ピアノを弾き続ける乙女

 コツコツとした乾いた靴音が静かに響き、風が意志を忘れたのを思い出す様にときたま私の肩を揺らす。

 途中に窓が一つあったので、少し覗いてみると異次元空間のようなヘンテコな渦巻きが浮かんでいるだけだった。


「この世界はそのようにできているみたいだよ」

 ルウは、初めから知っていたかのように口元にかすかに笑みを浮かべた。


「まるで知っていたかのような回答ね」

「そうかな。僕はこの近くを少し探検していたからね」


そう言って、ルウは足元にあった石をその区間へ投げ込んだ。

すると、石は一瞬でその空間内に吸い込まれていった。


階段を上がり切ると、部屋が4つあった。


「まずは手前のこの部屋からみてみよう」


ギぃといふるい木でできた引き戸が音を軋ませる。

その向こうには一人の女の子がピアノを弾き続けていた。


 —―ラカンパネラ。イタリア語で鐘を意味したパガニーニの曲をピアノ版にリストが書き下ろしたとされるこの曲。

ピアノが引き出せる最大限の美しい憐憫さと繊細なタッチが必要とされるこの曲。手が小さい人には致命傷なほど難しいこの曲。

 私はなぜだかそれを知っている。私のことは知りえないのに知識だけはどうもこびりついて私の中に存在する。

 女の子はいつも同じ旋律で間違えてふっつり音が途切れる。そして、少し時間がたった後また同じ楽譜の場所へ戻り、何度も機械の様に繰り返していた。


「こんにちは」


声をかけたが、返答は何も帰ってこない。


それから、この部屋をぐるっと見渡した。

簡素なベッド、粗末な朽ちた木のテーブル。蜘蛛の巣にまみれたヘアドレッサー。


「なんだろう」

一番気になった木のテーブルの近くへ寄る。よく見ると引き出しが二つある。


左の引き出しからは、成績表が出てきた。

中学3年生 名前は、佐々岡 美穂 と書かれていた。無粋だと思いつつ中を開けるとオールAの成績だった。どうやら相当優秀らしい。


右の引き出しからはメモと筆記用具が出てきた。


「満たされていない人に愛をあげることは正しいのか。私は削れていく一方であるのに。私はあの子じゃないのに」


その横にある蜘蛛の巣にまみれたドレッサーからは、割れた鏡がじゃりじゃりと出てきた。

その下に家族写真が置いてあった。四人家族だろうか。父親らしき人が車いすを引き、その車いすに乗っている少女は、花束を抱きかかえて幸せそうに微笑んでいた。その横でつまらなそうに唇をぎゅっと引き締めた女の子が母親に手を引かれてむっすり写っていた。


簡素なベッドの上には機械時計がたくさん置いてある。全て針は、10時10分を指す。どうやら新品のようだ。こんなところで眠れるのだろうか。

私だったらこんなベッドの上で絶対目覚めたいと思えない。

その枕元に唯一その部屋に異質な形で煤まみれのクマのぬいぐるみがその部屋に置いてあった。

……なんだろう。汚い。何度も修理されたような跡が痛々しくそこに鎮座していた。mika?この人形の名前だろうか。耳のあたりに刺繍が施されている。


「ルウ、何か発見したことあった?」


そう話しかけると、ルウは、この女の子に何度も話しかけようと試みたようだったが、返答はなく、身体を少し触ったが、凄く冷たかったと話していた。


 私は、それを聞いてその女の子の近くへ寄った。

 女の子が間違えるフレーズで、正しい音を出そうとした途端、その女の子は絶望と気味の悪い目玉をぎょろりと向けたかと思うと、寒気だつ様な形相に変わり食屍鬼のごとく私たちを食いつぶそうと血走った目で襲ってきた。


「ちょっと!」


言いかけたが早いか、女の子いやその化け物は、周りのものをどんどんとなぎ倒していく。そしてなぎ倒された空間はどんどん歪み、世界そのものが崩壊していくようだった。


「これどうすればよいの?」

「わからないよ!とりあえず出口まで逃げよう」


気味の悪い有毒な表情に戦慄し、その部屋から私たちは必死の形相で逃げ出したのだった。




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