閑話 その頃、王城では

 


 東から昇る太陽の日差しが湖沼都市 《レイク》の王城にある一室に差し込み、住人である眠り姫を夢から優しく引っ張り上げた。


「ふ……ぁふ……」


 少女の印象は一言でいえば清楚なお嬢様。

 ベッドに広がる髪は癖のない黒のロングストレート。トロンと緩んだ寝ぼけまなこも愛らしい顔立ちの中ではむしろチャームポイントだ。


「……………………起きた。起きよう。起きなきゃ。三段活用。できてない」


 かごみや ひじりの朝は早い。低血圧でボーっとしがちな頭で馬鹿なことを呟きながら無理やり脳味噌に気合を入れて精神を覚醒させる。

 本来天然気質で内弁慶な性格の聖だが、親から厳しく躾けられたせいか外面を取り繕うのが上手かった。そのスキルを駆使して寝起きのボケッとした顔をキリッとしたものに切り替える。

 寝室のベッドから身を起こし、軽く身だしなみを整えてから寝巻のまま隣の私室に向かえば、そこには既に準備万端整っていますとばかりに気合が入った侍女メイド達がズラリと並んでいた。籠ノ宮 聖の朝は早いが、メイド達の朝はもっと早いのだ。


(まだ、慣れないですね……)


 異世界の王国、《ウェストランド》の王城に招かれ(誘拐され)てからかれこれ半年。中流階級以上の出ではあっても決してお嬢様などではない聖は他者に傅かれる生活にまだ違和感を持っていた。


(特にクラスメイトがメイドなんて……)


 そのままメイド達になされるがまま水桶の水で顔を洗い、髪をくしけずられ、寝巻を脱がされるのと同時にこの国の神官が身に纏う独特の伝統衣装を着付けられる。

 聖を囲う一人は聖と同じく現代日本から召喚されたクラスメイトだ。彼女は視線が合うと周囲の目を憚るようにそっと微笑み、すぐ職務に戻った。

 幸運なことに強力なギフト《聖癒》を授かった聖とは異なり、彼女のギフトはさして有用でも強力でもなかった。王城側からすればさして価値のない勇者ドレイだ。

 それでも日本では聖と親しかった(と聖は主張した)ことが買われ、聖の侍女(という名の話し相手兼人質)に抜擢され、日々を過ごしている。勇者とはなんだったのか。

 彼女以外のクラスメイトの大半はもう、居場所すら分からない。繋がりは分断され、壊され、孤立させられ、知らぬ間に消えていた。

 異世界の《勇者》だ、《聖女》だと持て囃されたところで聖は所詮王城の魑魅魍魎達に囚われた籠の中の鳥だった。

 どうせ身の回りの世話という名目で付けられたメイドも、見張り役を兼ねているのだろう。


(みんなを救う、なんて大それたことは考えていませんでした。それでも……)


 王城のやり口がおかしいことには初日に気が付いていた。だが結果はこのありさまだ。

 もう少しやりようはなかったのだろうか。最近の聖はふとそんなことを考える。


(……未練、ですね。助けたかったのに一歩を踏み出すことすら出来なかった私がなにを……。ましてや自分の感情で見捨てた人たちすらいるのに)


 友人を、助けたいのに助けられず。あるいは友人を虐げていたいじめっ子たちを、助けようとすら思えず。

 そんな自分が今さら、と自重した。


(私に、そんなことを思う資格なんてないのでしょうけれど……どうか無事でいてください、穂高君)


 せめて友人――穂高陸の無事を祈る。籠ノ宮 聖の朝はそうして始まるのだ。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 沈んだ気分を一度切り替える。これから否応なく一日が始まるのだ。落ち込むばかりではもたない。

 王城のキッチンから私室にまで届けられた朝餉を聖はモリモリと平らげていく。

 主菜にはバターと蜂蜜を使って味を調え、ミルクで煮込んだ温かい麦粥を。副菜には塩気の強い腸詰めや卵と野菜、キノコを使った和え物が並ぶ。デザートにはオレンジやリンゴに似たフルーツの類が多い。

 湖から取れた魚介を使ったレシピも豊富で、ほぐした身を炊いた穀物や野菜、卵、バターや香辛料を混ぜた名物料理が特に食卓に並ぶ。


「食事が美味しいのは、この世界のいいところ、ですね」


 あまり品種改良の類はされていないはずだが、この世界はあらゆる意味で元の世界の常識に当てはまらない。

 生命力が旺盛なのか、どんな食材も味が濃い。一口嚙み締めれば奥からジュワリと栄養が滲み出てきて、それを身体が喜んでいるような感覚がある。特に魔獣と呼ばれる生き物の肉はその感覚が強い。

 少なくとも食材のシンプルな美味しさはこの世界が圧勝だ。


「ふぅ。御馳走様でした。あとは……………………あとは」


 最後に残ったのはこの国でよく飲まれる独特の薬臭さが特徴のハーブティー。正直こればかりは慣れはしても好きになれる気がしない。

 顔をしかめそうになるのを我慢して、聖は水分補給と割り切り一気に飲み干した。


「――――――――」


 口の中に残る薬臭さで顔をしかめるのを気合いで噛み殺し、それまでの食事を楽しむ笑顔からキリッとしたキメ顔へ切り替える。

 なおその落差によって「ヒジリ様はハーブティを飲むことでお気持ちを切り替えていらっしゃるのだ」とある種のルーティーンのように捉えられ、善意から用意されていることを彼女は知らない。


「皆さん、ありがとうございました。それでは、今日のお勤めに参ります」


 朝餉を終え、改めて身だしなみをチェックし、周囲が求める《聖女》としての品位を保てていることを確認。聖は改めて凛と居住まいを正し、部屋から一歩踏み出した。


「「「「「行ってらっしゃいませ、ヒジリ様!」」」」」


 聖付きの一部のメイドを除き、その背中へと全員が一斉に頭を下げる。裏はあっても嘘はない敬意とともに。

 メイド達はあくまで王城側が付けた見張り役に過ぎない。そのはずだったが……徐々に、徐々にその振る舞いで周囲を魅了しつつあることに聖だけが気付いていなかった。

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