第28話
懐かしい匂いだ。水の匂い――――水の匂いってなんだ?
目を開ける。大きく息をした。
ふぅ……息ができる……あれ、まだ水中だよな? 息……できるぞ? なんかこの感覚、嫌いじゃないな。身体も軽い、中に浮いてるみたいだ。
ちょっと動いてみるか。脚で地面を蹴る。するとまるで宇宙に居るかのように身体がふわっと浮いて、ゆっくりと落ちて行った。
うお、面白い。無重力感覚。
よし、行くか。
「待ってろよ、すぐに追いつく。」
地面を蹴り、走る。水中で走るとはなんとも奇妙な行動だが、割と気持ちがいい。何より速い。
水中でキラリと光る、一つの人影が見えた。金髪も楽じゃ無さそうだな。
「アラル……だっけ? まぁいいや、すぐに追いつく!」
アラルはこちらを見た。舌を打つかのような仕草をした後、すぐに踵を返し、別方向へ泳いでいってしまった。
「あ、待て!」
走って追いかける。俺は地上と同じ速度で走れる。そしたら当然、俺の方が速い。
すぐに追いつき、アラルの前に立ち塞がる。
「旗を取ったくせに次から次へと……小癪な奴め!」
アラルの蹴りを避ける。粗末な蹴りだな。俺の目的はこの旗を取り返すこと! 手を伸ばすと、旗まであと少しのところで避けられた。
「おれの邪魔を、するな……道を、開けろおぉぉぉぉ!」
アラルが姿勢を低くし、拳を振るう。これは……強い!
『しゅーりょー!』
その声がしたと同時に、アラルの拳が俺の腹に当たる寸前で、止まった。
視界は変わり、さっきの体育館のような場所に出る。ウェットスーツに染みていた水が、バシャリと音を立てて床に叩きつけられる。
『えー、世界水中旗取り規則、第三章二条三項、[チームが二つしか残っておらず、片方のチームの酸素が既に止まっている場合、酸素の供給がある方のチームの勝利とする。]に基づき、緑チームの勝利!』
少し間を置き、歓声が何処からともなく聞こえてきた。ただ、少し、観客の姿が見えないのが悲しい。
サクッと着替えを済ませた。次は流鏑馬。ノリで出ると言ってしまったものの、馬に乗れる気がしないのが現実。
聞いたところによると、俺が着替えていた間にも流鏑馬は始まっていたらしい。それだけ時間が切羽詰まっているということだろう。
グラウンドの入口へ向かうと、沢山の弓と矢筒が置いてあった。
適当なところから弓と矢筒を取る。結構ずっしりと重たい。腰のあたりまで持ち上げて、入口の扉を開けようとすると、後ろから顔がすっぽりと入るヘルメットを被せられた。幸いにも、視界の部分はガラスのような透明な板で見えるようになっている。
後ろを振り向くと、体育着を着た若い男性教師がいた。
「では、もうすぐ終わるので、行ってください。」
扉を開ける。するとグラウンドのすぐそこには、黒く、美しい毛並みの大きな馬がいた。
そよ風が当たるのを感じる。いや……これは……鼻息だ。
『さぁ、続いてのチャレンジャーの暴れ馬は、よもやよもや! 当校最強の暴れ馬! テンショー!』
「あっ……暴れ馬!?」
思わず声が出る。暴れ馬なんて聞いてないぞ。
『テンショーは、三年生の戦闘学で騎乗した生徒を、ただ一人を除いて何人も振り落とし、落とした生徒を全て重症にした我が校の誇る暴れ馬!』
え、やばくね? とりあえず、乗れという空気になってきたので、馬によじ登って跨がる。
とりあえず、大人しくしてくれていて安心した。
『よーい……スタァァァトッ!』
急にスタートの合図がかかると、馬はこれでもかと言う程に身体を振り回しながら走り始めた。
「こぉぉぉれぇぇぇはぁぁ!?」
もう既に的を二つほど通り過ぎた。しがみついているのが精一杯だ。早く体制を立て直さねば。
「このっ……落ち着けっ。」
震える手で馬の背中をペシペシと叩く。その一瞬で的を更に五つ通り過ぎた。何か実況が聞こえるが、聞いてる余裕などなかった。
刹那、身体が馬のサドルから離れた。まずい! 咄嗟に左手で馬の尻尾を掴む。右手でも掴みたいところだが、そこに力を入れると左手が離れてしまいそうだ。
「落ち着けよっ……!」
尻尾がぶるんぶるんと振るわれる。酔いそうになるも、焦りからか直ぐに酔いが覚める。
ぐぬぬ……腹が立ってきた。
「おい、テンショー。」
名前を呼ぶと、馬は少しこちらを振り返った。しかし、直ぐに正面を向いてしまう。
「減速だ。」
普段の声色と違う声が、喉の奥から飛び出すように出てきた。その瞬間、馬の全身が少し痙攣し、尻尾がぐんと動き、上に戻された。途端に動きがゆっくりになる。
『おおっと、テンショーの動きが急にゆっくりになりました!』
やればできるじゃんか。
頭を撫でてやろうと思って顔を見ると、馬はゼエゼエと息をしていた。
『なんと、疲れただけだったー!』
くそっ、一瞬でも褒めようと思った俺が馬鹿だった。でも、これで狙えるようになったな。
俺は弓を引く。利用できるものは、利用できるだけ利用させてもらうぞ。
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