア本だから、一部のマニアの書庫にあればいい方だろうな。図書館になくても当然だろう」


 すとっと楊枝を羊羹に刺し通すとポイっと口に放り込み、もぐもぐと咀嚼しながら立ち上がって古本の山に向かう。本の束をいくつか避けて、その奥から1cmほどの厚みの雑誌を手に戻って来ると、少年に差し出した。


「ありがとうございます。読んでもいいものなんでしょうか。これも商品なのでは」

「構わないよ」


 座り込むと、羊羹に再び楊枝を刺す。

 目線で促されたので遠慮がちに表紙を見ると、「特集:神の粒子 世界を作り変える物質とその力」とある。この一冊ほとんどがこの特集で占められているようだった。


「その本は発禁なんだ。発売後数日で回収されている」


 科学雑誌に相応しい硬いデザイン、硬い文章なのに……? と訝し気に表紙に見入る拓磨たくまにむかって、羊羹をつつきながら白戸は続ける。


「人類が知るにはまだ早い、って奴だったんだな」


 そんな本を読んでいいのか一瞬迷ったが、意を決して開く。

 神粒しんりゅうは特別な物質ではない、という下りから始まるその文章は思いのほか読みやすく、するすると内容が頭に流れこんで来る。


 それはただの物質の最小単位の一種であり、エネルギー体。素粒子をイメージするのが一番近いかもしれない。大気中に平均的な濃度で分布しており、そのままでは害もなければ益もない。何かあるように見えなくても空気がそこにあるように、神粒も当たり前のようにあるとされる。ニュートリノのように最小であるがゆえに、あらゆる物体を通り抜け世界に満ちている。

 電気にも磁力にも、重力すら影響を受けないその粒子は、生物が発する微弱な意思に反応する点が特徴として挙げられていた。


「意思の力……?」

「何かをしたいとか、ああなりたい、こうなりたいという欲だな。何かをしようとしたとき、必ず意思は指向性を持つ。目的が存在しない意思はないからな。神粒しんりゅうはその目的に向かって動くんだ」


 なんともふわふわとした話である。意思という精神的なものに粒子を動かすような物理的な力があるとは思えなくて。


「意思の指向性は具体的であればあるほど、強くなる。言霊というのはわかるかな」

「はい、言葉にしたその通りになっていくというスピリチュアルなやつですよね」

「言葉にすると意思は鋭敏に、目的も明瞭になる。神粒しんりゅうはそれを叶える方向に動作するんだ。そうなる事で、目的は実現する可能性を高くする。意思が鋭くまっすぐで、強ければ強いほど多く粒子を集合させ、その目的を達成させようとする」


 再び記事に目を落とす。


 多くの人が”いる”と心から信じ、奇跡を起こすよう強く願い続ける事で神は形成され、望まれた奇跡を起こす。細胞が多く集まって一つの生命体を構築するように、神粒しんりゅうを一定量を同じ目的に向かわせるように集め、行動の指向性を持たせる事でそれ自体が意思を持ち行動を始める可能性もあるとされていた。

 名を与える事で、より多くの人々が神という形状を構成させるべく明確な意思を持てるため、神はどんどん強固な塊になる。塊になればなるほど意思に反応しやすくなるから、奇跡という形で結果が出やすい。それが更に新たな信者を増やしていき、強大な宗教が生まれる。

 反面、忘れ去られた神は、元の神粒しんりゅうに戻って行く、という記述。


神粒しんりゅうには善悪はない。悪い想像をして、上手く行かないという方向で意思をもたせてしまえば何事うまく行かなくなる。そういう事ってあるだろう?」

「あり……ますね」

「幽霊も心から”いる”と信じてしまえば、神粒しんりゅうは期待通りにその姿を創出してしまう、かつての君が見た靄のようにね」


 軽く片目を閉じて見せられて、雨の日の醜態を思い出し赤面する。


「誰か他の人が疑っているだけでノイズになって邪魔をするし、本人も心のどこかで無意識に疑っていれば指向性は弱まるし、そもそも曖昧な意思であれば目に見えて結果を出すように動く事はないから、誰しもが神粒しんりゅうの影響や恩恵を得られるという事はないけれど」

「けれど?」

「恩恵を得られる者は悪用する事も可能なんだ。君の世代だとゲームに例えるとわかりやすいかな? ファンタジーRPGの魔法が、現代社会で使えるようなものだよ。神粒しんりゅうは魔法を使うために存在する魔力だとか、マナだとかのように名付けられている力だと思えばいい」


「それが発禁の理由……」


 現実に存在するが見知らぬ力。上手く利用すれば神の力を得るのと同等の価値。その秘密を紐解いた文章が、今自分の膝の上にあると思うと、一センチの厚みしかないそれが途端に重量を増したように感じられた。

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