百ページを超えたらニッコリ

 スマートフォンの検索履歴には脈絡もない言葉たちが今日も並んでいる。


 怠慢で気怠い日常に飽いている。いつでも物足りなさと満たされない忸怩たる思いがある。


 毎日ただ空気を吸って吐いているだけで体が酸化して朽ちていっているような、漠然とした嫌悪がそこに確かにあって。


 それが気が付かないうちにゆっくりと身体に染み込んでくる。そしてそれに慣れてしまうのが怖い。焦り。


 生きている限り死に向かっていることには抗えないのだけれど。そんなだけれど、知ることで解消される不安もあるのだと思う。


 だからボクはいつも何かを調べているのかもしれない。


 だけどね。いい歳してなどと言われる年齢だけれども、泣きたくなるくらい知らないことばかりなんだ。


 無知蒙昧。学識があるとかないとか、そうゆうのとは違っていや、違うくもないけれども。


 生活していくというか生きるテクニックが足りてない。人生が下手。


 ニュースを観ても本を読んでも分からない言葉や事実が溢れている。語彙もさっぱり足りてない。


 サワラやメバチマグロはどんな形状なのか、切り身で泳いでるわけじゃないことぐらい知っている。その卵は?


 そう明確なイメージが湧かない。クリームコロッケのクリームってそもそもなに、お菓子とは違うのはわかる。


 電波ってなに、音は見えないの、光が一秒間で七周半、そも光とは、見えているのに見えてない? 禅問答ですか?


 人の感情なんてもっとも分からないものだよね。


 ボクにとって知らないことは怖いこと。でも漫然と生きてるいるから知らないことすら知らない、気が付かない。


 お茶やコーヒーが好きで毎日欠くことなく口にするし、美味しい珈琲を飲みたいとも常に思っている。


 でもふと、アレって思ってしまう、気づいてしまう。喫茶店で飲むような馥郁たる香りで淹れられないのかと。


 インスタントでも美味しくできるのではと。日没直前の仄暗い琥珀のような澄んだ色に染めることはできないだろうかと。


 知らないで失われていったものは図りしれないから、それらを惜しむ。逃したなにかはきっと大きいのだから。


 だから。多分、ボクにできるほんのちっちゃな抵抗は“知ろうとすること”なのかもしれない。


 そしてほんのちょっとだけ生きやすくなると信じてる。そんな日々で見つけたありふれたなにかがきっとある……たぶんね。そう信じようしている。


 やがて言葉や知識がボクの中に降り積もって隙間を埋めてくれたらいいのにと思いながら。


 今日もネットを彷徨いながら行方も知れずに進み、辞書を繰っている。


 ブラウザのタブは百を超えると笑顔になった。数えたら三〇〇ページ以上開いていた、閉じろよ、自分。


 クロムのタブが今のところ無限に開ける(気がする)全能感。

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