第三十三話 ダイナとデート③
鉱山都市 《マイン》は対魔獣戦を想定した三層の城壁からなる巨大都市だ。
とはいえ奥部の第二、第三層は都市の上位層や支配者など然るべき身分の者しか入れない。だから僕ら冒険者にはあまり関係がない場所だ。
逆に言えば第一層までなら出入りは緩い。そして今日は都市の一画で青空市場が開かれる日取りであり、雑多な品物を売り買いするために大量の人が周辺の集落から都市内に流れ込んでいた。
「人、多い……物、いっぱイ」
「ダイナも最初は人混みが苦手だったもんね。でも最近はそうでもないよね?」
「うン。人、色々。物も、色々。見てルの、楽しイ」
行きかう人の波、市に広げられた品物、時折混じる
元の世界の祭りには及ばないけどかなりの人出だ。冷やかしで見て回るだけでも中々楽しい。
♪~♫~♪~
聞こえてくる笛の音に振り向けば、楽士らしき派手な衣装の男が一抱えほどもある楽器を演奏していた。
大きな袋に幾つもの
「♪」
ダイナも立ち止まったまま楽しそうにゆらゆらと身体を揺らしている。
笛の音が気に入ったらしい楽士の前へ案内し、すぐ近くで音の響きを楽しむ。幸いなことにさして見物客はいなかったので僕らは特等席で楽しむことができた。
~♬~♪~♫~
やがて楽し気な演奏はゆったりとした曲調へと変わり……終曲する。
途端、パチパチパチパチと思いがけない音量の拍手が鳴り響く。
驚いて振り返ると僕らの他に数人しかいなかったはずの見物客がいつの間にか黒山の人だかりになっていた。随分と人気を集めたらしい。
帽子を裏返して
「いい曲でした。連れも気に入ったみたいで。大盛況ですね」
「やあ、お陰様で」
その返しにどういう意味かと首を捻ると楽士は苦笑した。
「普段はね、ここまで人は集まらないんですよ。綺麗どころをお連れの凛々しい冒険者様が随分と人目を惹いたらしく。気づけば人が人を呼んだようで、この大盛況です」
凛々しい云々は多分お世辞だろう、うん。女性からはともかく一部の男からやけに熱い視線が僕に向かっているのも気のせいだ。
周囲を見渡せば、確かに多くの視線がダイナに集まっているようだった。冒険者を始めてから随分鋭くなった耳が可愛い、綺麗といった感嘆の籠った呟きを拾う。
注目の的の
いくら何でも、とは思ったが今日のダイナは人目を奪うくらいに可愛い。そしてその花を独占している野郎には死あるべし、といった感じだろうか。
「ともあれ私の音を気に入ってくれたならありがたいことです。どうか今後ともご贔屓に。美男美女に特等席を開けて待っておりますよ」
と、やや芝居がかった仕草でうやうやしく一礼する楽士。
「ま、路上でつま弾くしがない楽士でございますが」
カラリと笑い、オチを付ける辺り楽士であり芸人らしいとつい笑ってしまう。
縁があったらまたと言い交わし、新しい見物客にスペースを開けるため、その場を離れた。第二曲が始まり、再びの拍手が鳴り響く。人が人を呼ぶ人だかりはしばらく途切れそうになかった。
「歌、良かったね」
「良かっタ」
あまり語彙のない僕らなので交わす感想もこんなもの。ただ満足しているのはゆらゆらと楽し気に身体を揺らし続けているのを見て十分に分かっていた。
「喉、乾いタ」
「結構歩いたしね。そこの屋台で絞った果汁でも買おうか」
「焼き串も欲しイ」
「仕方ないなぁ」
市の人出を当て込んだ屋台も多数出ている。その中の一つを指さすと、物欲しそうなダイナに追加でおねだりされた。
苦笑して懐から財布を取り出そうとすると――ドン! と激しい衝撃が身体を揺さぶる。
「気ぃ付けろ!!」
と、捨て台詞とともに走り去っていく男。危ないなと顔をしかめたのもつかの間、懐が軽くなっていることに気付いた。
「あいつ、スリかっ!?」
ギフトか、自前の技術か。ともかく驚くほどの鮮やかさで男は僕から財布をスリ取っていった。
ある種の職人技に驚きつつ、もちろんカモられたままでいるつもりは欠片もない。
早く人混みに紛れようと走り去る男だが、まだ僕の視界から外れていない。つまりは射程範囲内だ。
「《アイテムボックス》、発動っと」
次の瞬間には僕の手の中に財布が
本来 《アイテムボックス》は他者から物資を強奪できない。が、僕の規格外ギフトはどうやら自衛行動の範囲内ならこのルールを無視できるようだ。
つまり赤の他人から不正に物を盗るのはアウト。盗人から物を取り返したり、敵対者から装備を奪うのはセーフといった感じ。
なお条件が条件なのであまり詳しい検証もできておらず、細かい落とし穴があってもおかしくはない。
「――? ――――!?!!?!??!」
見れば突然懐が軽くなったスリの男も困惑し、逃げるのも忘れて混乱しているようだった。
まあ盗ったつもりがいつの間にか盗られていたとなれば無理もない。
「おーい!」
大声で呼びかけ、両手を振って、男と周囲の注意を惹く。
僕の手の中に自分の財布を見つけたスリの目が飛び出るほど仰天している姿が見えた。
「ぷふッ……!」
その仰天顔がよほどおかしかったのか隣のダイナが思わずといった風に噴き出す。
ダイナの自然な笑みが見られた分多少は寛容な気分になっていたが、やられたら倍返しがエフエスさんの教えなので、犯罪者には厳しく当たることにする。
(それじゃ目には目を、歯には歯をってことで)
この世界に来てからモリモリ魔獣の血肉を平らげ、冒険者として修羅場を潜り抜けたお陰で僕も随分と鍛えられた。今なら遠投で相当な飛距離が出せるはず。
「ふんっ!!」
その身体能力を十分に活用し、スリの財布を持った右手を大きく振りかぶり――男の逆方向へ思い切りぶん投げる!
結構な勢いで遠ざかっていく自身の財布にスリの男は大いに焦った顔をした。
さて、どうする?
真っ直ぐ向かえば僕らとすれ違うし、迂回してちゃ絶対に他の奴に盗られるぞ。そのために周囲にわざわざ財布の存在をアピールした訳で。
(まあ、どっちでもいいけど)
スリの財布をぶん投げた時点で僕の仕返しは終わっている。男が財布を取り返そうが、憲兵に捕まろうが正直どうでもいい。
「それじゃ、行こうか」
「うンっ」
その後、ダイナにおねだりされた果汁と焼き串を買い求めて楽しみ、市場を回り、たまの贅沢で嗜好品を買い求めてみたり。
ちょっとしたトラブルを挟みつつも、僕らはデートを楽しんでいた。
「王都の《勇者》が街道の群竜を――」
「《聖女》様が死にかけの兵士を助けたとか――」
そんな、微かな風の噂を聞き流しながら。
◇◆◇◆◇◆◇
そうして楽しい時間は瞬く間に過ぎ去り、あっという間に夜になった。
そして僕達が向かったのはすっかり馴染みとなった感のある『フロースガルの竈亭』である。
芸がないと言うなかれ。基本的にこの世界はあまり娯楽方面が発達していないので、健全に楽しむとなると美食方面が一番手っ取り早いのだ。
あと女性陣には散々お世話になったのでここで竈亭を利用しないのは不義理に過ぎる、というのもある。決してニッコリ笑顔のお三方から遠回しに圧力をかけられたわけではない。ないったらない。
「美味しイ。ベオの料理、好キ」
と、満面の笑みを浮かべて物凄い勢いで出てきた料理を平らげていくダイナである。
事前に予約を入れ、日頃からこつこつストックしていた魔獣の肉をありったけ渡して朝から下準備に入ってもらっていたはずなのだが既に相当な量がダイナの胃袋に収まっていた。
メニューは単純なステーキ。だが刻んだ野菜と幾つかの調味料を合えて熟成させた褐色のソースとの相性がいい。
ジュワリと溢れ出す肉汁ごと切り分けた一片を頬張るとソースと絡み合い、豊かな風味が舌の上で踊る。僕もダイナほどではないが魔獣肉のステーキを楽しんでいた。
(まあ、ダイナを笑顔にできたなら安いものかな)
と、財布から飛んで行った代金のことは考えず目の前の少女が浮かべる笑みだけを見る。心の底から満足げな様子に僕はまあいいか、と苦笑した。
そうするうちに僕ら以外の客も増え、賑やかになり、馴染みの客から「逢引きか」と冷やかされては中指を押っ立て、出てくる食事を楽しむ。
「御馳走様でした」
「ごちそウさまでしタ」
流石のダイナも満足そうにお腹をさすりながら食事を終えた。
そうして食事がひと段落し、客足も落ち着いたかというタイミングで。
~♪~♫~♬~
僕らの耳に勇まし気なメロディが届く。
この店の名物の一つが楽曲。奥さんが弦楽器を爪弾き、娘さん二人達が歌う冒険者御用達の歌唱曲『英雄の調べ』だ。
途端、食事を済ませていた冒険者の一人が立ち上がり、朗々と調子っぱずれな歌を合わせ始める。そのへたくそっぷりに野次を投げる者はいても、黙れと叫ぶ者はいない。大体みんな同じ穴のムジナだからだ。
メインの客層が冒険者。あまりお上品でないこの店では歌が始まれば客のみんなで大合唱。気付けば隣の見知らぬ冒険者と肩を組んで歌っているのが『フロースガルの竈亭』だ。
正直僕はちょっと苦手なのだが、ダイナはこの店のこういうところを好んでいた。しかも中々の美声の持ち主で、娘さん達からも「筋がいい」と色々手ほどきを受けている。実際かなり上手い。歌詞の意味を理解せず、音程と発音を完コピした類の上手さだが。ダイナはかなり耳がいいのだ。
「♪~♫~♪~」
ダイナが歌う。伸びやかに、楽しげに。
この店に集まる冒険者はノリがいい。新たな歌の上手い美少女というスターの登場にやんやと喝采が上がり、一番目立つ奥さんたちがいる中央へと誘導される。半分アイドルみたいな扱いだ。
そして夜が更けるまでダイナは楽しそうに歌い、僕はその姿を眺めていた。
◇◆◇◆◇◆◇
夜もいい具合に更け、フロースガルの竈亭の騒ぎもお開きになった頃。僕らは宿へ帰るため、月明りとランタンの明かりを頼りに夜の大通りを歩いていた。
流石巨大都市マインと言うべきか、僕ら以外にもちらほらと夜道を歩く人たちが見える。衛兵も巡回しているし、治安はいいようだ。多分酔っぱらった下層労働者の喧嘩がヒートアップしすぎないように監視しているとかの意味もあるのだろう。
「♪~♫~♪~」
竈亭での余韻を残しているのか、鼻歌を歌いながら跳ねるような足取りで歩くダイナはとても機嫌がいい。今日一日を目一杯楽しんでくれたようだ。
僕の少し前を歩くダイナがクルリとターンして僕の方へ振り替える。
「今日はね、すごく楽しかっタ。だから、お礼すルね?」
「お礼? いいよ、ダイナが楽しんでくれたならそれだけで――」
と、首を傾げて断ろうとする僕を遮り、距離を詰めたダイナ。シャツの首元を捕まえてグイと僕を引っ張ると、視界の中でダイナの唇がアップになり――、
「
チュッ、と。
僕の頬に、暖かくて柔らかい感触が……。
「? これ、なんか変ダね。不思議、とってモ不思議」
エヘヘと何故だか頬を赤らめて笑うダイナの方を、僕は見ることができなかった。
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