第四十一話 いい話を持ってきたんだ


「――あれ、誰かと思ったら穂高君じゃないか? どうしたんだいこんなところでうずくまって」


 音程が低く、しっかりと輪郭のある……なのにどこか薄っぺらく聞こえる声が耳に届く。

 恐る恐る顔を上げて僕に向けて投げかけられた声の主を見れば、最早懐かしい感覚すらあるアジア系特有の黒髪黒目の美男子。

 僕がいま世界で一番会いたくない男――天道光司がそこにいた。


「て、天道……」

「天道? 呼び捨て?」


 その声に籠った怒りにビクリ、と怯えるように体が震えてしまう。

 再会したときはぶん殴ってやりたいとすら思っていた顔がそこにある。

 なのに僕の心に湧き上がるのは怒りではなく恐れだった。メンタルがこの世界に来る前の、いじめられっ子だった時のものに戻ってしまっている。


「すまないね。別に怖がらせるつもりはなかったんだ」


 上辺の声は謝っているのに、その裏にどこか優越感が滲んでいる。

 路上で膝を抱えた姿を見たからか、僕が奴の声に怯えるのを見たからか。

 どちらにせよ天道にこれ以上見下されたままでいたくない。反射的に立ち上がり、視線を合わせるが……やはり頭一つ分は身長に差がある。悔しいが、僕はチビなのだ。あまり大きくてもダイナの負担になるだけだから別に悔しくはないけど……。


「……どうして、この街に? レイクの王城にいると思ってたけど」

「経験値稼ぎだよ。この街は田舎な分魔獣が山ほどいるんだろ? 《勇者》としての務めを果たすついでにレベルアップに来たのさ」

「レベルアップって……」


 その言い草に思わず本気かと天道を見る。軽薄に笑うその顔は冗談か、本気かを掴ませない。

 念のため言っておくが、この世界はゲームシステムのようなレベル制は存在しない。魔獣を倒して経験値を稼ぎ、レベルアップなんて仕様はないのだ。

 ただ地道な修練が肉体を作り、技能を磨く。魔獣を倒して経験値を稼ぐのではなく、経験を積み重ねて魔獣を倒せるようになると言った方が正しい。


「それに、《楽園》のスサオロチとやらにも興味があってね。わざわざ辺鄙な田舎に足を延ばすんだ。どうせならラスボスの顔の一つも見ておかないと割に合わないじゃないか」

「止めておいた方がいい。あそこはそんな甘い場所じゃない」


 その時僕は打算半分、忠告半分で天道を止めようとした。

 実現すれば思い切りロクでもない結果になりそうなのに、勇者様のお言葉ならと実現する可能性が微妙にありそうで怖い。なによりエフエスさんが赴いている今、余計な刺激を与えたくない。

 そもそもラスボスだなんだと浮ついたことを言っているような輩が挑めるような場所ではないはずだ。


「――――なに? この僕に指図するのかい、キミが?」

(クソ、ちょっと凄まれただけで……!)


 ビクン、と震えてしまう。

 高圧的なクラスメイトというトラウマに囚われているのが僕自身よく分かる。

 もっと直接的に恐ろしい魔獣とも何度も対峙した。だが、それとは全く関係なく体が動かない。恐怖が見えない鎖のように僕の体を縛っていた。

 それを見て天道が満足げに頷く。


「まあいいか。それよりも君とここで出会えてお互い運が良かった。君にいい話を持ってきたんだ」

「いい話? なんで君達が今更僕にいい話なんて持ってくるんだ?」


 思わず胡散臭げに僕は問い返した。何をいまさら、そう思った。


海藻頭ロバーズからの推薦だよ。君は確か運び屋なんて雑用をやっているんだろう?」

「雑用?」


 僕だけでなく『運び屋』そのものを馬鹿にした言い草に、流石にカッとなって僕は天道を睨みつけた。だが天道は気にもしていない。思わず拳を強く握りしめた。


「僕”ら”は――」


 と天道は背後のあたりを示すと、そこには1人の完全武装の騎士がいた。

 穏やかそうな雰囲気の壮年男性で、僕の方をチラリと見ると黙ったまま静かに会釈した。おそらくは天道の目付け役だろう。


「――これから長期間、臥龍山脈方面の奥部で間引き任務を行う予定でね。その物資運搬の一部を依頼したいのさ」

「間引き?」


 思ったよりまともそうな話だった。つい気になった部分を問いかける。


「臥龍山脈の奥地は滅多に人の手が入らない大型魔獣の生息地らしくてね。そこで大型魔獣が増えすぎて人里に下りてこないよう適当に数を間引くのさ。もちろんかなり難しくて危険な任務だけれど、まあ……僕ならね?」


 自慢げなウィンクに辟易しながらも損得計算を開始する。

 聞いている限りではかなり難易度が高く、都市への貢献度も高い重要な任務だ。天道のことは気に入らないが、参加すれば僕らにも『運び屋』としての箔が付くかも――、


「とはいっても結局3K仕事だろ? 生活の質も落ちるし、僕も当然断ろうとしたんだけどサ。そこでロバーズから『運び屋』の君を使えばいいとアドバイスを受けてね」

「…………」


 だが続く言葉で天道がその任務の意味を理解しているどころか3K仕事と軽蔑していることを自白し、思わず閉口する。

 黙ったまま天道の背後に立つ壮年男性が静かにため息をつくのを僕は聞き逃さなかった。


「君には僕の生活の質を落とさないために色々と入り用な物を運んでほしいんだよ。『運び屋にもつもち』の君は得意だろ? そういうの」


 多分世界で一番下らない依頼クエストだった。

 それだけじゃない。天道は『運び屋』という稼業をあまりに馬鹿にしていた。これでは僕以外のまともな『運び屋』も受けたがらないだろう。


「それが、君の言ういい話だって?」

「もちろん」


 うんざりしながら問いかけると天道は後ろめたささえ持たず、本当にいい話だと思っているかのように満面の笑みを浮かべた。


「まあ、付き合いがある分かもしれない。だけどこれをキッカケに僕や王城から継続的に依頼が入るんだ。君にとってもいい話だろ?」

「――――ッッッ!?」


 その言葉である程度読めた。

 予想通りこれはいい話でも何でもない。王城が貴重な『運び屋』候補である僕を獲物に、天道という道具を使って仕掛けた一本釣りだ。

 あのワカメ髪の宰相補佐は僕が天道に苦手意識を持っていると踏んで強引にでも仕事を任せて、それを取っ掛かりに僕を摂り込むつもりか。王城が上で、僕が下だと上下関係を刷り込みながら。


「そんなの――」


 お断りだ、そう言おうとして。


「――こんないい話を、まさか断る訳がないよね?」

「う……」


 出鼻をくじくように、脅しの籠った声がかけられる。もう理屈ではなく、本能に近い部分で身体が硬直した。


「僕らは友人じゃないか。助け合っていこう」

「…………」


 吐き気がするようなお為ごかしに、ふざけるなと言えない自分が悔しい。


(なんでだ)


 なんで断らない。

 言えよ。嫌だって言え。

 ここで嫌だと言えなきゃ、この世界に来る前と、なにも変わらないじゃないか――!


「――ホダカ?」


 なけなしの勇気を振り絞って声を上げようとしたその瞬間、予想だにしない声が割って入る。

 驚いて振り返った先には――、


「ダ、ダイナ……」


 宿から抜け出して僕を探していたのか息を切らし、衣服が乱れたままの僕の相棒がそこにいた。

 僕の恐怖を敏感に察しているのか、敵意を宿した視線を天道に向けたままジッと僕の言葉を待っている。僕が「よし」と言えばダイナは躊躇せず天道に襲い掛かるだろう。


(マズイ、それだけはマズイ)


 天道がどれだけクソ野郎でも、この国に認められた《勇者》だ。権威の象徴であることには変わりがない。

 まともに喧嘩を売ればこの国で生きていくことはできないだろう。僕はなんとしてでもダイナを宥めなければならない。


「へぇ……これは」


 必死になって頭を回していたお陰で、天道が好色な視線をダイナに向けていることにも気づかずに。

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