第3話 タナタナ☆オーバーヒート

「あ〜ちょっと冷たくしすぎちゃったかなぁ……」


誰にも聴こえない小さな声でつぶやく彼女。


机に向かってノートを開いているが、正直なところ勉強は捗っていない。

小テストのために復習を怠らない田中たなこは今日も悩んでいた。


影野太郎。そう彼女の幼馴染のことについて。


なんでもない今日という日。

4月下旬。高校二年生になって、三週間ほど過ぎた木曜日。


一体、影野はどうしたというのだろう。


これまで頑なに変わろうとしなかった彼が、自分を変えようとしている。


普通そういうものは、入学や進級、文化祭や体育祭などの何かしらのイベントに沿って起きる心変わりだと思う。


けれど、彼はなんでもないこんな日に変わると断言したのだ。

わたしを呼びだしてまで。


もしかして、恋したとか……?


そんな考えが頭をよぎる。


影野はあくまでそんなことは口にせず、ありきたりな理由を述べていたけど、でも私に心配かけないためにもなんて言ってたことを思いだす。


それって、つまり、好きな人ができたから私から離れるため……そんな風にも捉えられる。


やはり、誰か好きな人ができたのだろうか。



に。


田中たなこは今日も戦っている。


素直になれない自分自身と気づいてくれない彼と。



そんな最中、教室の外からおそらく女性らしき叫び声が聴こえた。


友達と戯れあっているような声ではなく、聴こえただけで恐怖を感じるような悲鳴。



心配になって、真っ先に教室を出てみるが人はいない。


となると、Aクラスからはやや先にある、Bクラスの可能性が高い。


何かしらの事件が起きている可能性も否めないため、巻き込まれたり、事態を悪化させないためにも焦らず慎重に、けれど迅速にBクラスへ向かう。


辿り着くと同時に、恐る恐る、ドアについた小窓を覗いてみる。


「……え? 結城さんと影野……?」


見たことがない組み合わせの二人。


初対面といっても過言じゃないはずの二人は、なぜかとても親密そうな距離感で、


「結城さんが影野の手を握ってる……どうして」


ここからは二人の後ろ姿しか見えず、二人がどんな表情をしていて、どんな会話をしてるのかもわからない。


けれど、田中たなこは状況を理解しようとするわけでもなく、気づいたらただひらすらに廊下を走りだしていた。


どうしてだろう……。

教室に二人きりで親密そうにしている彼ら。たったそれだけの困惑で彼女の頭は支配される。


たったそれだけのことでも彼女が傷つくには十分な理由だった。


走り疲れて、息が切れて壁にもたれる。


胸が苦しい。


体育館と教室をつなぐ渡り廊下。


朝練をしているバスケ部たちに目をくれることもなく、彼女は泣くことしかできなかった。


「嘘じゃん……影野ッ!」


彼が今日、わざわざ早朝に来たのはそういうことだったのだろう。


私を呼び出して、決意表明をしたのもそういうことだったのだろう。


教室を出ようとしたときに、結城さんとぶつかってしまったのもそういうことだったのだろう。


こんななんでもないただの日に。


全部。そういうことだったんだ。


恋なんてものは突然として始まることを田中たなこは知っている。


彼女自身もそうだった。


なんでもない日になんでもない彼を好きになってしまった。


けれどそれは自分にとっては特別な日であり、特別な人だ。彼といる時間はとても、特別でかけがえのないもの。


だから影野にとって、今日はおそらく特別なんだろう。


「結城さんかぁ……流石に勝てる気がしないよ。バカ……」


悲しいはずなのに、不思議と泣きながら笑ってしまうのは、彼との思い出が浮かんできて止まらないからだ。


こんな状況で、やっと彼への素直な気持ちを再認識する。


自分の気持ちに蓋をしているだけの日々で素直になろうともしなかった。


一度として彼のまえで恋愛感情を悟られるような素振りをした覚えはない。


むしろ、天邪鬼といえないほどに友達としても冷たい辛辣な対応ばかりしている。


それなのに、影野を鈍感だと決めつけている自分は相当卑怯だ。


今ならはっきりとわかる。


私は影野太郎のことが大好きなんだ。


失恋をしても諦めることができない、どうしようもないくらいに好きだ。


恋は盲目。昔からある言葉は説得力が違う。


それもそのはずだ。


オタク気質(雰囲気)な彼と仲良くなるために、話題をつくろうと、秋葉原に通ってみたら、いつのまにかガジェットオタクになるくらいに、自分を変えてしまったんだから。


本当は機械に興味があったんじゃなくて、彼のそばにいたいだけだった。


「機械に盲目になってる場合じゃないっての」


冷静になると、ゆっくり立ち上がって、歩きだした。


今からでも遅くない。


そんな悠長なことをいっていると、彼はどんどん遠くへいってしまう。


今更、もう怖いものはない。


影野太郎に直接問いただす。


結城りさについてどう思っているのか。


本気で好きなのか。


付き合っているのか。


洗いざらい吐いてもらうつもりだ。


ISO感度を上げて、影野という人間の画質を鮮明にする。


田中たなこはもう迷わない。


恋は突然に始まり、そして、突然として終わる。


かと思われたが、田中たなこは更に影野の惹かれる純粋な乙女だった。










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