閑話 その頃、王城では②


 聖は赤を基調にした巫女服に似た民族衣装を着て城を歩く。

 緋袴に似たゆったりとしたズボンと白い小袖に似た上着を基礎に、魔獣革の籠手や小さな腹甲、丈夫な生地で出来た肩掛けの小さなマントなどの装備で各所を覆っている。


(ちょっと巫女さんのコスプレっぽいのが難点かも。歴代の《勇者》が伝えたのかな)


 どうもこの世界、というかウェストランドには日本由来のミームがそこかしこに見受けられる。噂でのみ知る《楽園》の”龍”、スサオロチの名付け親もまた初代勇者だというから恐らくは異世界召喚者由来のものなのだろう。


「あ……」

「聖女様」

「おはようございます、ヒジリ様」

「今日もご機嫌麗しく――」


 聖が通れば大体の人間は通路の端に寄り、頭を下げて敬意を示してくる。ただし一部の人間は心からのものではなく、慇懃無礼な気配を覗かせる。宰相補佐の派閥、文官貴族のものが多い。

 対して兵士や地位の低い者ほど純粋な敬意を込めて頭を下げてくる。少数の武闘派貴族も混じっている。この中には純粋な聖シンパとでも言うべき人間もいるが、聖本人は気づいていない

 《勇者》の捉え方について、王城内で相当な差があるらしい。そしてそうなった経緯も聖にはおおよそ見当が付いていた。

 

が《勇者召喚》の鍵。でも今は目の前のことに――)

「やあ、聖。いい朝だね」


 と、再び考え込みながら歩いていた聖の道行きを塞ぐ者がいた。

 聖のクラスメイト、当代の《勇者》と持て囃される天道光司である。顔だけは良い優男が本人は魅力的と信じ込んでいる薄っぺらい笑顔を浮かべて立っていた。


「……おはようございます、天道君。、早いのですね。それと苗字で呼んで頂けますか? お付き合いもしていない殿方に名前を呼ばれるのはどうにも背筋がして」


 気持ち悪いから下の名前で呼ぶな、と。

 チクリとした皮肉と、生理的嫌悪感を混ぜた拒絶を込めた挨拶は、しかし千枚張りした面の皮の厚さで弾かれる。


「ハハハ、イヤだな。僕と聖の仲だろう? 王城に残った数少ないクラスメイトじゃないか。僕はもっと仲よくなりたいな」

(その内の一人はあなたが追い出したようなものですが? それ以外のクラスメイトも特に気にかけてもいなかったくせに)


 馴れ馴れしく肩に触れようとする手を素っ気なく払いながら極寒の視線を天道に送る。

 友人の穂高を王城から追放する最後のトドメとなったのが天道の言葉だ。、動けなかった自分を嫌悪する聖だが、それ以上にこの男のことは忌み嫌っていた。


「……いけませんよ、天道君。お貴族様の子女とお付き合いされているのでしょう? 複数の女の子にアプローチするような不誠実な真似は避けるべきでは?」


 とはいえ王城側からの覚えがいい天道を無碍にするのも得策ではない。言葉尻を柔らかくして躱すに留めた。

 尤も天道の振る舞いはお付き合いなどという上品な表現には到底当てはまらず、むしろ放蕩と呼んだ方が近いだろう。

 連日連夜王城側が用意した貴族の姫君(というには過剰なほど性的魅力に溢れていたが)を複数人ベッドに引っ張り込んでは楽しい夜のご乱行を働いていた。この世界の住人はさておき、聖から見れば軽蔑の対象だ。


「なに、英雄色を好むって言うだろう? 彼女たちもこの程度のことにうるさく言わないさ」

(うるさく言わないのは単にあなたを男と見ていないからでは? いえ、馬鹿な男カモネギではあるかもしれませんが)


 と、聖のツッコミもキレていた。

 誰の目から見ても明らかなハニートラップ。女で男を操ろうという手練手管に、天道は彼女たちの真意を疑いすらせずに引っかかっていた。

 自らを英雄と称し、都合の良すぎる待遇の裏の意図を考えようともしない天道の思考回路を聖は理解できそうにない。


(異世界に呼ばれ、分不相応な力を得て、勇者なんて祭り上げられれば本気で自分が選ばれた存在なんて思い込めるのでしょうか)

 

 どうだろう。困惑する者の方が多い気がするし、天道は最初からこの都合が良すぎる境遇を喜んで受け入れていたように思う。

 環境もあるが、やはり生来の気質が大きい気がしていた。


「……すいませんが、用事が立て込んでいて。お先に失礼しますね」

「用事なんて気にすることはないさ。待たせておけばいい。君は僕と同格の《聖女》じゃないか」

(僕と同格、なんて上から目線で言われるようないわれはありませんが? 一緒にしないでくれませんか)


 さりげなくかざした手に宿る光は天道のギフト《極光》の片鱗。文句を言われれば暴力を振りかざすつもりか。本人に聖を脅すつもりはないかもしれないが、だからこそ無秩序で危険な振る舞いだ。

 傲慢過ぎる天道にいい加減うんざりとしていた聖は切り札を切ることにした。


「お待たせしているのは《魔女》様です。あの方に天童君が釈明をしてくれるのなら構いませんが?」


 その言葉を聞いた天道は途端にと身を強張らせた。その顔を見れば苦手意識を抱いているのがありありと分かる。


「う……。あの婆さんか」

「ああ、どうせなら一緒に授業を受けませんか? 《魔女》様の教えは大変タメになりますよ?」


 《魔女》。

 ウェストランドの王城でも独特の立ち位置にいる女傑だ。恵まれたギフトを振りかざす天道をやり込められる、数少ない一人でもある。


(ありがとうございます、師匠センセイ


 そして聖の師でもあった。

 どこを気に入ったのか、いまは聖の後見人のような立場に就き、色々と教え込んでいる。あのワカメ髪の宰相補佐を相手に一言でそれを通したのだから、相当な権力パワーの持ち主であるはずだが、政治的活動に勤しんでいるのを見たことがない。


「いや、結構だ。間に合ってるよ。僕も用事を思い出した。ここで失礼する」

(あら、逃げ足の速いこと)


 光を当てられたゴキブリかダンゴムシのごとくそそくさと退散する天道へ取り繕った笑顔を向ける。


「天道君も頑張ってくださいね。これから練兵場で訓練なんでしょう?」

「ああ、頑張るさ。適当にね」

(またサボり、ですかね。これは。例の魔獣討伐といい、この手抜き癖は本当に――)


 街道の恐爪王ディノレックス討伐の時もそうだった。兵士達が勢子となって森から釣り出した魔獣を《極光》の一閃で両断したところまではよかったのだ。巻き込まれかけた兵士が何人か怪我もしたが、まあギリギリ許容範囲内だ。

 銀光が一閃走り、見上げるほどの巨体がグラリと傾げ、もんどりうって倒れるのはまるで映画のワンシーンのようで、聖も息を吞んで見つめるほど迫力があった。

 最悪だったのはここからだ。

 頭目を失い、右往左往する手下の恐爪竜ディノニクスを前に、兵士から期待の視線を向けられた天道はこう


「一仕事して疲れてしまったよ。それじゃ後始末は兵士に任せて僕らは帰ろうか」


 そして恐爪竜ディノニクスの群れに背を向けて本当に帰っていった。兵士達は唖然としたし、聖も思わず目が点になった。

 いや、そこは自分の手を動かさずとも士気を上げる号令の一つもかけるべきだろうと。

 お陰で兵士達の士気と包囲網に奇妙な空白が生じ、その隙を突いた恐爪竜ディノニクスを少なからず取りこぼした。怪我人も出た。

 同行した聖が混乱した兵士達を落ち着かせ、治療するのにどれほど奔走させられたか。天道がしっかりしていればしなくてもよい苦労だっただけに徒労感はひとしおだ。


「天道君? あまりサボりすぎるとまたお説教を食らいますよ」

「鍛錬だろう? もちろん行くさ。少しは僕を信用してほしいな」

(どの口で……)


 これほど薄っぺらい口約束があろうか。去っていく天道の背中を冷ややかに見つめる聖だった。

 しかしすぐに気を取り直して師の待つ王城の一画へと急ぐ。これ以上あんな男のために一刻たりとも時間を無駄にしたくなかった。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「あのバカに絡まれるとは災難だったね、聖女様?」


 と、《魔女》の私室へ足を踏み入れるなり挨拶を抜きにした最初の一言がこれである。とんでもない地獄耳だ。

 出たな妖怪ババアめ、と育ちの良い聖には珍しく胸の内でこっそりと毒づいた。部屋の主である《魔女》はお見通しとばかりに皺くちゃの顔を歪めてニヤリと笑う。

 彼女は《魔女》アンブローズ。

 その見かけは近世のエンタメ作品に出てくるような妖艶な年齢不詳の美女ではない、いっそ伝統的トラディショナルですらある深い皺の刻まれた鋭い眼光の老婆。私室には怪しげな薬草や鍋、書籍がズラリ。まさにおとぎ話の魔女だ。

 ただし身長は目算で170㎝を優に超え、喪服のような黒のドレス、腰に佩いたサーベルがおとぎ話の魔女と比べて異彩を放つところだろうか。


「お陰様で助かりました。流石はお師匠様、存在だけでご利益があります」

「師匠を魔除けの魔像ガーゴイル扱いできる度胸だけは一人前だね? 将来有望でババアは嬉しいよ」


 ニッコリ笑顔で毒を吐き合う師弟の麗しい構図である。なお周囲の人間は顔色を悪くしていた。


(もうちょっとこう、手心を加えてくれる方なら私も素直に師匠と仰げるんですけど)


 尤も聖も本気でアンブローズを嫌っているわけではない。むしろこの強面の《魔女》を慕ってすらいた。内弁慶なところのある聖が遠慮なく毒を吐くのもそれ故だ。

 まず天道の無軌道な振る舞いを抑え込むストッパーの役割を果たしていることがありがたい(というか申し訳がない。一応は同郷として)。

 それに顔は怖いし、雰囲気は怪しいし、教えは厳しいが、彼女は聖を道具ではなく、異世界からの客人マレビトとして公平に扱い、色々なことを教えてくれた。

 法律、金銭、冒険者制度などこの世界の常識から魔獣の生態知識、帝王学やギフトを抜きにした治療術や薬草の調合法などの秘中の専門技能含め多岐にわたる。その知識の深さはまさに《魔女》だ。

 教えは簡潔に、分かりやすく、実用的。仮に聖が王城から放逐されても身を立てるのに困らないだろう、知識という名の誰にも奪われない黄金だ。


(自分のことは語らない秘密主義ですし。この人、本当にどういった立場の方なのやら)


 聖も当然この《魔女》について周囲に聞き込みをしたが、有益な情報は手に入らなかった。《魔女》について問うとみな一様に口が重くなる。いわゆるアンタッチャブルである。

 お陰でどういう立ち位置なのかいまいち掴めないのだが、あの宰相補佐からただの一言で許可を捥ぎ取っていったあたり、引退したとはいえ相当に高い地位にあったのではないかと推測している。


「さて、今日の授業を始めようか」

「よろしくお願いいたします、師匠センセイ


 いつものごとく、午前中一杯の時間を使って《魔女》からの教えを受ける。なおアンブローズは割と体罰上等のスパルタ教師だ。

 それでも前の世界とは比べ物にならないほどの集中力を宿し、砂が水を吸うように聖は《魔女》の教えを吸収していく。


(……私自身が王城で身を立てて、いつか、穂高君を迎えに――)


 籠の中の鳥でしかない聖では所詮叶わぬ夢だろうか。

 いいや、そんなことはないと自分を鼓舞しながら、聖は必死になって自分に今できることを取り組んでいた。

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