はるかなる洗顔への道
朝起きて、家を出る前に顔を洗う人は多いと思う。僕もその例にもれず、毎日せっせと洗顔しちゃってるひとりだ。
長いこと習慣になっていることだから、いまとなってはもうイニシエーション的な側面もでてくるかもしれない。けれども、気持ちがシャッキリするような気がするので欠かせない行動のひとつになっている。
実際問題として、顔が濡れて力が出なくなって困るわけでもないし、新しい顔に交換する必要もないので普通にあらっております。勇気はでないけど、鋭気は養えるからね。
僕は普段、朝五時頃に起きてPCの電源を入れつつ、夏でも冬でも窓全開で換気しながら、眼鏡をかけてなにかを書く。それで7時頃になったら出かける用意しながら顔を洗うんだけれども。
なぜだか定期的に眼鏡をかけたまま顔に水をじゃぶじゃぶしてしまう。ぶっちゃけ、すごい驚く。ひとりごとで「うわっ」って普通に言っちゃう。そのうえ軽くパニックになるまである。
なんでだろうと思うし、もう次はやらないと思うんだけど、年に一回ぐらいの頻度ではやってしまう。摩訶不思議だ。
しかし、推察もしくは妄想できるパターンにいくつか思い当たる。
1.顔に眼鏡が馴染んでもう体の一部となっているから洗うのは当然だと脳が解釈しているし、シナプスもそう繋がっている。
2.眼鏡が実は本体で、体を操作されているのでそうなるし、そうならないほうが不自然。とゴーストが囁いている。
3.僕が世の中の常識から乖離していて、みんな普通に眼鏡をかけたまま顔を洗い、定期的にメガネ用のワイパーが動いている。
4.実は眼鏡をかけている夢を見ている僕。
5.眼鏡も心も曇ってるので仕方がない。うん。あきらめよう。
6.どうしようもなくボケ(ツッコミ不在)。
できれば六番目は避けたい。と同時に、自分の痴呆をちょっと疑う朝の出来事。寝ぼけている程度でひとつ収めていただけませんかねぇ、へっへっへ。
ちなみに、顔を洗うために近くに眼鏡を外して置いておくことがよくある。それで、ふとTVをみたり、本を読もうとすると謎の違和感に襲われて、眼鏡を置きっぱなしにしていることに気がつくパターンは頻繁に発生する現象だ。
なんにせよ、洗顔は眼鏡とは相容れないと知る。
余談だが、洗顔後に化粧水とクリームを顔にかぎらず手とかも含めて塗っておくと非常に肌の調子が良くて驚く。できればこの工程は眼鏡を外して行いたいものなのだが。
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