第四話 異変のはじまり


 幼いころから父に再三叩きこまれてきた「知識の檻に囚われるな」という言葉は、どんな事を始めるにしても必ず脳裏をよぎる。ゲームをすんなり自分の状況に合わせて攻略できたのは、その言葉のおかげで先入観に囚われなかったからかもしれない。

 巷の噂通り、小柄な体型のプレイヤーは不利という事を鵜呑みにして、それを前提に動くような事をしていれば、あの日あの時はなかったであろう。


 休み時間になるたびに誰かが自席にやってきて、ゲームの話をしていく。中には今朝コンビニで買ったという今日発売のゲーム雑誌をこっそり持ち込んでいる者もいて、皆で囲んでまわし読みも。

 クラスメイトの会話に普段は入ってこない加賀見かがみも珍しく近づいて来て、ヒョイっと雑誌を覗き込むと


「私、これを買うつもり」


 と、怖さが売りのシリーズ物ホラーアクションを指さした。雑誌を持ち込んでいたクラスメイトが驚愕の表情で彼女を見る。


「まじかよ、これって前作もかなりやばかったんだぜ」

「その前作が面白かったもの。ストーリーもよく調べて作ってるって感じだったわ。クリーチャーデザインも、実際に進化の系統を紐解いているだけあってリアル。本当にいそうな臨場感がたまんない」

「更にパワーアップとか書いてあるんだけど……」


 少し引き気味に答えてしまった拓磨たくまは、人気ゲーム全般は一通り遊んできているヘビーゲーマーだが、どうにもホラーゲームだけは苦手で、突然ゾンビが飛び出して来るような心臓に悪いものは殊更ことさらに不得手だ。白い指が示す画面写真の段階でも、もうかなりダメな感じだった。

 そんな事がありながらも意外と皆がゲーム好きだという事がわかり、普段交流のない生徒同士でも急に仲良くなったりして、いつもどこか他人事な様子で疎遠な関係だったクラスの雰囲気はとても良くなった。


 放課後も数人の男子生徒に囲まれ、【VORTEX ONLINEヴォルテックオンライン】の攻略情報やチーム、新武器の使いこなしテクニックなどを質問責めにされる。ゲームの話題に興じる男子たちを見て、女子たちは遠巻きに「男子っていつまでも子供よねー」等と言っているが、何人かからは「そのゲームって女子でも遊べる?」「私もやってみたい」なんて声もチラホラあった。


 今まで会話した事もないクラスメイトともお喋りが弾み、久々にゲームの話題で盛り上がって楽しい気分を味わう。娯楽とはいえ自分の知識や経験が、他の人の楽しみの一助になってくれるのは純粋にうれしい。


大磯おおいそって結構喋るんだな~」

「いつもあまり会話に入ってこないから、一人が好きなのかと」

「恥ずかしい話だけどゲームを遊び過ぎていつも寝不足で、休み時間はボーっとしてる事が多いからかも。皆も気を付けた方がいいよ」


 はにかみながらそう言えば、周囲も朗らかに笑う。

 そこにガラリと扉を開ける音がし、全員の視線がそちらに向くと、担任が頭だけを教室に入れて、語調強く怒鳴った。

 

「おまえたち、いつまで残ってるんだ。雨が降りそうだぞ、早く帰宅しなさい!」


 はっと気づいて窓を見ればもう随分と暗い。


「はーい」

「うし、帰って早速試してみよ! ありがとうな大磯おおいそ

「ゲーム内でもよろしく」


 バタバタと階段を駆け下り、玄関で靴を履き替えていると不意に全ての蛍光灯が怪し気にちらついた。四人の男子生徒は、思わず一瞬無言になる。切れかけているか、どこかで雷が鳴っているあたりが原因であろうが。天候からして後者だろうと思いつつ、一人が不吉な事を口にする。


「……そういや最近、幽霊を見ただの口裂け女が出ただの、都市伝説再びみたいな話、よく聞かね?」

「かなり昔に流行ったらしいけどね~、俺達が生まれる前どころか祖父母の年代あたり」

「ブームは繰り返すって言うからなあ」

「誰かが見たって言うと、噂で連鎖するからおのずと増えるから、それでじゃないの。最近は宗教にハマる人が増えたりしてるみたいで、ブームは来てる感じがするよね」

「ああ、俺んちの親戚の姉ちゃんも宗教にハマって帰ってこなくなったって聞いたな……。景気が良くなると超常現象が流行るとも言うからね。実際に、そんな怖い物が増えたとかそういう訳じゃないよ、きっと」


 薄暗く妖しい空模様も相まって、少年達は必死に「気のせい」だとか「気にするほどじゃない」という事を言い合って不安感を誤魔化す。拓磨たくまが一番必死だったのは言うまでもない。

 校門を出れば散り散りに、それぞれの帰途につく。

 秋の日暮れはただでさえ早いのに、分厚い雲がより一層、周囲を暗闇に染める。空を見上げていた拓磨たくまは独り言ちる。


「わ、本当に降ってきそう」


 走る程でもないと思いつつ、先程の怖い話のせいもあって心持ち足早になる。帰路を急ぎながらふと、朝の散乱したゴミが気になった。誰かが掃除しているだろうかと。また踏んでしまったら嫌だなと考えながら、鴉と出会った時の事を思い出していた。


 あのとき、ゴミの山の中に何かいた気がするのだ。野良ネコならこれほど気にならないのだが、何かもっと別種のもののような気がして。

 そして今夜も一人であることを思い出し、急激に怖い想像が脳裏をよぎりはじめてしまった。ぼんやりとしたイメージだったが、加賀見かがみが指さしたゲームの画面写真を思い出してしまえば一気にそのリアリティを増す。


 不吉な空模様に雷鳴が轟けば更に恐怖を煽られ、気づけば小走りになってしまっていたが、タイミング悪く横断歩道は赤信号で慌てて止まる。

 車のヘッドライトの眩しさに目を細めるが、それが通り抜けてしまえば静寂と暗闇、信号の赤だけが地面を照らす。不安感が押し寄せて来る風景に、ぞわぞわと寒気を感じる。

 こういう時は振り返ったりしない方がいいとわかっていたのに、拓磨たくまは衝動を抑えきれずについ、後ろを見てしまった。


 薄暗い道の真ん中に集まりつつある白とも黒ともつかぬ靄。先ほどの車のライトの残像が残っているのだろうかと数度目をこすり、眉間に皺を寄せて目を凝らしても煙のように見える。そしてそれが、今まさに何かを形作ろうとしていた。人のような異形のような……。


――霊感なんてないし、今まで幽霊なんて見た事ないし。


 だが見つめる程にそれは、リアリティのある形状に。

 「気のせいだ。目の錯覚だ。想像でそう見えるだけだ」と言い聞かせながら、信号が青になったのを合図に走り出す。


 もう振り返りはしない。


 振り返りはしないが、あれがついて来ているような気がした。理由はわからないけれど、急に感じられるようになった今まで経験したことのない気配。


 雷の音もどんどん近づいて、ついには拓磨たくまの頬にポタリと大きな水の粒がぶつかった。

 ポタポタと落ちて来た雨は、ややしてバタバタと複数の音の重なりとなり、すぐに個々の音が聞き分けられないザバザバという滝のように変わっていく。

 スニーカーの中にはたくさんの水が入りこみ、ジュバジュバと聞き慣れない音を立てていて、吸い付くように足を重くする。

 それでも前後に必死に動かす足は止めない。ペースを無視した全力疾走に息は早々に上がるが、止まったらアレにつかまってしまう気がして。


 単調な毎日、平和な日々だったはず。それは今日も明日も続くはずだったのに、まるで運命にスイッチが突然入り、急に動き出したかのようだ。そのスイッチがどの段階にあったのかは判然としないけど、日常は終わったような、そんな思いが去来する。

 追いかけて来るあれに捕まってしまったらどうなるのか。

 自分以外誰もいないのに、家まで付いてこられたらどうしたら。


 怖い。

 ついて来るの? (いくよ)

 嫌だ。

 そこにいるの? (いるよ)

 やめて。

 

 別に声が聞こえるわけじゃないのだが、勝手に頭が想像で返事を作り出す。息も絶え絶えに走り続けて酸欠になって来たのか、どんどん思考は鈍って行く。顔にたたきつける雨に溺れるように喘ぐ。


 足がもつれて転びかけ、目線を足元に向ければ、何かが自分の足首を掴んでいるように見えた。


 自分が何を考えたのか、もうわからなかった。

 頭が真っ白になって、何か叫んだ気もする。

 視界も純白に染まり、一切の音も聞こえない。


 全ての感覚が真っ白になった世界で、意識だけが暗闇に落ちた。


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