第三話 冒険者ギルド


 そして王城から城下町へ下り、荷台を牽いて走る竜に驚いたり道を尋ねたりしながら数時間。

 僕は何とか冒険者ギルドと呼ばれる建物に辿りついた。

 扉を開けてギルド内部を見渡すとそこそこの人の群れ。武器や鎧を身に着け、荒っぽい雰囲気の人が多い。


「あの、すいません」

「ようこそ、冒険者ギルドへ。ご用件をどうぞ」


 受付に座っていた若い女の人に声をかけると滑らかに手続きは始まった。

 青みがかった長髪をキツメに纏め、制服をカッチリと着こなした冷たい感じの美人だった。


(…………なんだろ)


 だが気のせいだろうか。

 ギルドに入ってきた僕の身形を一瞥すると、受付嬢の口元が一瞬だけ弧を描いたような…。


(笑った? なんで? ……ただの考え過ぎ、か?)


 あんな出来事の後で、神経が過敏になっているのかもしれない。

 気にし過ぎと流すことにした。 


「ここで冒険者の登録が出来ると聞いてきたんですが…」

「かしこまりました。ではまず必要事項の記入と登録料をお願いいたします」

「分かりました。……あ」

「どうかされましたか?」

「……その、文字が読めなくて」

「ああ…やはり」


 考えてみれば当たり前の話なのだが、異世界の文字は全く読めなかった。

 何故だか言葉は通じるので、その当たり前の事実が頭からすっぽ抜けていたようだ。


「読み書きが出来ない場合、ギルド員による代読・代筆を承っております。ご利用されますか?」

「……お願いします」

「かしこまりました。では登録料と合わせ代読・代筆料はこのように――手続きですが、まずこちらの事項から――」


 その後は淡々と受付嬢と会話しながら登録を進めていった。

 それにしても代筆・代読料は予想外の出費だった。早めにこちらの文字を勉強しなければ、と思いつつ手続きを進め。


「――これにて冒険者登録は完了となります。こちらがギルドで身分証明の証となるギルドカードです」


 と鈍く光る金属で出来たプレートを渡された。

 プレートには異世界の文字が刻まれていた。恐らくは僕の名前が記されているのだろう。


「他にご質問やご要望はございますか?」

「ギルドでは手持ちの資金を預かってくれると聞いたんですが」

「はい、クエストに赴く冒険者のためにそうしたサービスも行っています。預かるのは金銭に限定。装備やアイテムは承っておりません。また一定期間ごとに預かり料が発生します。クエストから長期間未帰還となった場合、預かり金はギルドが接収することになっております。

 ご了承の上でこのサービスをご利用なされますか?」

「利用します」

「かしこまりました。ではお預けになる金銭をこちらにお出し下さい」

「……? はい」


 一瞬、違和感を覚える。

 だが受付嬢の案内に従い、懐から革袋に入った所持金を取り出した。

 当座の資金として銅貨を十数枚、そして銀貨を数枚ほど懐に残してそれ以外は全てだ。


「では金銭に付いてともに確認を――はい、確かにご申告の枚数の貨幣を確認致しました。それではこのままお預かりさせて頂きます」


 そう言って素早く受付台の上から革袋を取り上げると奥の方へと足早に立ち去ろうとする。

 

 この時点で更なる違和感を覚えた。


「あの、待ってください」


 危機感に押され、背中を向けて立ち去る受付嬢さんに声をかける。

 だが彼女はまるで聞こえなかったように進み続けていく。そのままギルドの職員用スペースへの入り口と思しき扉を潜ろうとしていた。


「待ってください!」


 大声で呼びかけると、ようやくくるりと振り返った。

 その顔は平然としたすまし顔だ。


「いかがされましたか?」

「……冒険者登録には書類を書くのに、お金を預ける時は書かないんですか?」


 ありえない、と思いつつ確認する。

 扱っている金銭の額が明らかに後者の方が大きい。

 それなのに受付嬢さんのこの振る舞いは……考え出すと嫌な予感しかしなかった。

 その嫌な予感を裏付けるように受付嬢さんは不思議そうに首を傾げ、こう言い放った。


「何を仰っているか分かりかねますね。預金手続き? なんのことです?」

「………………………………………………………………は?」


 唖然とした。

 真正面からしらばっくれる彼女に怒りよりも驚きが勝った。

 あまりに堂々とした言い草に一瞬僕の方が間違っているかと勘違いしそうになったくらいだ。


「待ってください。ならその手のお金はなんですか?」

「これは貴方とは別件でお預かりした金銭ですが…いい加減に良く分からないことを言うのは止めていただけますか? 


 堂々と。

 後ろめたいことなどなにもありませんとばかりにデタラメを述べる受付嬢。

 ことは単純だ。

 この女はいままさにカモからなけなしの金を毟ろうとしていたのだ。恐らくは僕が王城から追放されたばかりの身の上であることすら推測した上で。

 冒険者ギルドの受付嬢が冒険者を相手に堂々と金銭を騙し取ろうとするとは……僕はこの世界の汚さ、モラルの低さをまだ甘く見ていたらしい。


(また、か…。この世界にマトモな考え方を持った人はいないのか!?)


 人の物を盗ってはいけない。こんな当たり前の倫理をこうも堂々と破られるとは。

 王城のモズク頭ことロバ―ズ・ガイアックスに続いて二度目の横暴に思わず怒りではらわたが煮えくり返りそうになる。

 感情のまま怒鳴り散らそうとしてふと疑問が脳裏にちらついた。


(待て、よく考えろ。この女、なんでこんなに冷静なんだ?)


 周囲を見る。

 僕が大声を出したからだろう。それなりの人数が僕と受付嬢に注目していたが、介入の気配はない。同じギルドの受付嬢達ですらだ。


(……まともに考えれば、ギルド員は止めるべきだ。ギルドの信用に関わるんだから。なのにそれをしないのは……?)


 グルグルと思考を巡らせる。

 とは言ってもなにも難しい話じゃない。


(そもそも身分も人脈も金すらロクにない僕がギルドの受付嬢を詐欺師だと騒ぎ立てたとして……誰がまともに受け取ってくれるんだ?)


 身一つでこの世界に放り出された僕はれっきとした社会的弱者だ。頼りの金銭もさっき騙し取られた。

 そんな僕が何か訴えても耳を傾けてくれる奇特な為政者がいるか? 王城から追放されたばかりなのに? 賭けるにはかなり分が悪そうな選択だ。

 受付嬢が余裕を見せつけている理由を悟る。

 これは思った以上に絶望的な状況だ、乾いた笑いが出そうなくらいには。


(だからって…このまま泣き寝入りするのか?)


 葛藤する。


(でもここで仕事にありつきたいなら下手に騒いで悪印象を植え付けるのはマズイ…)


 恐らくはこの損得勘定も計算に入れてのあの笑みなのだろう。

 あの受付嬢を詐欺師だと非難して悪印象を得るか、黙って引き下がるか。最悪の二択を押し付けられた。

 どちらがか最低の損得勘定をグルグルと頭の中で働かせる。


(いや、待てよ)


 そうする内に不意に気付く、悪魔的な第三の選択肢に。

 普段なら思いつきもしない裏技だが、この追い込まれた状況が僕にそれを気付かせた。

 出来るか否かで言えば、倫理観を投げ捨てれば多分出来る。召喚時、僕に宿ったというギフトに「やっちまおうぜ」と囁きかけられた気がした。

 それでもなけなしの良心に迷う僕へ、上辺だけは取り繕った綺麗な笑みを浮かべる受付嬢がトドメを刺した。


「妄言はもうよろしいですか? ギルドの受付嬢も暇ではないのですが」


 詐欺師紛いの悪徳受付嬢が小首を傾げてこの言い草だ。

 その憎たらしい卑怯なやり口に沸いた怒りで堪忍袋の緒が切れた。


(《アイテムボックス》、発動!)


 行動の踏ん切りをつけるため、トリガーとなる言葉を胸の内で叫ぶ。

 騙し取られたとはいえあの革袋の中身はまだ僕の所有物モノだ。ならば僕のギフトで思う通りの真似も出来るはず――!


(よし、成功)


 《アイテムボックス》の収容スペース。感覚としてしか分からないその空間に、一瞬前まで存在しなかったアイテムが加わったことを感じ取る。

 対し、受付嬢は今起こったことに気付かずそのまま悠々とした足取りで職員用スペースへと去っていこうとする。

 職員用スペースへ回って革袋の中身を確かめた時、彼女はしてやられたことにに気付くだろう。その悔しげな顔を拝んでやりたいものだ。

 あとはあの悪徳受付嬢に天罰が下らないことだけが残念だと一抹の無念さを感じながら、その背中を見送った。その瞬間――、




「――そこの受付嬢、待ちなさい」




 どうやら神様という奴はいるらしい。

 氷のように凍てついた声音が再び受付嬢の足を止めた。ただし今度は僕を相手にした時のような余裕はない。欠片も無い。

 振り返った受付嬢の顔には露骨な焦りと冷や汗があった。

 凍てついた声の主を探して視線をさまよわせ、気付く。

 、とギルドの空気がざわめいていた。

 視線が集中する一点にその人はいた。

 僕だけではなく、ギルドの誰もが彼女に注目していた。


「なんだ、あの女? 見ない顔だな」

「知らないのか。エフエスだ」

「真っ白な髪にデカい眼帯。奴がソロでBランクにまで昇りつめたあの…!?」

「噂に聞く流れの一匹狼か? 怪魚竜の討伐で王都に来ているとは聞いていたが」


 漂白されたような真っ白な髪に顔の右半分を覆う眼帯が特徴的な、軽装の鎧を着込んだ小柄な女性。

 傍らには装備らしき磨き込まれ、鈍い光を放つ無骨な大弓と剣鉈。

 彼女にまつわるざわざわとした噂話を他所に、僕は彼女に目を奪われていた。


(う、わ…ぁ)


 純白の髪と対をなす漆黒の瞳がこちらに向き、不意に視線が合うとビリビリとしたショックを受ける。

 生命力と言うべきか、生き物としての力強さが段違いだと直感的に感じたのだ。

 体の線は細く小柄で頼りなく見えるのに、その立ち姿には不思議な安定感がある。

 脆く儚い、だがしなやかで柔軟。

 野生に生きる中で傷を負い、適応し、獲物へ突き立てる牙を得たアルビノの捕食者プレデター。そんなイメージだ。

 ――これが、僕と師匠ことエフエスさんの初めての出会いだった。

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