第二章(前)

 十八時間のハイパースペース巡航を終え、ブリッツが駆るクルーザーは目的の星系へと到着した。巨大なガス惑星が鎮座する外縁部を通り抜け、星系の内側を回る目的地の惑星へと針路をとる。


 僕は巡航中のスリープから目覚め、コクピットへと向かった。操縦桿がピクピクと勝手に動いていたが、驚くようなことではない。


『あら、お目覚め?』


 スピーカーからの明朗なブリッツの声。


「ああ」

『あと少しで着くよ。まぁ座ってなよ』


 僕は促されるまま、コクピットの副操縦士用座席に腰掛けた。

 コクピットの正面には星空が……という事はない。実際の宇宙空間の映像に、様々な情報を加えたものが映されている。宇宙空間は高速道路のようにいかない。だからセンサー情報を吟味して安全で簡単なルートを選ぶ必要がある。それによって決定したルートが、バーチャルの道として投影されているのだ。普通はAIがやるが、ブリッツはこういうこともこなす。


 しばらくの間、僕は黙ってブリッツの操艦を見ていた。


『ジニス?』

「何?」

『いや、どうしたのかな、って』

「どうもしていないけど」

『そう……』


 明らかに雰囲気が悪くなった。こういうことか? シキシマが言っていたことは。

 まぁ僕は、表向きは思考テストをパスしてきている。なら、もう少し柔らかくなったほうが良いか。要らない心配をかけないほうが、偽装しやすい。


「……さっきは怒鳴って、ごめん」

『フフ。大丈夫大丈夫。おねーさんの度量の広さは宇宙規模だから!』


 すぐこれだ。こちらが弱い様子を見せればつけあがる。不快でしかない。


『ほら、着くよー』


 ディスプレイには灰色を基調として、それを植物の緑と水の青、雲の白が彩る惑星が見える。

 今回の任務地、《ニェラータ》。保護セクターの中でも准宇宙文明圏として類型されている星。


 准宇宙文化圏とは則ち、惑星外に自分たちとは違う文明があることは知っているが積極的に関わろうとせず、また惑星外からの接触も拒絶しているというスタンスを持った文明の集まりである。


 准宇宙文化圏の惑星が経済交流を拒否するのは、当然明確な理由がある。

 それは、【条約】の施行に反対して地球圏から離脱していった企業や個人が、今も発達途上の文明を中心に、惑星への好き勝手な干渉を行っているからに他ならない。彼らは企業同士で同盟を結び企業協同連絡会——通称【協会】と名乗って、倫理道徳の欠如した経済圏を外宇宙に形成しようとしている。


 准宇宙文化圏に所属する惑星の文明は、多くが【協会】によって食い物にされた歴史を持つ。その爪痕は人の心や環境、地元経済に深く刻まれている。


『ランディングアプローチを開始します。着陸地点の天候は晴れ、気温は二十七度——』


 ブリッツがキャビンアテンダントのモノマネをしながら、片手間で着陸動作をする。

 大気圏に突入する衝撃はいつも慣れない。乱気流以上の振動と、惑星が体を吸い込もうとする重力。僕みたいなサイボーグでさえ、こんな高空から突入させられたら融けて霧散する。この生存権をブリッツに握られている感覚が嫌だ。


『——機関再起動。周辺に知能体の存在無し。当機の被発見率はコンマ以下。発見されても円盤騒ぎ程度でしょ』


 ディスプレイが回復し、大砂海と青空が映し出される。グレーの砂が一面に広がる砂漠。地球の常識からすると、異様な光景。


『何だろう。鉄分かな? いや、でもこんなところに野ざらしだったら酸化して真っ赤になるよね……? こんなところで植物育つかなぁ……』


 元々は学術畑の人間だったことから来る詮索癖なんだろうか? だからといって、ブリッツの散漫さには聞いてるこっちが嫌気が差してくる。


「おらー、運転手ー。よそ見運転すんなよォ」


 いつの間にか背後にシキシマが居た。サイボーグのセンサーをかいくぐってフラフラ徘徊するのは本当にやめてほしい。


 クルーザーは滑るように砂漠地帯の上空を掛ける。次第に砂礫が増えていき、そしてぺんぺん草のようなものが出現し始めた。見たことも無い獣の群れを追い越して山をひとこえすると、突然に樹海が現れる。


 くすんだ、冴えない緑色の木々が生い茂っている。いよいよ、地球とは常識が違うところへきたのだという実感が湧く。


「この先北へ百キロ。そこに湖があるから、その畔に着陸して。詳細な地点は共有した」

『共有確認。ありがとう』


 やがて鏡のような湖が見えてくる。透明度が高く、底が深いらしい。中心に行くにつれて色が濃く、黒く見える。


『ランディングギア展開。ブースターノズル偏向。——……タッチダウン』


 床から響いてくる鈍い衝撃。十八時間ぶりの地面の感触だった。


「じゃあブリッツはそのまま待機で。無線のチャンネルは常にオープンにしていて欲しい。シキシマ、行こう」


 振り返ると、すでにそこにシキシマは居なかった。


『はよ開けろー』


 艦内無線から漏れてくるシキシマの声と、何かを小突くような音。シキシマがハッチ前で待機していてドアを小突いて煽っているのだ。子供かよ。


 僕はそれを黙殺し、内蔵武装の状態を確認した。

 ロック——一部解除済み。依頼者の状況による主観判断で全解除可能。

 弾薬——満載状態。

 メンテナンス状態——意識領域における不具合有。

 概ね平常。いける。


 コクピットから階段を使って一階に降り、後部のハッチへと向かう。相変わらずシキシマがゴツゴツと小突いている。


「ブリッツ。大気分析が終わったら開けて」

『はーい。変な微生物も居ないし有害な微粒子もガスもないから開けるー』


 気密が解除される音が響き、ハッチが開く。

 僕らは特に意識もせずに地面を踏んだ。間近で見る森は、さらに奇妙に見える。木肌はサルスベリかシャラのようにツルツル。茶色の水銀が、ぬるっと立ち上がってそのまま木になったかのような姿だ。まぁ、これがこの星の普通なのだろう。


「んで、どっちだよ」


 シキシマは刀を腰に差し直し、小刀を抜いて刃を確認しながら言った。


「南へ一キロほど行くと森の街道に出る。そこで待ち合わせる」


 僕らは森へと分け入り、獣道ですらない場所をガサガサと進んだ。僕が先頭で道を作り、後ろからシキシマがついてくる。


「ジニスよォ」

「なに」

「お前、何持ってきたよ」

「食べ物は自己管理って言わなかった?」

「食いもんじゃねーよ。ハジキとかヤッパの事言ってんだよ」

「——右腕部内蔵の拳銃一丁。右大腿部内蔵の大口径拳銃一丁。背部内蔵のPDW《短機関銃》一丁。ああ、あと左腕の電磁パルス砲。これは補助電源が得られないから実質使えない」

「それじゃァ思いっきり条約抵触してねーか? ナイフとかねえのか?」


 僕は左大腿内蔵の、刃渡り十六センチのナイフを抜いて見せた。


「あるけど、こんなもの武器とは言わないでしょ」

「言ったな? それ俺に貸してみろ。フル装備のオメーにも勝てっぞ」


 シキシマは、自分が銃弾を目視で避けられるからという理由で銃を評価していない。破綻した理論だから付き合う必要はない。だけど実践されてしまうので反論説得することもできない。本当にタチが悪い。


「今回は基本的に荒事はない。相手は権力者だ。そんなところで発生する荒事なんて、それはもう戦争でしょ? 僕ら三人で何とかするレベルじゃない」

「まァ、基本的に俺がオラつけばいいんだろ」


 十分ほど歩くと僕らは、馬車が二台ほどがすれ違うことのできる街道に出た。待ち合わせにはおあつらえ向きの石の道標もある。


「——あれか?」


 待つこと十分。シキシマが街道の右手から来る馬車を見つけた。いや、馬車というか……。四本足で、硬い蹄のような足先をカツカツと鳴らして歩く大型の獣。引き締まった筋肉質の体はしなやかそうで、本気を出せば速そうだ。つまり便宜的に〈馬〉と類別したほうがいい動物に引かれた車が来る。芦毛で、そこそこ見目が良い。


 馬車を操る御者は明らかに緊張している。僕らを警戒しているらしい。その隣に座っている濃紺の礼服を着た痩躯の白髪の男性は、反対に落ち着き払っているようだ。


 一枚の、同じ生地を用いて作ったと思われる上等な服だ。裁縫の技術もそれなりらしい。これ以上ないほどに高度に見える。あとはミシンの発明による工業化か? 技術レベル的には地球の産業革命以前の文明か。


 馬車が目の前で停まると、白髪の男性はヒラリと僕らの前に降り立った。


「地球の方ですか?」


 低く、これまた落ち着いた声。自分の裁量で全てをお膳立てできるが、代わりに責任が確実な身分なのだろう。こういう人間はビジネスライクにいくべきだ。僕は簡潔に要点だけを伝えることにした。


「——地球政府条約監視局より委託されて来ました。私はジニス。こちらがシキシマ」

「お待ちしておりました。私、殿下の侍従長を仰せつかっております。セレニケと申します。王宮へご案内しますので、どうぞ馬車へ」


 そう促されて、僕らは扉から車内へと入ろうとした。だが、僕がふと足掛けに足を置いた瞬間、それが千切れるように折れて壊れてしまった。


「………」


 侍従長のセレニケは目を丸くして驚いている。僕は心当たりがあった。体重だ。僕の体は要するに鋼の塊なので、この木造なのかわからないが少なくとも金属製ではない乗り物は耐えられないだろう。


「あーあ。これ、弁償モンだろ」


 シキシマが囃す。ウザい。


「……修繕費は追って、依頼料から返納させていただきます」

「い、いえ。それには及びません……」


 セレニケは半笑いだ。


「私は走ってついていきます。シキシマ、乗って」


 ***


 馬車は街道を走って森を出て、下草だけが生える丘陵地帯へと出た。もうかれこれ十キロは走っている。


「——森も抜けました。ここは広くて見渡せる。邪魔も入らないでしょう。改めましてジニス様、シキシマ様よろしくお願いいたします」

「おう。よろしくな。あと、ここにはいねーけど、留守番中なのが一人いる」


 シキシマが馬車の中でセレニケと対面で座って話をしている。僕は相変わらず馬車と並走中。


「——本当に、お三方だけなのですね?」

「まぁビビるよな? 依頼料高かったろ? ふんだくってこりゃねえと思うわな」

「いえ、そういうわけでは……」

「そういう事だろ? だけどおたくらが〈警護〉つったからこの人数なんだぜ。だけどまぁ、そこで走ってるヤツも含めてヤベえ奴らで揃えてるからよォ」


 正直、シキシマに喋らせておくのは誤解の元を放置していることになる。が、僕は文字通り蚊帳の外。どうしようもない。


「んで? 聖別式だっけか? なんでそんなもんの警護をわざわざ俺らに?」

「……それは、殿下にも惑星外の文明とのコネクトを持って頂きたいためです。惑星外からの干渉を拒否しているとはいえ、星の外の動向に無知である必要はありません。教養としても経験としても、外の話を聞けるのは得がたいものですので」


 表向きの理由らしい。まぁ、恐らく現時点でそれを開示することは出来ないのだろう。


「ふーん。高え教材だな。まぁカネくれりゃ良いけどよ」


 やがて、まばらに村が見えだした。その人口密度は緩やかに上がっていき、次第に幌馬車の往来も現れだす。そして王宮の尖塔と低めの城壁。それを取り囲む街……。


「見えてきましたね。王都です。このまま街をとおって城壁内に入ります」


 馬車は速度を落とし、街へと入った。城壁外の街だというのに、石畳で舗装されていて雑然さがない。スラムというわけではないらしい。城壁外なのに。


「攻めに弱そうな城だなァ」


 シキシマがぽつりと言った。それに対して、セレニケが答える。


「ここ六百年、外敵の侵入がありませんでしたから。この王都も二百年ほど前に遷都してきたのですが、城壁は示威以外役に立ちません。ですが、そういう物です」


 住民達は青い髪が中心で、その濃淡で個性が出ている。目の色も合わせて青い。これがこの惑星の基本的な人種なのだろう。風貌は一般的なヒューマノイドだ。僕らと変わらない。僕の髪色や瞳の色も必要に応じて変色できるので、青くしてしまえば原住民として潜入できそうだ。


 今後のこともあり、僕は街の住人達の様子を録画することにした。視覚の解像度を上げ、頻繁にズームを行って細部の記録をとっていく。


 工業や機械産業・高度な経済が発達していない文明レベルのわりに、肌に張りがあって目が澄んでいる。露天で呼び込みをする商人達は声が大きく、体力がありそうだ。そして色とりどりの生鮮品も並んでいる。


「ふーん。結構な盛況じゃんか」


 シキシマも興味があるようだった。当然だ。彼も単独で敵地に潜入し、現地の人脈や資材を使った破壊活動をやることがある。


「ええ。明日はもっと人が出ますよ」

「お祝い事だからか?」

「はい。まぁ、何かにつけて飲み食いするのが好きなので……」


 やがて馬車は、惣菜を売り出しているエリアにやってきた。昼過ぎらしく、売れ残りの惣菜が割り引かれているようだ。


「………」

「どうされました? シキシマ様」


 ——やめろよ、シキシマ?


「ちょっと停めてくんね?」

「シキシマ!」


 僕は思わず声を荒げた。


「まぁ待てよ」


 セレニケに馬車を停めさせて、シキシマは意気揚々と馬車を降りてきた。


「任務中だぞ」

「固い事言うなよ。現地の文化を知るのも大事だろ。情報は重要だぜ」


 屋台から流れてくる旨味たっぷりのにおいに、シキシマは完全にやられている。もうここから止めるのは一戦交えるしかない。だが、こんなところで白昼堂々おっぱじめるわけにはいかない。


「……報告書には書くから」

「おう」


 査定に響くことなのだが、刹那的な彼には効かない。恰幅の良い中年女性が呼び込んでいる煮込み屋台に入り、セレニケから説明をうけながら何かを注文した。真っ黒の、ドブのヘドロみたいな煮込み料理が見える。


 カネは? と思ったが、セレニケにたかっている。本当にクズだ。

 シキシマはセレニケが支払いをしているすぐ横で、どんぶり一杯のドブ料理を啜り始めた。


「うめー! やっぱモツは甘辛だよなァ!」


 どうも得体の知れない獣の内臓料理らしい。内臓は寄生虫や異常タンパク含む各種病原体のリスクが高い。獣の肝臓だって、ビタミンの過剰摂取で死ぬことがある。だから異星で食べていいものではない。……だが、強化人間は例外だ。


 見慣れない旅人が自国の食べ物をうまいうまいと言って次々と食べている。惣菜屋の主達はみんな機嫌をよくして大盤振る舞いをはじめた。やがてセレニケは辺り一帯の惣菜屋に前払い金を掴ませて戻ってくる。


「いやぁ……結構な健啖家で……」


 セレニケは苦笑いだ。僕は恥ずかしいやらムカつくやらで、自分の脳髄を納めている頭蓋ケースの冷却ファンが回転を高めているのを感じる。


「——行きましょう」


 僕は一人歩き出した。


「よろしいのですか?」

「アレは勝手にやります。でしたら私も勝手に任務を進めますよ」


 僕らは惣菜通りを抜けようと、再び動き出した。横目で見るシキシマは活き活きとしている。

 いや、周りの現地人も負けていない。そう、活気がある。産業革命以前の文明なら農薬や農事技術も発達していない。天候に左右されて食糧も確保できない。明日は死んでいるかもしれない世界なハズだ。だがこの飽食ぶりはどうだ。それを食い切る人の健康さは。その消費の果てに排出されるハズの物が見えないのは。


 異様だ。異様に清潔で、整っていて、豊かなんだ。この星は。

 いや、僕ら傭兵が、内乱や外敵の侵入でグチャグチャに破壊された場所に投入されるがゆえ、こういう平和な場所が奇異に映るだけなのかもしれない。


 城壁を潜ると、建造物の高さや投入された技術は多少高くなったように見える。だが、それでも石造りかモルタルが中心だ。窓枠や屋根など、修理が頻繁に必要な部分は相変わらず木材が幅を利かせている。


 馬車は王宮の正門に横付けで停まった。王宮の正面には石畳で舗装された広場があり、中央には大理石のように白い石の噴水が鎮座している。そのさらに奥に白磁のような王宮が鎮座している。が、セレニケの言うとおり戦いのために造られたとは思えない。遮蔽物が少なすぎるし、敵の行軍を妨害するような路地があるわけもなし。


「ジニス様、お疲れではありませんか」


 ダブルミーニングでいえば、ある意味疲れている。


「いえ。私は大丈夫です。お構いなく」


 僕はセレニケの先導で王宮へと案内される。手入れのされた庭園を抜け、澄んだ水を湛えた池を迂回して城内へと入っていく。

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