失われてしまったもの

 ここ何年かで、なくなってしまったものはそれこそ色々ある。


 原因の主たる理由はコロナ禍ではあるのだけれど、失い続ける人生なんてまっぴらごめんではあるのだけれど、緊急避難ではあったのだけれど、それが正解だなんて答えは容認できない。


 学生だったら、修学旅行だったり発表会だったり、入学式や卒業式に至るまで、今まで普通にあるものだと思っていたものが、急に消失した。どれも一度しかないのにだ。


 オンライン授業なにそれ。状況に対応するカタチでさまざまな方法を模索していく姿勢は実に人間っぽいというか日本人っぽいけれども。家から出ないで暮らしていくのは難しい。社会はそこまで成熟していないのだ。望む望まぬに関わらず、そこまで人間は孤独にはなりにくいよ。


 イベントやコンサート、スポーツ大会など、おおよそ人類が集まってなにかをしようという試みは次々と中止されていった。東京オリンピックとか言うものがあったよねという程度には失われた。


 仕事やお金、職場などを失った人も少なくはない。コロナウイルスとの共存を模索する方向にシフトしつつあるけれども、痛みと治りきらない傷痕を残しながら今に至るわけだ。


 健康や生命のために、と言えば耳に心地は良い。でもその影で多くのなにかが失われたのだ。少なくともボクの精神のHPヒットポイントはちょっと減った。


 コンビニのレジで会計をするときに、アクリルパネル越しに業務的な会話をして、お金は精算機に自ら入れてお釣りをとる。


 コレ幸いと国勢はキャッシュレスに進み、結果として物理的に現金に触れる機会も減った。


 ここのところの物価高も手伝って、外食も著しく減った。もっとも会話を挟まず、黙食と言われればひとりで食べるのとそうは変わらないが。


 他人の食べてる姿を黙って見ていたいなんて欲求は少なくともボクにはないので。


 そんなこんなで、人との関わりがより希薄になった気がする。非接触型社会へ。


 人との接触を極力避ける風潮ができあがりつつある。陰キャが収斂進化しゅうれんしんかしたようなボクでもちょっとは思うところはあるのだ。


 なにが言いたいかというと、お店で一定数いた手を握りながらお釣りを渡してくれるおねーさんに会うことがなくなった。つまりコレが非接触だ!


 コロナによってとても大切なものが失われていたことに気がついた。


 あれって、どうして上下で手を挟み込むようにお釣り渡してくるんだろうね、不意にやられるとビクッとしてキョドって手を引いちゃったりするんだけど。コミュニュケーション能力が失われて久しいな。


 こんなことを書いている、キモいおじさんが失われるのがベストチョイスだと思う。

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