第13話 公爵令嬢

イアンナはマイラー公爵家の娘として生を受けた。両親はイアンナを溺愛した。紫紺の長い髪、大きな瞳、白い肌。両親はイアンナの事を美しく、気高く、帝国で最も高貴な女性だと褒めたたえる。皇帝には二人の皇子がいたが、皇女はいない。マイラー公爵家は2代前に、その時の皇女が降嫁しており、皇族の血筋を受け継いでいた。


イアンナが8歳の時に、皇太子でもあるザイラ第一皇子と引き合わされた。イアンナは、その時の周囲の反応に不快感を覚えた。いつもイアンナを誰よりも丁寧に扱う使用人達、両親がザイラ第一皇子に傅き、イアンナにもザイラを敬うように強要する。


(私は、帝国で一番高貴な女性なのに、、、)


ザイラ皇太子は、顔色が悪く細身の男性だった。会話をすると、皇太子はイアンナが知らない言葉ばかりを話す。彼と過ごしても、イアンナは全然楽しくなかった。


でも、彼は皇太子だ。


彼と結婚しない場合は、誰と結婚してもイアンナは新しい皇妃に頭を下げる身分になる。そんな事は許せなかった。


皇太子とイアンナは最低限の交流を交わしながら成長した。相変わらず有能だと言われる皇太子だが、いつも顔色が悪い。イアンナに手を出そうとして来ない。イアンナから近づけば、顔を顰め嫌がられる。


皇太子との婚約は、ほぼ内定し貴族内ではイアンナ・マイラーが時期皇妃になると皆知っていたが、ザイラ皇太子は健康面の問題があるからと、正式にイアンナと婚約を結ぼうとしなかった。




イアンナが18歳の時、兄の婚約者に会いにガージニア王国を訪れた。兄は婚約者とあまり仲が良くないみたいで、両親の手前しばらくガージニア王国に滞在する事になっているが、婚約しているロニア第一王女とは別の女性と、遊びまわっている様子だった。帝国へ帰りたいが、イアンナだけ帰るわけにはいかず、兄が婚約しているロニア第一王女へ会いに行った。


ガージニア王国の城は寂れていた。古ぼけた調度品に、昔は価値があったと思われる金細工が施されたアンティークの家具、複雑な刺繍の絨毯は所々汚れている。


(お兄様が嫌になるわけだわ。こんな国から妻を迎えないといけないなんて、私は皇妃になるのに、お兄様は可哀想ね。)


ロニア第一王女は、冴えない表情のおとなしい女性だった。服装も地味で一国の王女のはずなのに質素な暮らしをしているようだ。イアンナは、ロニア王女とお茶を飲む。


出されたティーセットは金銀で細かな模様が描かれているが、よく見ると所々模様が剥げている場所がある。一緒に出された菓子もイアンナから見たらみすぼらしく、手をつける気にならなかった。



ロニア第一王女が兄について話しかけてくる。


「イーザック様は、今日はどちらに行かれているのでしょうか?」


そう、この日はお兄様とイアンナ、ロニア第一王女で交流する予定だった。でも、兄はガージニア王国の滞在先へ帰ってこなかった。第一王子と一緒に女達と遊ぶと言っていたような気がする。


イアンナは、ロニア王女を見て言った。

「ガージニア王国第一王子ライガック様と一緒に過ごされているみたいですわ。」


ライガックの名を聞いた瞬間、ロニア王女の顔色が悪くなった。


ロニア王女は震えながら言った。

「そうですか。ライザック様と一緒なら仕方がありませんわね。」


実の兄のはずなのに、ロニア王女はライザックに酷く怯えている様子だった。


(まあ、とても、みすぼらしくて、弱弱しい方だわ。この方が私の義姉になるなんて信じられないわ。)


その時、突然部屋のドアがノックされ開かれた。


ドアの向こうに立っていたのは、銀髪の長い髪、澄んだ緑色の瞳の美しい男性だった。イアンナは、思わず彼に見惚れてしまった。こんなに素敵な男性には出会った事がない。世界が急に色好き、さっきまで暗く薄汚れているように感じていた部屋が、輝きだしたように感じる。


胸が高鳴り、頬が火照る。そんな私を見た彼は、楽しそうに笑った。






彼は、第一王子ライガック・ガージニアだった。兄は、ライガック様に紹介された娼館で何日も遊びまわっているらしい。そして、イアンナはライガックと共に過ごすようになった。ライガックは、沢山の資産を持っていた。広く豪華なライガックの別荘で共に何日も過ごした。美しくて私の事を愛してくれるライガックにイアンナは夢中になった。


イアンナは、ランガ帝国の将来の皇妃だ。ライガックと離れたくなかったが、もうすぐランガ帝国へ帰らなければならない。


ライガックは、イアンナを抱きしめながら言った。

「イアンナ。好きだよ。また会えるかな?」


イアンナは言う。

「私も貴方の事が好き。貴方に会いたいわ。」


ライガックは言う。

「今の状況だと、君は皇太子と結婚する事になる。でももし、皇帝と皇太子が亡くなればどうなると思う。」


イアンナは驚く。そんな事、考えた事がなかった。


帝国の第2皇子は無能で奔放な人物で、公務に顔を出したことがない。責務を放棄していつも自由に遊びまわっているらしい。

皇太子は有能だが、病弱で子供ができないかもしれない。このままだと、皇族の血を引く兄のマイラー公爵令息が次の皇太子に選ばれるのではないかと帝国で囁かれていた。


イアンナは言った。

「そうなれば、兄が次の皇帝に選ばれるかも、、、、」


ライガックは妖艶に笑って言う。

「そう、だが、君の兄は堕落している。最近では毎日のように薬を使って遊んでいるらしい。君の兄も皇帝に相応しくなければ、君か、君の夫が新しい皇帝になるかもしれない。」


イアンナはその声に魅入られたように頷いた。

(そうよ。帝国、いいえこの世界で最も高貴な私が皇帝になる。いいえ、私ではなく私の夫が皇帝に。そうライガックが私と結婚してくれたら。)


私は、ライガックの逞しい胸に頬をつけて言った。

「そうすれば、私と結婚してくれますか?」


ライガックは、私の長い紫紺の髪を撫でながら言った。

「もちろんだよ。愛おしい人。ずっと一緒にいられるようになる。皇帝と皇太子さえいなくなれば。だから協力してくれるよね。俺はどうしても愛おしいイアンナと一緒になりたい。」


私はうっとりして頷いた。


私の事を顧みないザイラ皇太子。皇太子は有能かもしれないが、彼との間に子供を設けるイメージがどうしても湧いてこない。それに、ザイラ皇太子と共に過ごす時、いつも実感する。イアンナは、ただの貴族令嬢で、ザイラ皇太子の筆頭婚約者候補だから丁寧に扱われているだけだという事を。


そう、皇帝と皇太子さえいなくなれば、、、、


無能な第2皇子と、薬と女に溺れた兄ではなくイアンナが次の皇帝継承者に選ばれるはずだ。そしてイアンナの隣には、ライガックがいる。


ライガックは、満足そうに私に口づけをしてきた。




ライガックの指示に従い、私は皇帝と皇太子の暗殺に協力した。帝国に帰った兄は、表面上は変わらないように見えるが、毎晩薬を使っている事をイアンナは知っていた。


皇太子筆頭婚約者であるイアンナは、皇城に自由に出入りできる。ほとんど人質のような状態で皇城に滞在していた第8王子へ、ライガックから預かっていた毒薬と手紙を渡した。


第8王子は驚いた表情をして何かを言おうとする。だが、彼は諦めたように声を発せず、ただ頷いた。










皇帝と皇太子の暗殺は成功した。まだ息をしているが、すぐに亡くなるだろう。そうすれば、彼が私に会いに来てくれる。愛おしい彼が。私は、自宅で知らせを待った。


だが、想定外の事が起こった。


父が嬉しそうに帰宅する。

「まさか、第二皇子殿下が、あんなに優秀な方とは思わなかった。若い時の陛下にそっくりだったよ。ジーク様は、皇太子殿下に配慮して表に顔を出さなかったのだろう。病弱な皇太子殿下よりジーク様を支持する貴族が増えると継承者争いになるからな。陛下と皇太子殿下が同時に倒れられた時は、我が家から後継者を出さなければならないかと思ったが、必要なかったようだ。」


夕食の席で、安堵したように話をする父を見て、私は呆然とした。


まさか、第2皇子が、、、


ならば、ライガック様は私の元へ来てくれるのか?








第二皇子ジークは、皇帝となりガージニア王国を滅ぼした。1ヵ月足らずで征服し、民衆も貴族、帝国軍も彼は掌握した。有能な新しい皇帝ジーク。


イアンナはどうすればいいか分からなかった。


愛おしいあの人の事だけが気がかりだった。第一王子は殺され首をさらされたと聞く。そんな事は信じられなった。


ガージニア王国が滅びた2週間後、私の家に訪問者が表れた。


兄の婚約者ロニア王女と名乗るその人物は、私がずっと待っていた人だった。


そうだ。ロニア王女も彼と同じ銀髪だった。いつも下を向き、みすぼらしい衣装を着ていたから気づかなかったが、ロニア王女はライガックにそっくりだったかもしれない。


首を切られ、晒された第一王子。


でも、私の目の前にはライガックがいる。


私は、出迎えた兄と共にライガックとの再会を喜んだ。









ロニア王女としてライガックは、マイナー公爵邸に滞在する事となった。

「ありがとう。イアンナ。愛しているよ。」


戦争がトラウマとなり男性恐怖症になったと医師に診断させて、話し相手としてイアンナが部屋を訪問する。ライガックは、時折外出して生き残った王女や部下に指示を出しているようだった。


イアンナは、ライガックと共に過ごし、話をする。


どうすれば、ジーク皇帝を、その地位から引きずり下ろし、私達が帝国の支配者になれるのかを相談する。


ライガックは、生き残った王女達を皇帝へ近づけさせ子供を身ごもらせる計画を立てていた。父のマイラー公爵は、私を皇妃にさせようと何度もジーク皇帝へ進言しているそうだが相手にされない様子だった。


ジーク皇帝の行動が読めない。皇城に引き籠り政務をしていた前皇太子と違い、最低限の政務を終わらせると姿を消し、急に遠く離れた町に現れたり、国境の駐屯地を訪問したりする。毒殺事件があってから、皇城の使用人達にも隙がなく、ジーク皇帝の暗殺が成功しそうになかった。


ライガックは言った。

「かなり死んでしまったが、まだ数人王女が生き残っている。滅びの子供を産む王女の言い伝えが役に立ちそうだ。皇帝の子供を産めば、その子を時期皇太子にすればいい。皇帝とガージニア王女の子供は、全てを統べる権利を持つ。子供が産まれたら皇帝も、落ち着くはずだ。王女達の親族や恋人を捕えているから、皆、俺の言いなりだ。皇帝の子供を産んだ後で王女に皇帝を殺させればいい。」


私は言った。

「そうすれば、私は貴方と一緒になれるのね。」


ライガックは言う。

「ああ、勿論だよ。一緒に帝国いや大陸の頂点に立とう。」



(私こそ、イエ、私達こそ頂点に立つに相応しい。もうすぐだ。もうすぐ。)








皇帝は、いくら王女が誘惑しようとしても、相手にしないらしい。だが、終戦から2年して急に、行方不明のガージニア王国王女と、その子供を連れて帰ってきた。皇帝とそっくりな赤い瞳の幼い子供。


ライガック第一王子は、舞踏会に忍び込みルーナ・クロエ・ガージニアをその目で確認した。ルーナ王女は戦争中、他の王女達への見せしめでライガックが殺した王女だったらしい。皇帝が連れてきたルーナが偽物である事は確かだが、ルーナとよく似ている。ルーナの血縁者だろうとライガックは言った。


ならば、ルーナが死んだことを知らないはずだ。本物のルーナが生きていると偽り脅す。


そして、皇帝を、、、、















ルーナ・クロエ・ガージニアが公爵邸を訪れた。



偽物のくせに堂々と王女のふりをする卑しい女。



不愉快に思いながらイアンナは、ライガックを引き合わせた。



偽物のルーナが、イアンナが招き入れたライガック第一王子を見て呆然としている。


イアンナは言った。

「ねえ、偽物のルーナ。私達に協力して欲しいの。もちろん貴方は断らないわよね。」



ライガックは、イアンナの腰に手を添えて引き寄せながら言う。


「本物のルーナは生きている。君はルーナの親族だろう。王女を語り、皇帝の子供を産んだ事は褒めてやる。だが、滅びたとはいえガージニア王国の王族を語った罪は大きい。本物のルーナと血縁者、それに自分自身を助けたかったら、俺たちに協力しろ。お前が、皇帝を殺せ。」




偽物のルーナは、俯き肩を震わせていた。

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