第十二話 王級個体

「……お見逸れしました。流石は師匠センセイであります」

「フフン。気分がいいわ、もっと私を讃えなさい」


 えっへんと子供のように胸を張るエフエスさんに僕は苦笑を返すしかなかった。

 そんな他愛のないやり取りを続けようとした――――その瞬間、とした悪寒に背筋が粟立つ。


「――――!?」


 ヒリつくような嫌な気配に押され、二人揃って振り向く。その先には薄暗い闇を湛えた森があった。

 叩きつけられたイメージは僕たちを観察する爬虫類めいた黄金の瞳。温度のない視線が僕たちに向けられているのを感じ取る。

 その感覚が嘘ではないことをを示すようにエフエスさんがさっきまでとは比べ物にはならないほど緊張を見せ、油断なく辺りを伺っている。既に大弓を構え、弓弦に矢をつがえていた。


「……師匠センセイ

「私の合図を待って、いざとなれば全力で街道を逆走しなさい」


 緊迫した空気の中問いかけると返ってきたのは落ち着いた声。とはいえ内容はとても安心できるようなものではない。足手まといを守っている余裕はないから逃げろ。要するにそういうことだ。

 瞬く間に恐爪竜デイノニクスを三頭射殺した凄腕ですら油断の出来ない強敵が、森という覆いヴェールを一枚挟んだ向こう側に存在している。

 ――――Rururuルルル……。

 ほんの微かに聞こえる唸り声。

 森だ。

 森の奥から焼け付くような敵意、悪意、あるいは……を感じる。僕がこれまで受けた虐めなど比ではない、圧倒的なまでの圧迫感プレッシャー

 プレッシャーに押され、喉がカラカラになる。額から汗が吹き出し、恐怖の許容量が限界を超えそうになる。恐怖に負けた僕が一歩後ずさろうとしたその時。


「落ち着きなさい」


 エフエスさんは笑っていた。微かに微笑んでいるようなアルカイックスマイル。

 修羅場に敢えて肩の力を抜き、大きくゆっくりと呼吸すれば自然とそうなるのだと僕は後に教わった。


「大丈夫よ」


 端的に、一言だけ。

 だがその力強い一言に僕は高まりすぎた緊張を解すことが出来た。


『……………………』


 互いの間を測り合うような沈黙が続く。

 数分、十数分。あるいはもっと短い時間か。

 ジリジリと神経にやすりをかけられるような緊張が不意に緩んだ。


「……フゥゥゥ。もういいわ、警戒を解きなさい」


 エフエスさんが大きく吐いた息がキッカケだった。緊張とともに構えていた大弓の弓弦にかけた指をゆっくりとおろした。

 僕自身も張り詰めた緊迫感から開放され、大きく息を吐いた。


「去っていったわ。幸運ね、足手まといを抱えて相手にできるレベルじゃないわよ」


 見るとその額には冷や汗がジットリと滲んでいる。


「……間違いなく大物ね。王級個体かしら。ギルドにも注意喚起を出しておかないと」

「王級個体?」

「狩猟難度に関わる魔獣の個体等級の一つよ。種族等級とはまた別で……。講釈はあとね。さっさとここを離れましょう」

「大賛成です」


 諸手を上げて歓迎だ。森を挟んで直接のご対面こそなかったものの、と一日に二度も出会いたくない。


「と、その前に。弟子、アレ回収」

「イエス、マム」


 エフエスさんが指差した先には射抜かれて倒れ伏した三頭の恐爪竜デイノニクス

 エフエスさんに逆らうことなど考えもしない僕はすぐ《アイテムボックス》へ回収した。便利ギフト《アイテムボックス》にしまった物品はまらうで時間が止まったように腐敗や劣化をしないらしいのでナマモノをしまっても問題ない。


「時間と余裕があれば解体作業も教えたかったんだけどね」

「そんな場合じゃないですからね」


 腰の剣鉈を示して残念そうに言うエフエスさん。僕もそれに相槌を打ったが本音はもうちょっと段階を踏みたい、だ。いつかはそれをするにせよ、生き物の臓腑をかき分けて血に塗れる作業はもう少し心の準備をしてからがいい。

 とここですっかり忘れていたあることを思い出す。


「……そういえばあのチビ竜はどうなりましたっけ」

「あっ」


 この邂逅の発端となったチビ竜をふと思い返して話題に出すとエフエスさんも今思い出したと思しき声を漏らした。

 改めて例のチビ竜がいた辺りを見るとダラリと伸びた姿で死んだように横たわっていた。

 よくよく観察してみるとかなり小さい。大きさは追いかけ回していた方と比べて半分以下だ。大きめのレトリーバーくらいだろうか。個体差では収まりそうにないのでやはり子どもと見るのが妥当だろう。

 近づいてしげしげと眺めると余計にその小ささが際立って見えた。全体的に小さく丸っこく、成長しきっていない感じだ。


「寝てるわね」

「倒れたの間違いじゃ? 震えてますよ。ビクンビクンとこう、不健康な感じに」

「ほんとね。さっきの殺気が堪えたのかしら」

「……えーと、笑ったほうが?」

「洒落を言ったわけじゃないわ。その尻を蹴飛ばされたくなきゃ黙ってなさい」

「アイ、マム」


 洒落にならない威力のケツバットが来そうだったので大人しく敬礼して師へ服従を示した。

 僕は基本的に長いものには巻かれる主義なのだ。ただ巻かれるものを選ぶ権利くらいは僕にもあると思ってるだけで。


「さて、と。どうしましょうかね、これ」


 断続的な痙攣が収まり、グッタリと横たわる子竜を前にそう呟いた。迷っているというよりは関心が薄いという感じだ。どうなっても構わないから逆に悩んでいるというか。


「……んー。あんまり気が進まないけどヤりますか」


 数秒後、言葉通り若干不本意そうな表情でエフエスさんは腰の剣鉈を抜いた。

 その刃先を向けるのは僕……ではなく死んだように横たわるチビ竜だ。正直一瞬ビビった。


「ちょっ……。なにするつもりなんですか!?」

「始末するのよ。心臓を潰して頸動脈を掻き切る。一番苦しまない殺し方だわ。見逃すのはダメ。こういう頭がいいのは育つと厄介だから」


 僕は思わずその軽い言葉に潜む残酷さと厳しさに息を呑んだ。

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