なぜか知っている

 なぜか、それを知っているということがある。


 たまに話題になったりするけれども、みなさんがそれぞれ知っていることがある。


 義務教育課程でそのようなことを学習するわけでもなく、生きる上で有意義かと問われれば疑問しか残らない。


 とはいえ、まれに会話の息継ぎ的に供されることもあるものだから不思議なものだ。


 それはときに、自分の誕生日と同じ著名人だったりする。


 しかもその返しで聞いた相手の誕生日を覚えることなく、その有名人と一緒の誕生日であることを羨んだりもする。


 自分はだれそれぐらいしか目立つ人がいないのになどと微妙に失礼なことも言っていたりもする。


 その有名人さんもそんなことでひっそりとディスられるとは思ってはいなかろうに。


 まったくもって迷惑な話である。


 たとえば、自分の名前を逆から読んだ読み方とかは、みんなすべからく知っている。


 他人の名前を逆さから読むのが好きなんて酔狂な人なんて寡聞にして聞いたことがない。


 僭越ながらボクを例として挙げさせてもらうならば、この逆から読むというのはおおむね意味をなさない言葉になる。


 よっぽどご家族なりなんなりが趣向を凝らさないかぎりは、なってもせいぜい呪文的なものだろう。


 からいれたす→廃れ甍すたれいらか


 なんか廃墟っぽい意味をなした気がするが……しかして、そんなよくわからない文字の羅列を覚えているし忘れもしない。


 無駄なことに記憶容量つかってるなぁなんて思ったりもする。


 また、たとえば自分の生まれた年にあった事件や、その日付はなんの日などといったこともある。


 絶対にナニかの機会に調べたり、聞いたりしてインプットされた後付の知識のはずだろう。


 記憶はナニかを紐付けながら覚えたほうが定着しやすいということだから、自分の誕生日に紐付いているものに関しては定着率が高いのかもしれない。


 さてここで問題です。年におよそ三、これはなんでしょうか?


 あれ、なんだろうこの既視感。デジャヴュ。


 ボクはそれをずーっと昔から知っていた気がする。


 なんか海馬がちょっとずつ刺激を受けていながらも、なんだっけなーとはてなマークを浮かべながらも、その行動を繰り返していると、あるタイミングでモヤが晴れたように答えに恵まれるのだ。


 先程の答えだが、ゆとりではなくて、ダブって買った本である。


 そして本棚にいざ並べようとしたときに事件が発覚することがままある。


 またやってしまった。


 ボクの部屋には小さいながらもダブった本を入れる本棚がある。


 ボクの部屋に訪れた人で興味がありそうならば布教できるじゃないかとオススメするのだが、あまり良い反応は得られない。


 というのも大体にいおてダブるのは巻数を重ねたシリーズの中ごろの巻だからだ。世知辛いね。


 またきっと忘れた頃にやってくる子が現れるのだろう。


 そんな摂理なんて知りたくはなかった。

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