第九話 中務省


 深夜に差し掛かろうという時間、いかにもな黒塗りの高級車が霞が関の端にある小さなビルの前、闇に紛れて停まる。


 周辺の各省庁が入るビルと比べると、随分とこじんまりしているが建物は一番新しく、他の官公庁と同じビルに入れにくい特殊な部署を集約するために数年前に建設された。表向きは文部科学省の分局がある事になっている。

 

 車から出てきた二人の男は、後ろの座席に置いていた段ボール箱を下ろし、台車の上に積み上げる。

 スーツは高級品だが埃で幾分汚れ、シワも出来ていた。昼間、このような格好でここに来れば悪目立ちをしたかもしれないが、今は人気はなく警備員の姿が見える程度である。


「はぁーー、こんな力仕事の部署だなんて聞いてなかったぞ」

「ぼやくなぼやくな」

「せっかく霞が関の省庁職員になれたというのに、大っぴらには言えない部署だし、これがぼやかずにいられるか」

「まさか日本が、こんな国民に公にできないような部署を立ち上げるとは思っていなかったが、だからこそいまのうちに足場を盤石にしておけば、公開時には羨望の役職を手に入れられているさ」

「まぁ他の省庁よりは出世はしやすそうだが……まさかこの時代に神だの幽霊だの妖怪なんかに付き合う事になるなんて」

「俺達の仕事はとにかく資料を集めて調査、報告だけ。実働部隊に比べれば相当に楽だろう。秘境にリュックひとつで行かされるあいつらは気の毒だが、本来なら公務員になれるような奴らじゃないからな」


 ピッという電子音を立てて車のロックがなされると、男達は台車を押してビルの中に吸い込まれて行く。警備員は二人の職員の深夜入場に慣れているようで、入室のIDカードを端末にタッチするように軽く促すだけだ。流れるように胸ポケットからカードを出すと、ガードのパネルがパタンと音を立てて開く。


大高おおたか 室長は本気で事務次官を狙っているんだろうか」

「あの人は出世意欲の塊だからなぁ。まあこの省にいればライバルは皆無だから、とりあえずここで肩書だけ手に入れて転身っていうのが計画じゃないかな」

中務省なかつかさしょうか……」

「俺最初、ちゅうむしょうって読んじゃったよ」

「わざわざ平安時代から名称を引っ張ってこなくてもいいだろうにな」

「全くだよ。陰陽寮まで復活させてさ。はぁ‥‥…何で本当こんな部署に入っちゃったかな」

「胡散臭い陰陽師どもをこき使って、最低限の勤務してる態度を示しておけばいいさ。要領よくやらなきゃ官僚なんてやってられないし、ここで数年我慢した奴らはみんな他の省庁でそれなりの役職に……」


 ふと、一人の足が止まる。


「ん? どうした」


 立ち止まった男の視線を追うように顔を向けた時、残る男の気管からヒュッという音が鳴る。


「け、剣持けんもちさん」

「誰が胡散臭い陰陽師、だって?」

「そ、それは、いえあの」


 暗い廊下のその先に、黒いスーツの上下をぴしりと着こなし、仁王立ちする姿。短い髪を後ろに丁寧になでつけ、鋭い眼光は到底カタギには見えなくて、公安にマークされていてもおかしくないようにさえ見える。左頬には三本の鋭い爪でつけられたような傷跡があり、それによってすごみを増していた。


「資料は見つかったのか」

「あ、はい、いえ。あるにはあったんですが」

「部屋に運べ」

「はいっ」


 男二人は慌てて台車を押すと、その先にある部屋に入るなり、机の上に段ボールを積み上げ始める。


神粒しんりゅう理論であれば説明できる伝承や神話、都市伝説は、だいたいこんなものかなといった所を揃えてみました。あからさまに作り話めいたものは除外してあります」


 先ほどの小ばかにするような口調は遠くに飛び去って、今はハキハキとした軍の一兵卒のごとくの変わりように、剣持けんもちはフンと鼻を鳴らす。箱から出される書籍は随分と古めかしく、埃にまみれているものも多数ある。


「もう誰も読まないようなものだったので手入れがされておらず、一部は虫食いとカビに相当やられていて、満足に読めるものは一握りで」

「構わん、それなりの年代があれば付喪神に聞ける」

「は、はぁ。とりあえず今日のところは以上です」


 台車の箱を全て下ろし終えると、そそくさと二人の男性職員は廊下に逃げ出すように出て、足早に廊下を行く。


「相変わらずの迫力だったな」

「あれが現代の陰陽師か」

「おまえさあ、神粒しんりゅう理論って信じてるか?」

「にわかには信じがたいが、国がこんな専用機関を立ち上げるぐらいだから信じざるを得ないってところだな。剣持けんもちさんの術、見た事あるか?」

「いや、俺はまだ」


 何かを思い出したのか、男は上着の前を握りブルりと震える。


「式神ってやつ、手品とかそんなもんじゃない。霊感だとかに無縁だった俺の前で可視化されるとは思わなかったから、ああいうものって実在するんだって初めて信じたよ。この部署の秘密が守られているのは、みんなあの人が怖いからだ。迂闊な事を喋って、どこで式神が見張っているかわからないしな」

「陰陽寮には、あの人の上を行く術者がいたと聞くが」

「ああ、らしいな。剣持けんもちさんは面白くなさそうだが、大高おおたか室長的には部署に戻したそうだ」

「聞いた事ある気がするな。白戸しろと、とかいったか」

剣持けんもちさんの前でその名前を出すなよ」


 声を潜めてそのように言われたその理由を考えれば、言われた側は肩をすくめて同意を示すしかなかった。


* * *


 無言で剣持けんもちは左頬の三本の傷跡に触れる。忌々しい思い出を刻み込まれた痕跡は、触れる都度に苛立つ。


「何が現代の安倍晴明だ」


 吐き捨てながらパイプ椅子に腰を下ろし、積み上げられた古書の一冊を手に取りめくる。


 中務省なかつかさしょうが設立されたのは二十年前に遡る。神粒しんりゅう理論が提唱されて二年後の事だ。

 厳しい修行をし、技を極めても、超常現象の不思議系として誰からも取りあってもらえぬ陰陽師という生業なりわいに日が射した。

 細々と占いや相談事で家業を細々と継いできた剣持けんもちの家にとっても、陰陽師が再び脚光を浴び政治の中心に立ち返る事が出来る時が来たのは朗報であった。

 式神を使役し、時には呪い、返し、明日を視る術は、神粒しんりゅう理論を用いればより効率的に身に着ける事が出来る。一人息子であった剣持基樹けんもちもときにとって、周囲の期待は重く辛いものであったが、力を手に入れた実感は充実していた。


――神粒しんりゅうはいつか核を超える戦争の抑止力になりうる。


 それが政府の見解だ。


 全ての超常現象は神粒しんりゅう理論で説明がつく。

 超能力とされるものも、心霊現象とされるものも、神の奇跡すらも。

 つまり神粒しんりゅうを使いこなす事は、神と同等の力を得るのと同義なのである。


 海外の一神教主流の国民性では、神の奇跡が元をたどればである事は認めがたい事だったらしく、かつて地動説が迫害されたように、経典や聖書にそぐわない存在として現状は異端として取りあってはいない。

 ここに日本はつけ入る隙を見出したというわけだ。日本人の国民性として万物に神が宿るという意識、自然を素直に受け入れる心、現代に至っても古来からのまじないや占い、おみくじのようなものを好む性質。

 神粒しんりゅう理論を受け入れやすい土壌がすでにある。


 それでも今はまだ、広く人々に知らせるのは早い。現代社会で修行が必要なものの魔法が使えるのと同等であるだけに、誰もが自由気ままに使って良い力ではないからだ。

 国が把握し、情報を集約し、管理できるようになってからはじめて市井に下す。しかし未だ、そのようにはなっていない。二十年を経ても、だ。

 そんな状態だから、人々は再び眉唾ものの力だと思うようになり、政府も予算を絞りはじめた。


 どうすれば神粒しんりゅうをコントロールし、思うままに使う事が出来るかの技術は、陰陽師が確立済みだ。そもそも陰陽師の術すべてが、存在を知らぬまま神粒しんりゅうを利用してきていたのである。

 意思の力で見えざるエネルギーを集め、集中力をもってその姿を練り上げる。

 しかし一か所に大量に集め、安定的に留める事が出来なければ、所詮ちょっとした手品レベルの超常現象に過ぎない。

 鬼の姿を作ってみせようと、風に手紙を乗せて飛ばして見せようと、「核を超える抑止力」には程遠い。膨大な量を集めて圧縮し、更にはそれを安定的に維持出来てこそ価値が出る。しかし現状、一人の陰陽師が集めて扱える量は微々たるもの。


 もたもたしている間に、海外でも研究を行っている研究者が増えてきてしまった。生物が生存のために新たな姿や特性を望む意思を持った時、その体を作り変える進化にも神粒しんりゅうが関わっている事が判明した事により、そちらの方向から研究が進んでいる。”突然変異”が何故起こるのかが、明らかになったのだ。更に解明が進めば品種改良が加速度的に行える。目の色を変えるのも当然だろう。



 再び陰陽師を政治に無くてはならない存在に。

 それが一族の悲願。そして剣持の宿願。


 古書の中に混じる現代的だが古びた雑誌を手に取る。


 ――科学雑誌、月刊レムリア創刊号。


 表紙には「特集:神の粒子 世界を作り変える物質とその力」と記載されていた。

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