第三章(前)

 翌朝。


 僕は朝一で王宮の周囲を巡回していた。何人か衛兵とすれ違ったものの特に咎められず、セレニケの連絡が行き届いているのを感じる。


 あれからブリッツはだんまりだ。恐らく惰眠を貪っているのだろう。自身の存在をデータ化することで寝ることも必要では無くなったハズなのだが、寝る。

 人間の三大欲求は無くならないらしい。どこまで行っても俗物だ。


 そしてシキシマは、どこかの公園で呑み疲れて寝ているらしい。回線がオープンのままでいびきが聞こえてくる。あまりにも酷いのでミュートにしてしまった。


 どいつもこいつも。


「——早朝の巡回とは、真摯さは王宮の近衛兵と等しいようですね」


 後ろから声を掛けられた。周囲一三メートル以内に入ってきた時点ですでに探知できているから驚くようなものでもなかったが、声紋でレトヴィアと分かったら別だ。


「……おはようございます」


 僕は振り返って、昨日の地雷がなかったかのように振る舞った。


「寝ずの番ですか」


 レトヴィアは寝間着姿だった。薄手のワンピースドレスは裾が長く、地面にチラチラと接触している。いつも思うがアレって不潔じゃないか? 背後にはメイドを数人侍らせ、朝の散歩といった感じだ。


「いえ。数分の仮眠はとっています」

「それを寝ずの番というのでは? 劣等人種は睡眠時間を削って人員不足を埋めるのですか」

「さほどに寝る必要を感じないから、僕が寝ないだけです」

「それを劣等の考えというのですよ」


 レトヴィアはいつの間にか、隣まで来て並んで歩いていた。


「そのような管理をしている人間が、私の身辺の安全を管理する? 噴飯物ですね」


 相変わらず言ってくれる。頭の回転は寝起きでも変わらないらしい。


「ご心配なく。僕も含めてみな、特殊な訓練を積んでいますので」

「そう? お仲間の剣士殿は繁華街で酔い潰れているともっぱらの噂ですよ」


 クソが!


「まぁ、我が星の豊かさを堪能されたのでしたら、悪い気分ではないですね」


 彼女は横目でこちらをチラと見ながら不敵に笑い追い抜いていく。有機化合物がいくつか官能センサーに引っかかったが、寝間着に香を焚きしめているのか。


「私はこれから湯浴みです。二時間後には出発の身支度を調えていますので、警護をしたければご勝手にしてください」


 そう言い残すと、レトヴィアは離れの浴場へと向かっていった。


 二時間後。僕はレトヴィアの居室の入り口で歩哨のように突っ立っていた。

 ブリッツもシキシマも起きてそれぞれの配置についている。シキシマは外周で朝食を買い食いしながら警戒しているし、ブリッツはクルーザーを飛ばして高空から広域を見張っている。ぐうたらでも立ち上がりが早い。


 室内から金属がこすれる音と足音が聞こえ、扉が開いた。

 銀糸のチュニックの上から白銀の軽鎧に身を包んだレトヴィアが出てきた。さながら戦乙女といった装いだが、今回の式典のキーワードである巫女とはかけ離れていないか?


「そんなところにいたのですか。ただの歩哨であればそのへんの新兵でもできますよ」

「ご心配なく。殿下の知覚できる範囲の外でコトは進んでいます。僕らは黒子です。働いてないようで水面下で蠢動しているので。——殿下、一つお尋ねしても?」

「私はこれから父上に朝の挨拶にいきます。その道すがらなら」


 レトヴィアはそう言って、ガチャガチャと鎧を鳴らしながらメイドを引き連れズカズカ歩いて行く。鎧を着慣れている? 思ったよりも何というか……文武両道だ。


「——聖別式と聞いていました。ですがその格好は……」

「聖銀の鎧は巫女の正装ですよ。これを身につけて歴代の巫女は最前線で戦ってきました」

「国を脅かす外敵と? それとも政敵ですか」


 するとレトヴィアはスミレ色の瞳を僕の方にスッと向けた。


「臣民を脅かすモノ、ひいてはこの星の安寧を脅かすモノが巫女の敵です。必要があれば王室を裁くこともあります」


 星とは大きく出たな。

 ——ということは、かつて星の秩序を脅かされた経験があるのか? ここには。


「ほかには? もう執務室ですから……」

「歳を経て脳まで腐ったか!」


 廊下に響き渡る突然の咆哮。執務室の思い扉がはじけ飛ぶように開いたかと思うと、煌びやかな装飾を施された鎧とマントで着飾った青年が飛び出してきた。


「何が王だ! この星の未来も見ずに! まぁ良い! どうせ次の王は俺だ! せいぜい停滞という白昼夢を貪りながら朽ち果てろ!」


 どうも室内にいる相手は父王らしい。それにたいしてこの物言い。隣のレトヴィアは表情を崩さず、まるで諦めたような顔をしている。

 青年は憤懣を隠そうともせず肩を怒らせこちらを向いた。そしてレトヴィアに気づいた。表情がふわっと柔らかくなり、異様に朗々とした様子を見せて近づいてくる。


「我が妹! 今日は一段と麗しいな!」

「レーヴェス兄」


 その青年は……まあ、見た目は好青年だった。背は一八五。

繊細で、常に機微を見ているようなレトヴィアとは違う雰囲気の男だ。眉がよく動いて人懐っこそうではあるが、先ほどの様子を見る限り思慮深さというのは皆無なのだろう。底の浅さが透けて見える陽気さである。しかし肌の色が白い。レトヴィアの褐色の肌はどういうことだ?


 レトヴィアは姿勢を崩さずレーヴェスという青年をまっすぐ見ている。だがその左手はなぜか腰の剣に添えられていた。


「その者はなんだ?」


 レーヴェスは僕を顎で指す。しかし警戒している様子ではない。


「この者はセレニケが手配した新しい召使いです。躾がなっておりませんがご容赦を」


 ——まぁこの際、文句は言うまい。


「フン。まぁ良い。——今日の聖別式でお前も施政者の一員になるワケだ。秘薬を調整する巫女として、今後秘薬の適用範囲拡大や研究、輸出については考えているか?」

「………」

「考えていないようだな、その顔は。まったく! 俺が相談にのるぞ。渉外担当の俺が仲介すれば、墳墓や秘薬関連の行事で忙しいお前の手間も省ける」

「………」


 レーヴェスはゆっくりと彼女へと近づき、右手をレトヴィアの髪へ触れた。そして青い髪をサラサラと弄ぶ。


「お前は俺のたった一人の妹だ。なんでも相談してくれ。力になる」

「……恐縮です。兄上」


 レトヴィアの言葉を聞けた兄はさらに上機嫌になった。そして大股で歩き出す。


「では俺は先に大聖堂に行くからな! 後で会おう!」

「はい」


 レトヴィアはそれを横目で見送ると、突然に左手を添えていた剣を鳴らした。

 先ほどから彼女の心拍数をモニターしていたが、明らかにストレスを感じているようだ。


 まぁ、気持ちはわかる。

 これから会おうとしている人物と敵対している者が現れて、それが自分に対して取り繕ったようないい顔をしてくるのだ。警戒しないはずがない。髪を触るのも人によってはセクハラになりかねない。公人とは思えないな。

 いくつか尋ねたいことがあるが、セレニケにこちらからの質問は控えるよう言われているからな。


「………」


 レトヴィアは再び歩き出した。何も言うまい、というふうだ。彼女の中でも諦めるレベルのどうしようもない課題なのだろう。

 彼女はレーヴェスが開けっぱなしにした執務室の扉をノックした。


「父上。レトヴィアです。入ります」


 執務室の窓際には、整えられた銀髪の壮年男性が座っていた。レトヴィアが父と呼ぶその人物は顔を手のひらで覆い、参っている様子だった。だがレトヴィアの声を聞いて、その暗い顔も少しは解れる。


「レトヴィアか。おはよう」

「おはようございます父上。……兄上がまた?」

「ああ。星の外星の外、そればかりだ。——その者は? レトヴィア」


 父王は僕の方を見やって言った。


「これなるはセレニケの手配した者です。ご心配なく。ただの黒子として扱っております」

「ほう。まぁセレニケのすることだ。間違いはあるまい」


 僕は父王に向かい、礼を示すため頭を下げた。王は鷹揚に右手で「かまわん」というふうに合図を送ってきた。


「そうか……。お前も最上位の巫女として正式に認められる。星の外のことを知っておくのも、悪くはないな」

「私は疑問です。星外のモノは災いしかもたらしません」

「お前の、その過度に星外を嫌うのも悩むところであるな……」


 王は僕の方をチラと見た。


「苦労をかけるな?」

「——恐縮です」


 やり取りを見ていたレトヴィアが僕の方を睨み付けてくる。本当のことじゃないか。


「しかし災いをもたらすモノを側に置いておくとは? お前も年相応になったということか」

「自分の信条に執着して他者の面子を潰すほど、自分に自信を持っていないだけです」


 自身の兄、レーヴェスのことを皮肉っているのか。確かに、あの怒鳴り散らし方は共感性羞恥を感じる。


「次の王となるレーヴェスに、外の事情を学ばせようと渉外を任せたのが間違いだった」


 王は椅子に深々と座り直す。


「興味を持って色々なモノを吸収するまでは良かった。だが、自分の星の価値が分からず星外のモノを貴ぶようになってしまった。それどころか教育係であるセレニケの諌言や、わたしの言を古くさいものとして切り捨てるようになってしまった……」


 王は机の上に散らかった、レーヴェスがまき散らしたと思われる意見書のようなものをヒラヒラとさせる。


「これを見よレトヴィア。レーヴェスはこの星に、外部から産業を呼ぶことを具申してきたのだ。まったく、歴史から何を学んできたのか……」


「父上。兄上も含め、私たちは今までこの星の人類こそ、真に神によって創造された者だから尊く、だから価値があると学んできました。星外の蛮族にその素晴らしさが分かるとは思いませんが」


 意外と理解が浅いんだな。所詮は星の外を知らない井の中の蛙か。


「彼奴らは人に興味は持たん。彼奴らが欲しいのは、この星まるごとよ」

「星? ……確かに大砂海は見事ですし、山も森も風光明媚ですが……」


 そうじゃない——と、僕が呆れていると、王は優しく微笑みながらかぶりを振った。


「例えば……。森には樹齢数千の木が多くあるな? あれ一本だけでも立派な建材になる。山にしても、すでに我々が採掘をしている宝石鉱山はあるな? 彼奴らは我々が想像も付かないほどの地の奥底まで潜り、両手で抱えきれないほどの成果を持ち帰ることができる。彼奴らは、我々が出来ないことを容易くおこない、かつ、我々よりも多くの成果を得られる。そうすればこの星はどうなる?」

「……我々の取り分は、あっという間に……」


 そう。それが起こるかも知れない悲劇。王はレトヴィアの答えに満足している。


「——この星は周囲の文明に比べて遅れている。それは分かっている。だからこそ星の外のカネを招いてはならんのだ。星の外のモノは全てが優れている。指が切れるほどに洗練された紙を見たことがあるか?」

「いえ」

「紙一枚でそれだ。そんなものが安く入ってきたらどうする。街の製紙業は路頭に迷う。あるいは吸収されるだろう。そうなると資本は星の外だ。地場産業は壊滅してしまう。あとはもう……良いようにされるがままだ」


 ——この王は賢王だ。だが、賢いがゆえに保守的になってしまうのかもしれない。それを理解出来ないレーヴェスを責めるのは簡単だが、無理ないことか。


「わたしはレーヴェスのいう通り、もう耄碌しているのかもしれん。だが思いつかんのだよ。どうやったら今のこの文明・文化レベルから星の海を駆けるような技術へと飛躍できるのかと」

「その必要はないのでは」


 父王は笑った。


「維持は大事だが、発展をしなければ停滞と同じだぞ。……だが、このわたしの脳みそではその発展を考えられない……。時代遅れでな」

「——必ずしも、星の外へ出るのが発展ではありませんよ。父上」

「その通りかもしれない。競わず、ユニークさを伸ばせば侮られることはない。そのユニークに、わたしはこの六〇年間気づけなかった。だがレトヴィア、お前は違う。聡明で真摯で、勇敢で……。ちょっと不遜なところがあるのが瑕だが」

「私が不遜?」

「言葉のあやだ。レーヴェスも今はあんなだが、残りのわたしの生を費やして改めさせるさ。星の外に興味があるのは悪いことではない。ただ、自分の星の切り売りだけは辞めて欲しいのだ」


 父王は席を立ち、レトヴィアの正面にまわった。じっくりとその顔を眺め、小さく息をついて言葉を漏らす。


「母親そっくりだな——。まぁ、眼はわたし譲りか。鋭すぎる。もう少しなんとかならんか」

「私に言われても困ります」


 どこの星でも行われるやりとりなのだろうか。しばし二人の様子を見ていると、王は僕のほうを見てはにかんだように見えた。そしてぽつりと呟く。


「国を頼むぞ、レトヴィア」


 それを聞いたレトヴィアは僅かに眼を伏せていた。


 執務室を出て扉を閉めたところで、レトヴィアは何も言わずに廊下の窓から外を見ていた。


「……後継者に不安がある王室ほど、情けないものはないですね」


 レトヴィアは感情を押し殺しながら自嘲した。僕はそれを彼女の独り言として黙殺する。こういうのは反応しないほうが良い。言ってしまえば家庭内の問題だし。


「良きにつけ悪しきにつけ、諌言や助言を受け容れぬ頑迷なリーダーは、破滅をもたらします。あなた方の歴史にも、そのような者は?」

「僕は黒子ですよ。居ないのではなかったですか」


 僕の受け答えを聞き、レトヴィアの口元が緩んだ気がする。

 前へ進むしかないのだと、納得したのだろうか。まぁそうだ。結局人間一人でできることなんて、自分のことと自分が任されていることしかない。レーヴェスは彼女の兄で、基本的にはタッチできるような存在ではない。なら、彼女の役職の範囲で良い行いを重ねるしかない。


「——大聖堂に行きます。付いてきたければ、どうぞ」


 レトヴィアは踵を返してしっかりとした足取りで歩き出した。


「ジニスよりシキシマ、ブリッツ。聞こえる?」

『おう』

『あーい、聞こえるー』

「今から大聖堂に移動する。各人、所定の行動に」

『おう。先に外出て斥候してるわ。じゃー現地でな』


「……ブリッツ。何か変わったことは?」

『うーん、ちょっとハッキリしたコト言えないんだけどさ』

「なに?」

『三〇分ぐらい前から、暗号化された信号みたいな電波拾ってるの』

「……発信源は?」

『分からない。減衰しちゃってて、そもそも意味のある信号なのかも定かじゃないし。特定しようと低空に行っちゃったらUFO騒ぎになっちゃうよ』


「こんな星で電波の発信がある可能性は?」

『いくらでもあるよ。自然現象として発生するからね。それにここは地球じゃない。私たちの常識とは違う電波発生源があるかもしれない。それを推測するには、私たちはこの星について無知すぎるよ』

「……分かった。警戒を続けて欲しい。必要があればシキシマと合流して」

『了解。じゃあお姫様の付きナイト役、がんばってネ、でゅふふ!』


 本当に一言余計なんだよ。


 ***


 太陽が天頂に至った昼頃。王都から三〇キロ離れた大聖堂で行われる式典に間に合わせるため、昼前からゾロゾロと人が集まり出していた。


 メインゲストの華族はもちろんのこと、聖堂内には入れない市民や周辺の農民も集まりだし、一般向けの適当な屋台や土産物屋を広げ始める。


 こういう国家行事が行われることで確実にカネは動く。華族の中には派手好きな者もおり、見栄を張ってバラマキが行われたりする。ある意味、華族による市民への投資なのかもしれない。人や人気が増えれば税収は増えるのだから。

 僕はそんなことを考えながら、レトヴィアの控え室で彼女のお召し替えを待っていた。


「——お前達! もっとコルセットを締めなさい。殿下、息を目一杯吐いて!」


 衝立の向こう側からメイド達の踏ん張る声と、レトヴィアのうめき声が聞こえる。


「これにッ! 意味があるとはッ! 思えッ! 無いですッ!」


 断続的に聞こえるレトヴィアの抵抗。地球ではもう数百年も前に廃れた文化だ。


「意味はございます」

「どうせ男好みの体型にするだけでしょう! 不潔です!」

「いいえ。このように体型を定めなければ、すぐに体型が崩れて着られる物が無くなるからですよ。確かに殿方のためではありますね。日々体型が崩れていく女の要望で毎日服を買わされたら、殿方はたまったものではないでしょうし」


 そうだろう。ブリッツも「服もアクセも無限に欲しいけど、実体が無いからねェ」と言っていた。実体があったら誰にたかるんだろうか。寒けがする。


 その後別の部屋で磨き直されて戻された鎧を装着され、レトヴィアが衝立から出てきた。

 銀の鎧はよく磨かれてキラキラと輝き、コルセットなど下着の調整が行われたことで一段と雰囲気が引き締まったようだ。スミレ色の鋭い眼も相まってどこか刺々しい印象ではあるものの、頭に頂く銀のティアラがそれを権威的な印象にまとめている。


「……なんです」


 レトヴィアが僕を睨んでいる。少し視線を動かしすぎたか。


「いえ。別に」

「そうですか」


 すると、廊下側からベルが振られる音が聞こえてきた。時間だ。

 レトヴィアは剣を佩き、銀の錫杖を手に取ると前を見据えて歩き出す。控え室を出てからは女官達が集まってレトヴィアの後ろに列を作り出す。さらには正式な護衛である近衛兵が次々と集結して陣形を組む。僕が近づく理由はない。というか、意味がない。


 僕は一人黙ってレトヴィアから離れ、別行動をとることにした。一人だけさび色の髪をした男がうろうろしていて不審ではあるのだが、セレニケの通達は完璧だった。


 聖堂は、巨大な祭壇の置かれている中央部から入り口まで天井の高いホールとなっている。入り口から祭壇までにかけて伸びる身廊の両脇には椅子が整然と並べられており、それを見下ろすかたちで壁側に二階席スペースが据え付けられている。日々の礼拝のときは、この二階席まで信徒が集って歌を捧げるのだとか。


 裏の階段を上り二階の窓際の二階廊下を進む。レトヴィアの晴れ姿を見ようと集まる満員の二階席を横目で見ながら、視覚を超望遠モードにしつつ画像解析を同時平行で進める。既知の武器であれば、これで探知できる。


 装飾された剣、槍、ナイフ、メイス……。そんなものばかりだ。樹脂製で金属探知機にひっかからないライフルとか、プリンタで自作したような拳銃などの兆しもない。


 やがて聖別式が始まった。聖楽隊による演奏が始まるとざわついていた聖堂内は一気に鎮まり、咳払いすら聞こえなくなる。


『……神の御名において、ここに、星の護り手としての巫女を定める……』


 この星の人々は電気を使えない。従ってマイクもスピーカーも無いのだが、その宣言は聖堂のホールによく反響して聞こえる。そのように設計されているのだろう。


 それにしても、数百年続いているであろう儀式の宣言文に【星】が出てくるとは。

 この星の住人は星から出たことが無いのに、自分たちが宇宙空間にぷっかりと浮かぶ存在に住んでいることを認識しているようだ。しかも宗教行事に取り込んでいる。


 分からない。大地平面説や天動説をすっ飛ばして、どうしてそうなる。いや、そういう仮説に独力で行き着いた地球の古代文明もある。だが地動説も大地球体説も、無知な一般人が簡単に納得するような物ではないからなかなかグローバルにならなかった。


 しかも自分たちが宇宙という巨大な、物理と化学が複雑に混ざり合った不可解なシステムの一部であると認識しているにもかかわらず【神】を信奉している。


『——……ザ、ザー……ザザザ……』


 ブリッツの回線が開いた。だけど、ノイズが大きい。


「ブリッツ?」

『ザザザザ……——電パ……渉……。緊……——』


 嫌な予感がする。


「シキシマ! 今どこ!」

『おう。屋台村に来てたけどよ、今大聖堂の屋根目がけて昇ってるわ。高所から偵察すっからちょっと待て』

「了解、頼む」


 僕はなるべく高所のベストポジションを探し、緊急時にはレトヴィアの目の前に着地できるように準備する。


 その間も式は進む。大聖堂の入り口から護衛に囲まれたレトヴィアが現れる。先導する女官達が聖水をまいて祓い、近衛兵は剣を利き手とは違う側に佩いて礼を表す。やがてレトヴィアを護っていた陣形は左右に展開。レトヴィアのみが一人、聖堂の中央で待つ法皇の前へと出る。


『おいジニス。なんか面倒そうだぞ』

「何があったの?」

『南西の、ありゃ共同墓地か? なんか騒いでるわ。敷地外縁部から伝令がそっちに行ってる』

「もっと詳しく」

『わかんねーよ。通信傍受できるわけでもねーし、オメーみたいに目玉が望遠鏡じゃねーし』


 漠然とした情報で動くわけにはいかない。護衛と酔っ払いの衝突かもしれないし。


『ごめーん!! 聞こえるー!?』


 思わず僕は耳を塞いで顔をしかめた。ブリッツの声がハウリングと一緒に大音量で聞こえ始めたからだ。


『馬鹿野郎! 耳が潰れるとこだぞ! ブリッツテメー、何してた!』

『軍用のジャミングがかかってて出力最大じゃないと無理なの! 緊急事態! 広域で暗号化通信を探知したあとに、大聖堂の南西で物体の激しい動作を確認! 戦闘の模様!』


 ブリッツのその言葉と同時に、レトヴィアの周囲が慌ただしくなった。伝令が到達したらしい。彼らの動きが速いのか、僕らがのろまなのか。


「緊急事態の宣言を確認。ブリッツは低空で情報収集。シキシマは地上で脱出に備えて」

『お姫様はどーするの!?』

「もう式典は中止みたいだ。すでに伝令が到達している。近衛兵が動き出しているし華族の退避も始まっている。撤収作戦を実行する。レトヴィアを回収し、すぐに王都へ引き返す。必要があればブリッツで空に引き揚げる」

『了解! 近接航空支援が必要なときは言って!』


 何が起こったのかを把握しなければならないが、いずれにせよ僕らに与えられているのはレトヴィアの保護だ。早速——。


「ダメです! 外縁部の一般市民を大聖堂でかくまうべきです!」


 レトヴィアの大音声が響く。どうも、さらに面倒なことになりそうだ。


「そのかくまうための誘導は誰がやるんだ?」


 相手はレーヴェス——レトヴィアの兄だった。身分の高い兄妹の言い争いにより、周囲の侍臣や側近、近衛兵達はオロオロとしている。父王は二人の意見衝突を止めようとしない。まぁこれからこの二人が国を動かすのだ。短い時間を与えて試しているのだろう。


「当然我々王族でしょう! 兵もいます!」


 レーヴェスはレトヴィアの言葉を鼻で笑った。


「我々? バカを言うな。——おい聖騎士団長! ここへ!」


 王子に呼ばれて出てきた三〇代前半ほどの若い男。若年の精鋭でまとめられた部隊らしい。


「直ちに出動して事態を鎮圧してこい。近衛もいくつか貸してやる。そして近衛の主力は俺と父上、そしてレトヴィアを護衛して撤収だ」

「殿下。斥候の情報によりますと食屍鬼どもは王立墓地の棺より這い出てきていると。そうなると、少なくとも十万規模の大軍となります。とてもこの聖堂に常駐している戦力では……」


 聖騎士団長の抗弁にレーヴェスは舌打ちした。


 食屍鬼? 食屍鬼ってなんだ?

 僕は言語アーカイブを呼び出し、それが要するに死体を喰らう類いの化け物だと理解する。

 正直驚いた。


 僕らは宇宙を駆け、森羅万象の仕組みを科学であばき、テクノロジーの上に生きている。そんな世界がこの宇宙のどこまで続いていると思ったのに、ここへ来て魑魅魍魎が出てくるとは。

 それは本当に食屍鬼なのか?


「避難誘導が主だ。殲滅は期待していない。王都へ戻ったら軍の主力を連れてきてやる」


 そう言ってレーヴェスはマントを翻して出口へと出て行こうとする。一人で帰るつもりか。


「どこへ行くのです兄上!」

「察しが悪いな! 俺は指示を出したぞ。現場の邪魔にならないよう、俺たちは王都へ引き揚げるべきなんだよ」


 なまじ現場を知っている人間が、現在の現場の人間を混乱させることはよくある。そのせいで現場判断が遅れる。だから現場である聖騎士団などの現地部隊に任せようというのだろう。


「何を言っているのです! 王族や華族が真っ先に危険に立ち向かうべきでしょう! それに王族がいの一番に逃げるなんて、士気にかかわります!」


 レトヴィアの言いたいこともよく分かる。彼らの言う食屍鬼グールはこの大聖堂目がけてきているようだ。ならば被害を受けやすいのは物見遊山で来ている一般人。この催しの主役である彼女としては、自分を目当てに集まってくれた人間を見殺しにすることはできないだろう。


 僕は二階席から飛び出し、レトヴィアを囲んでいる近衛兵達の至近へと着地した。二五六キロの体重に耐えられなかった石畳が割れる音に驚く一同。


「殿下。逃げないのですか」


 レトヴィアに話しかけると、彼女の眼が期待の色を帯びた。


「ジニス! 実は……!」

「すでに仲間の索敵で情報は入ってきています。王都への脱出もすぐにできます」

「いいえ。私は逃げません。ジニス、外縁部の一般市民をこの大聖堂に誘導してください」


 周囲の華族達は上の判断が定まらないことにヤキモキしている。心底この状況から逃げ出したいのだろう。


「レトヴィア。この席の主役はお前なのだ。甘んじて撤収の提案を受け入れるべきだぞ。だがお前の気持ちも分かる。わたしがここに残り、陣頭指揮を執ろうじゃないか」


 父王の精一杯の思いやりだろう。それを見ていたレーヴェスは、くだらない茶番を見るかのように蔑んで聖堂を出て行った。アレが即位したらこの星は終わりだな。

 そしてレトヴィアはそれらの思いやりや蔑みを黙殺した。そして僕に迫った。


「どうなのですジニス! 誘導要請を受け入れるのですか!」

「——お言葉ですが、僕らの任務は殿下の御身を保護すること。避難誘導は契約に入っておりません。退避することをオススメします」


 僕がきっぱり言い切ったことで、青い顔をしていた華族や文官達の顔色が良くなる。そしてレトヴィアが諦めるのを期待して視線を送った。

 だが、それで自分を曲げる人間では無かったようだ。


「なら私が出ます! 近衛兵を招集なさい!」

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