第二章(後)
城内は、まぁ豪奢だ。金満主義というわけではないが、権威を示すために贅をこらしているというふうの装飾がされている。
王宮の近衛兵が一列になって僕を迎え、セレニケに導かれて歩く僕を視線だけで品定めしているようだ。まぁ、珍しいだろうから。
先導され、王宮右翼の廊下を進んでいく。道すがらメイドや他の警護の兵ともすれ違うが、誰も僕に動揺しない。かなり教育されているようだ。王族ともなれば、侍らす人間も一流を集めるのだろう。
「ジニス様、こちらです。ここから先は殿下のお許しかご質問がない限り喋りませぬよう」
僕は首肯する。喋らなければ良いのなら、気楽だ。
セレニケが入る旨をノックで伝えると、室内から「入りなさい」と確かな返事がある。僕は彼が部屋に入るのに続いて、王族の部屋へと足を踏み入れた。
入るなり僕は室内を走査した。家具やカーテン、窓から差しこむ日光で作られた影など、死角は多い。まぁ感熱走査に切り替えれば、潜伏者は簡単に明らかになるけど。
そしてセレニケの主である王族は、ベランダと一体化したようなガラス張りの部屋の真ん中にいた。
白い、真珠のような光沢を放つ生地で織られたドレスに青い髪がよく映える。髪は長いようだが後頭部でくるくると銀細工の髪飾りでまとめている。ドレスも装飾の一切無い簡素なものなので、僕は彼女が質素さを好む類いの王族なのかと勘違いした。
その実は、手元や机の上に並べているガラス細工の特異な形をした容器を視認したことですぐに理解できた。彼女は何かの実験中なのだ。
「——レトヴィア様。地球政府より警護のものが参りました。お目通り願います」
「後になさい。これが見えないのですか? 『秘薬』の調整中ですよ」
「もう工程も終わりでしょう。どうか……」
セレニケが深々と頭を下げて懇願すると、レトヴィアというそのやんごとなき存在は、大きくため息をついてこちらを振り返った。
声から察したとおり若い娘だった。だが、容姿がこれまで見てきた惑星の住民とは異なっている。淡い青の髪ではあるが、瞳はスミレ色。そして肌は褐色で、ともすれば民族が異なるのではないかと思える。しかし眼は鋭く、唇は不用意に動かさない意志を湛えている。確かに王族なのだろう。眼の測量器が割り出した背丈は一七三センチ。かなり背が高いが、ガッチリしているワケではなくスラッとしている。
レトヴィアはスミレ色の瞳で僕をスッと見ると、眼を細めて——というか、しかめた。
「薄汚いその男ですか。セレニケ」
どうやら僕のことらしい。女性にしては低く凜然とした声。気の弱い下男なぞ、呼びつけられたら膝が笑うのではないだろうか。
そんな声で尋ねられたセレニケは肯定するしかなかった。
「殿下、どうかお言葉にお気をつけ下さい……」
諌められたレトヴィアは面白くなさそうに鼻で嗤った。そして手元のガラスチューブで波打つ虹色の液体を、テーブルの上に鎮座する水銀のような液体が入った大瓶へと加える。僅か数十㎖程度の虹色の液体は、水銀色の液体をあっという間に同じ色に染め上げた。
——何の反応だ?
「セレニケ。なぜ星の外の人間に頼るのです。この星、ニェラータの人類は選ばれし種なのですよ」
「殿下、星の外にも文明がございます。それに触れておくことは悪いことではございません。ですから何卒、短い間でもこの者をお側に……」
相変わらず深々と頭を下げ続けるセレニケ。そこまで必死になる理由はなんだ?
レトヴィアは実験の後片付けを、どこからか湧いて出てきたメイド達に任せてガラス張りの部屋から出てきた。
「契約金は払っているのでしょう? ならばあなたの責任で金額分は働かせなさい。私も子供ではないのだから、周囲に埃が転がっているコトぐらい我慢できます」
事実上の同意を取り付けたことでセレニケはホッとしているようだった。レトヴィアは僕の正面まで来ると、僕をじろじろと眺め出す。
「……まるで穢れの塊ですね」
面と向かって「嫌い」と言われたのは初めてかも知れない。僕はなぜかその体験に心が動いた。そして拒絶から入る彼女の姿勢にも、不思議な納得をするのだった。
こういうものだろ? みんな不用意に近づく存在は嫌いなんだ。なのにブリッツもシキシマもズケズケと……。この王女様ぐらいの距離感が、僕には丁度良いかもしれない。もしかしたらこの仕事は僕にとってのアタリなのかもしれない。
「——ではジニス様。こちらへ。明日の段取りをお伝え致します」
ここでブリーフィングをするらしい。現場指揮官は混ぜなくていいのか?
机の上に広げられる地図と図面。王宮から三十キロほど離れたところを示している。
「聖別式はここより離れた大聖堂で行われます。当然、半年前から演習が行われており、警備計画もございます。しかしジニス様には命令系統から外れた単独行動をとって頂きたく」
「……それでは現場指揮官と軋轢が起きませんか?」
「それは貴殿のほうで回避されたく。当然、何も起こりませんので、そういう軋轢も発生しないものと考えております。もしもの時は殿下のお命のみならずお体の無事も保証されたく」
「そのためには何をしても良いですか?」
「はい。そのための貴殿ですので。……申し訳ありませんが、方針を特定しない形での指示とさせて下さい。貴殿らは私の常識の埒外の存在であります。ならば最大の目標である【殿下の保護】だけを設定するだけのほうが良いかと思いました」
僕はセレニケの意図を察した。ようするにあれこれ言って僕らを縛るより、あらゆることへ多角的に目を光らせ、僅かな兆しからでも彼女を護れと言いたいのだ。
セレニケの説明を聞いている間にレトヴィアが着替えをして戻ってくる。
白い簡素なドレスは作業着だったようだ。同じ白地ではあるが、金の刺繍が入った青い染め抜きのドレスを着ていた。
不意に彼女は地図の傍らに置いてあった軽金属製の指揮棒を拾った。それを僕の顔めがけて、スイ、とあてがう。
僕は何も警戒せずレトヴィアがするがままに微動だにしない。
だがセレニケはレトヴィアのその所作に息を呑んだ。ここまでくるとこの老侍従が不憫だ。
「で、殿下!」
セレニケの諌める大声も無視して、レトヴィアはポツリと命令する。
「あなた、こちらを向きなさい」
そう言われて僕は彼女のほうを真っ直ぐ見た。才知の潜んだ瞳も僕をじろじろと見てくる。
人のことを穢れだなんだと言っておきながら、随分とつっかかるな。
レトヴィアは僕を見定めて口をへの字にし、開口した。
「——この目の色は何かの病ですか」
「殿下! そのようなお言葉、かつての教育係として見逃すわけには……!」
「私が
「——これはアヴァロキタ社製眼球擬態型高精細カメラです。人類種が通常持ちうる視力の数倍の性能があります」
僕はわざと眼のレンズを過剰に動作させて、虹彩に見せかけたレンズやシャッターがグルグルと動く様子を見せてやる。
「つまり作り物ですか。こんなからくりで自己を補完しなければならないほど劣等なのですか」
言ってくれる。人間を辞めるためのからくりだと気づいたらどんな顔をするかな。
僕が感心している間にも、セレニケは説明を続けた。
「——大聖堂の中では近接武器以外の使用を禁じております。当然外でも、条約に反する装備の使用はお控え下さい」
「特例はありますか?」
「はい。それは当然、殿下の御身に関わる事でしたら全てが」
「わかりました」
「——汚い色の髪ですね……。なんですこの……土埃を被ったような色は」
レトヴィアのちょっかいはセレニケを苛む。
「これは地球では標準的な髪色です。カーボンファイバー製ですので、見た目よりも硬度があります。世代の古い銃弾でしたら、避弾経始によって弾くことができます」
「このような色が標準? 創造主に呪いでもかけられたのですか? 哀れな」
頭ごなしにこちらを否定するとは、暗君の類いか……とも思ったが、そういうわけではないようだ。セレニケは忠実だし、レトヴィア自身も身ぎれいにしていて華美さはない。街の豊かさを見ていても、国庫のカネを貪っているようでもない。
その後一通りの段取りが終わって退出しようとすると、レトヴィアが話しかけてきた。
「ジニス、とか言いましたか」
「はい」
「こちらへ来なさい」
レトヴィアは僕をガラス張りの部屋へと案内した。そして木製の薬品棚から、スミレ色に輝く液体の入った小瓶を取り出して僕へ差し出した。
「この薬を下賜しましょう。私のオリジナルレシピの秘薬です。その薄気味悪い眼の色や、烙印のような髪色も治せましょう」
これは作り物だと言ったろう。思ったよりも抜けているな。
僕は簡易スキャンで内容物の構造解析を行った。だが、構造か組成どちらかが複雑らしい。スキャンに失敗してしまった。
「——いえ。民間療法薬は科学的エビデンスが存在しないので」
だがこういうのは【ナゾ】で終わらすのも勿体ない。僕の走査で分からないのならブリッツにでもくれてやれば勝手に喜んでレポートを書き出すだろう。僕はそう考えて、右腕の弾倉ハッチをこれ見よがしに開いてデッドスペースに放り込んだ。
「——それがあるから国民は皆、健康なのですよ。街はご覧になりました? 食べ物が溢れて餓えがなく、清潔で……。それを実現しているのがこの秘薬です。まぁ、あなたのような機械仕掛けの兵士が出稼ぎするような、不平不満が絶えない世界では想像できないでしょうが」
すごい嫌みだ。僕は久しぶりに気持ちが昂ぶった。特に優越感から来る嫌みというのは、大抵嫌みで返してやると喜ぶ。その喜びの種類は様々だが、僕はその挑戦を受けることにした。
「ええ。素晴らしい国ですね。ですがあなたの統治の賜物ではなく、ご両親の努力の成果では?」
それを言った瞬間、レトヴィアの顔から余裕が消えた。だがそれは「言い返された」というものではなかった。
そしてレトヴィアは真剣な眼になる。
「いいえ。私の成したことです。母上が十年前にお隠れになられてから、ずっと今日まで、私が臣民の安康を願ってきたのです。これでも私の成果ではないと?」
「………」
「どうなのです」
どうやら地雷を踏んだらしい。これは僕の間抜けなミスだ。彼女の家族構成をリサーチ出来ていなかった。だが、僕が先ほどまで思っていたような歪んだ人間というワケではないようだ。
***
その日の夜は、僕は庭園を影から影へ渡り歩いていた。不寝番だ。体の疲労はともかく、脳の疲労は寝なければ無くならない。
『おゥ。ジニス起きてるかァ』
シキシマが呑気に無線を入れてきた。咀嚼音と何かを飲む音が混ざっている。まだ食べているのか。
「起きてる」
『あれ、起きてるの? 寝ないのー?』
ブリッツまで混ざりだした。一気にチャンネルが煩くなる。
『おゥブリッツ。なんでオメー、今までだんまりだったよ』
『いやぁ、周囲の探索で忙しくて……』
『ああ? なんかドローン飛ばしてるのか』
『ウン。カメラで観察している程度だけど、なんかおかしいのよね……。まず昆虫がいないのよ。冬眠しているコすらいない。小動物もいないし。腐肉食い《スカベンジャー》がいないのに、どうして環境が成立しているのか……』
『それなー。場末にも乞食がいねえんだわ。つーかネズミもいねーし猫もいねー。どうなってんだ』
『もうちょっと詳細な調査をしたいけど、環境科学って結果の一面だけ見て結論出すようなモンじゃないからね……。アタシの飛ばせるドローンも、数が限られているし』
やいのやいのと、意見が飛ぶ。ブリッツの言いたいこともわかるが、それは今の任務とはかけ離れたことだ。それに今も任務中であることは変わりない。
「今は任務中。二人とも現状に集中して欲しい」
『あー、ゴメンちー。えへへ』
ブリッツが、僕の視野に【頭を掻く人】のアイコンを表示してくる。セキュリティを突破してこんなものを放り込んでくるなよ。
夜が更けて、シキシマはどこかで酒盛りをしているらしい。血中アルコール濃度が僅かに上がっている。そしてブリッツはバックグラウンドでサンプルの回収を続けているようだ。
そのうち、僕も十五分だけのスリープに入ることにした。
***
夢を見た。
懐かしい夢だった。おなかがへって、栄養が足りなくて活力が湧かない。そんな夢。
「そいつは国の未来を脅かす脅威だ」
僕の背後から腕が伸び、目の前の女性を指さした。
どこかで見た、年上の女性。だけど、僕の長期記憶にはログだけしか残っていない人。面影も何もかも、とうの昔にデフラグによって削除されてしまった。
「ブタの子はブタとは思わん。お前は助けてやる。食い物はいくらでもくれてやる。だから俺たちの同志となれ。その証に、その反動分子を粛清しろ」
木製の銃床のカービン銃が渡された。古い、錆の浮いたガラクタだ。だが、ここから弾き出される鉛玉は容易くこの女性の肉を貫くだろう。
「撃ち方は教えよう。——そうだ、そう構えろ。反動がくるぞ。そう、いい筋だ……」
銃を僕に渡したそいつは、僕を優しくリードして撃ち方を教えてくれる。教わるのは楽しいことだ。これは、逆に恵まれていると知覚できない楽しさである。
僕の手の中でカチャリカチャリと動くカービン銃は、子供の目にはすごく精巧で、緻密に見える。叡智の結晶。そんなものが僕の手の中で、僕の意志で動かせている。
楽しかった。あれは。
「よし。じゃあ狙え。頭は難しい。やるなら胴体だ。胴体に二発当てろ。そして動けなくなったら頭部に一発だ」
銃の照星と照門を合わせて、女性の胸の真ん中辺りを狙った。彼女は後ろ手に壁に固定されていて、動かない。こちらをじっと見ているだけ。哀願もしない。
「照準はいいな? じゃあ引き金を引け」
………。
「どうした? 引けよ。引かないと、この缶詰はやらんぞ」
そう言ってソイツは、僕の目の前にパイナップルの缶詰を見せびらかした。
甘かったなぁ。すごく美味しかった。砂糖なんて、政府が倒れてからは配給もされていない。だから甘味はすごく貴重だった。前に一切れだけ食べさせて貰ったけど、また食べたいなぁ。
僕は照準器を介して彼女の顔をじっと見つめる。その表情は無気力や絶望とは違い、僕が何者かによって養われる機会に恵まれたことを感謝しているように見える。
多分、そうだ。
……そうでしょ?
そうでなければ
母さんを
殺した
意味がない。
——それが僕の最初の殺人だった。
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