第6話 輪郭
一限目は国語。
うちの学園では、曜日によって科目は決まっており、教室や内容こそ異なるものの全クラス同じ授業だ。
教師が夏目漱石がうんたらかんたらと熱弁しているのをよそに、俺はポッケのスマホを取り出す。
電源がついたままの画面は青々と光を放っている。
これは俺のスマホではなく、結城さんのものだ。
一見、操作できるのか不安なほどに液晶はバキバキに割れてしまっている。
ガラスが指に刺さる危険性もあるため、彼女がこのまま使うには危ないんじゃなかろうか。
屋上への扉の鎖を彼女が解いているとき、俺は気配を消して、あらかじめ位置を把握していたスカートのポケットからこのスマホを抜き取った。
当然、スマホにはロックがかかっているため、持ち主でないと扱えない。
電源ボタンを押すと、彼女の顔をバレないように画面に収め、ロック解除。
鎖が解除されるよりも速かった。
電源を消さないために、設定画面からスリープモードをオフにして、電源をつけたまま液晶の光度を一番低くして自分の懐に隠した。
ほとんど丁度のタイミングで扉が開かれて、屋上に踏み込んだ次第だ。
彼女と別れてからすでに、それらしい録音と思われるものは削除した。
のだが、
録音ファイルがあまりに膨大な量あったため、念のため確認すると、他にも演出臭いものや盗聴と思われるものが複数あった。
要するに彼女は、常習犯だ。
俺に存在がバレたから、こんなことをしたのだと思ったが、もしかすると他の奴にも彼女の本性はバレてしまっているのではないだろうか。
これは完全に計算違いだった。
だとすると、今も屋上にいる彼女に不幸が起きないとは限らないからな。
録音以外のファイルに関しては、確認しなかった。
というのも、彼女のプライバシーを勝手に侵害する気にもならないからだ。
本来であれば、写真と交友関係くらいはチェックするのだが、別に任務でもないしな。
教室の窓側かつ最後尾の机。
俺の席からは彼女がいるはずの屋上がよく見える。
だけど、塀があるためその全貌は明らかではなく、ただ屋上があるというだけだ。
本当にそこに彼女がいるのかどうかはわからない。
シュレディンガーの猫のような状態だ。
まあ、正確にはただのブラックボックスであって全然違うのだが。
なんて考えていると、猫は姿を現した。
屋上の淵に登ったらしく、手を伸ばして遠くを眺めている。
まさか、最悪な事態が起きるなんてことにはならないよな。
それだけはさせない。
これは彼女の巻いた種から派生した事情だが、俺の巻いた種でもある。
念には念を入れておくとしよう。
俺は影が薄い。
誰にも気づかれないほどにだ。
だから授業中にスマホをいじっていようと気づかれることはない。
だからこそ、俺にしかできないことがある。
彼女のように思いっきり投げてみるか。
馬鹿をするときは躊躇しないことが成功の要だからな。
俺は筆箱からステンレス製のシャーペンを取り出すと、物音を立てず、アンダスローで窓に向かって投げつけた。
間髪入れず、『バリィン』と甲高い衝撃音が教室を支配する。
「きゃあ」「なんだ!」「やばくね!?」」
何ごとだと教師含め全員が、窓にふり向く。
「お前ら! 誰か! け、怪我はないか!」
焦る教師がすかさず、生徒たちの安否を確認する。
もちろん怪我はない。
防犯ガラスということもあって破片も少なければ、内側には割れていない。
狙いは別にある。
数秒も経たないうちに誰かが気づくだろう。
「お、おい……アレ」
ひとりの男子生徒が屋上の方を指差す。
「え? アレって」
「……だよな」
ざわざわと教室に不穏な空気が漂う。
とりあえずこれで、一件落着だろう。
「結城!?……あいつ何してんだ! 急いで助けに行かないととんでもないことになるぞ……! お前らは教室から出るな。静かにしておけ。いいな!」
教師が緊急事態であることを察して、教室を飛び出す。
生徒たちは教室は出ないものの、静かにする気配はない。
「俺らの天使!」「死んじゃうとかないよね」「思い詰めてたとか?」
ざわざわとよくない憶測が飛び交う。
さあ、この中で彼女を助けにいくものは何人いるのだろうか。
なんて、考えていたら頭がぼーっとしてきた。
どうやら、戻るみたいだな。
数分後。
誰もいかない。律儀に教師の言いつけを守ることはいいことだが、このクラスには結城さんの友達とかいないのか?
やけに女子たちがスマホばかりいじっているのも気になる。
「俺らの天使!」とか言ってた変なやつは真っ先に行けよ。
そしてずっと窓に張りついている奴がいるが、こんな状況で何してんだよ。
「……もう少しで見えそうなんだけどなあ……」
きしょすぎんだろオイ。
このどさくさに紛れて、結城さんのスカートの中を覗こうっていう魂胆か。
いくら屋上とはいえ、この距離からじゃ無理だろ。
そして、お前みたいなクズは今のうちに捕まってしまえ。
「あ、痛!」
消しゴムを頭にぶつけてやった。
大丈夫だ。影が薄いからバレない。
俺自身、いつもの自分に戻ったし、ここはちょっくら手伝い行ってもいいが。
でも、どうしたらいいんだろう。
今の俺に結城さんが救えるのか! お前にりさが救えるか!
それにしても結城さんってもしかすると、俺に似たタイプなのかもしれないな。
ざわざわとクラスメイトが騒ぐ中、バレないように教室を出ると、屋上の方向へ歩き出す。
誰もいないなんてことはなく、状況を察して複数の生徒は廊下に出ていた。
確実に内申点と成績は下げられるだろうけどな。
そして、
「——ちょっと遅いんじゃないの?」
屋上に続く、階段の前で仁王立ちした親友——田中たなこと目があった。
「え? 田中……?」
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