第七話 八咫烏


 人は混乱を極めると、逆に冷静になるのかもしれない。


 彼女の両肩に手を添えてそっと押し戻すと、少女は素直に彼から顔を離した。膝の上には乗ったままだが。日向にいた猫のような、干した布団のような懐かしい香りがする。

 さらりと艶やかな髪はいわゆる鴉の濡れ羽色。着ているのは巫女装束を黒にしてセーラー服に加工したようなデザイン。赤い紐の飾りがどことなく神秘的で清楚な感じがする。鴉としては大きかったのに、人間としては小さい……背の低い拓磨たくまより、更に十センチ程は低い。

 ちょこんと首をかしげる仕草が、かつて見た鴉のそれで、先程の闖入者ちんにゅうしゃがこの少女なのだろうと改めて納得する。


――キスしたら女の子になるなんて、そんな童話みたいな。


「手を貸して」


 鴉とは思えない音楽的で軽やかな声で、突然の命令。


「え、何の」

「人を探しているの」

「僕に手伝える事なの、それ」

「うん、多分きっと」

「曖昧……」

「だって私に話しかけてくれるような奇特な人、今まで会った事なかったから。それにあなたはたくさん持ってるから、こうやって貰えば人の姿を取る事が出来るし」

「持ってる? って何を」

「名前は知らない。そういう力があるの、光の粒みたいに見えるやつ」

「僕に、それが?」

「うん、たくさんある」


 少女は体を起こすと拓磨たくまの隣に座り直した。


「君の名前は?」

「ないよ、今まで必要なかったし」

「ないと不便じゃない?」

「不便? じゃああなたがつけて」

「ぼ、僕が?」


 自慢じゃないがネーミングのセンスは全くない。ゲームでもデフォルト名かランダム生成で決めているぐらいだ。


「や、ヤタ。大きい鴉の事を八咫烏っていうらしいから」

「何それ、そのまんまじゃない」


 少女はクスクスと笑ったが、まんざらでもなさそうな様子を見せる。


「名前をもらうのは初めて。あなたは?」

拓磨たくまだよ」

「タクマ……うん覚えた」

「で、誰を探してるの」

「わたしたちは”鏡姫かがみひめ”って呼んでたけど。今の名前も姿もわからないの」

「え!? それでどうやって探すの」

「……お山にいたのだけど急にいなくなってしまって。人間にくっついて山を降りてしまったらしいという事しかわからないの」

「鏡が関係あるの?」

「鏡が関係あるといえばあるけど、鏡そのものじゃないから……。鏡姫かがみひめは鏡に添う神様なの。だから人間の世界で”大きな力”だとか”偉大な力”のようなフレーズが出たら教えて欲しいの」


 とりとめがなさ過ぎて、何から手をつければいいのか皆目見当がつかない人探し。「人の間で話題になる出来事を、鴉である自分では把握できないから」と言いながらも、ふんぞり返って偉そうにしていて、全くもって人に頼み事をする態度ではないが、切実そうでもあり……「僕の身近で話を聞いてまわる程度なら」と手伝う事を了承すると、少女はキラキラとした眩しい笑顔を見せた。

 昨日の出来事から不思議な事が起こりすぎて麻痺してしまったのか、鴉の女の子の存在を違和感なく受け入れる自分がいて苦笑する。自分が思っている以上に順応性が高いのかもしれない。


 結局ヤタは朝食の食パンを一緒に食べて、「人間の食べ物おいしい~」とほっぺを膨らませて幸せそうにしていたから、まあ何とかなるかという気持ちも。


「ところで、この額の傷が消えないんだけど……」

「それは私の仲間の印だから。光の粒が見えるようになるし、友達も力を貸してくれるよ。姫様を探すのに必要だし……」


 何となく察してはいたが、これのせいでアレが見えるようになったのかと思わずため息が漏れる。


「ところで友達って」

「雀とか他の鴉、鳩とかとび……鳥ならみんな応えてくれると思う」

「言葉、通じるのかな?」


 ヤタは人差し指を唇にあてて、しばし考える素振りを見せる。そして、大きく頷いたと思ったら大きな羽音はおとを立てて元の鴉の姿に戻り、拓磨たくまが反応するよりも早く、カツンと額を再びつついたのである。


「いったぁ!」

『これで会話できるよね』

「あ、わかる」

『それじゃあ何かわかったら名前を呼んでね!』

「え、ちょっと!」


 ヤタは少年の呼び止める声を無視し、バサリと羽根を広げて開けっ放しだったベランダの窓から空に向けてあっという間に飛んで行ってしまった。

 あまりの出来事に暫く茫然としてしまったが、慌てて洗面所に行き鏡を見る。前髪を避ければ額の中央に、最初に付けられたひし形に重なるように更に追加され、見事な八芒星が出来上がっていた。



* * *



 危うく遅刻しそうになって、息切れしたまま教室に入ると、昨日とはまた別の話題でクラスは盛り上がっているようだった。

 自席について荷物を置いていると、隣の席のクラスメイトが話しかけて来た。


大磯おおいそは昨日テレビ見た?」

「ううん、夕べはテレビをつけないまま寝ちゃったから。何か面白いニュースでもあったの」

「超常現象系の二時間の特番があったんだけど、それが面白くてさ」

「へえ、合成じゃない証明が出来たUFOとかイエティかなんか?」

「未知のエネルギーというか物質」

「何それ」


 前の席の生徒が振り向く。


「新発見だって。ついに観測されたらしい」

「何でそんなのが超常現象の番組に……」


 通常は幽霊やUMA、UFOの類が内容がメインだ。科学的に証明出来てしまう事象も多い。


「理論や仮説としては二十年以上前から提唱されているらしい。突飛過ぎて誰も相手にしてなかったのを、真面目に研究していた学者がいたみたいで」

暗黒物質ダークマターみたいな感じ?」

「そうそう、まさにそんな存在だね。それがあると仮定すれば、いろんな事象が説明できるみたいで」

「超能力や幽霊や妖怪、神の存在、果ては進化論にも一石を投じるみたいだぞ」

「へえ、本当ならすごい」

「ダークマターに対抗してライトマターって言うらしいぜ」

「わ……途端にうさんくさい……」

「日本語では神粒しんりゅうという呼称らしいよ」

「こういうの、誰が名前をつけてるんだろ」

「発見者か提唱者じゃないかな? 最初の提唱者は日本人だってさ」


 興味が沸いてもっと詳しい話を聞きたかったが、ホームルームの時間になってしまい、移り気なクラスメイト達は次の休み時間には別の話題に興じてしまって、今更聞ける雰囲気ではなくなってしまった。



 昼休み、加賀見かがみが教室を出て行くのが見えた。彼女なら超常現象系に造詣が深いはず。興味が沸いた神粒しんりゅうについてとか、”鏡姫かがみひめ”という呼称について何か知っているかもしれないと思ったのだ。

 

加賀見かがみさん」


 彼女はふわりと髪をなびかせて全身で振り返った。シャンプーの香りなのか桜の花のような和風の香りが漂う。


大磯おおいそ君か。何か用?」

「今朝クラスで話題になっていた番組って見た?」

「ああ、木曜アドベンチャーズの特番ね、見たけどそれが何」

神粒しんりゅうっていう、すごい発見があったと聞いて気になって」

「ああ、進化に関わってるかもっていう奴ね。お父さんが生物学者だったらそりゃあ興味も沸くか」

「うん」

「……みんな、全然信じなかったくせに何を今更……っ!」


 関節が白く見えるほど手を握りこむ彼女は、悔し気に下を俯き心底悔しそうで、何かただ事ではないように思えた。

 そんな少女がぱっと顔を上げた。


「月刊レムリア」

「え?」

「それの創刊号を読んだらいいと思う」

「あの、ちょっと」

 

 加賀見かがみはその後の拓磨たくまの呼びかけは無視し、颯爽と綺麗な歩き方で立ち去ってしまった。


――月刊レムリア。


 創刊は二十年程前だから、拓磨たくまが生まれる前に出ている事になる。そんな古い雑誌が簡単に見つかるかどうか。

 この雑誌、一応は科学雑誌として刊行されているが、表紙がピラミッドたったりモアイだったり、電車の中吊り広告で見かける事もあるが見出しが「ついに発見! 人魚のミイラの真実」だとか「ついにUFOは地球の技術でも製造可能に」、「呪いか伝染病か、ファラオの墓」だったりするため、超常現象が好きな層が主な購買層に思えた。

 

 茫然と立ちすくんでいたままの拓磨たくまに、後ろから声がかかる。


大磯おおいそ~、暇をしてるならさっきの授業の教材を資料室に戻して来てくれるか」


 振り向くと歴史の担当である男性教諭。古地図のコピーや実際に使われていた道具のレプリカだ。先程の授業で使ったもの。


「あ、はい」


 受け取ろうとした拓磨たくまの左手首に、教師が視線をやる。


大磯おおいそ、そういうアクセサリは学校で身に着けるものじゃないぞ」

「あ、これは御守りで」

「ミサンガだかなんだか知らないが、学校ではやめなさい」

「……はい」


 しぶしぶではあったが、学校で何かあるとは思えなかったので、するすると組紐を解いてポケットに入れた。

 それを見届けて教師は資料類をドサッと少年の手に預ける。


「じゃあ頼んだぞ」

「はい、行ってきます」


 御守りは外されても効果があるのか気になって、少しそわそわとした気持ちが芽生える。明るいし人通りも多いのだからきっと大丈夫と何度も言い聞かせながら三階にある資料室へ。


 がらりと引き戸を開けると、思いのほか資料室は薄暗く、ぞわっと背筋が凍る。それでも勇気を出して一歩踏みいれた時、目の端にあの靄が見えた気がして、飛び下るように引き返し、扉を音高く閉めてしまった。


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