第1話 決意表明

 影野太郎の朝は早い。


 正確には、影野太郎の朝は今日だけ早い。


 別に早く来たからといって特別何かをするわけではない。


 ただ、人生を変えるための一歩に早起きを選んだ、それだけのこと。


 毎日の習慣に少しずつ変化を加えることで、俺というどうしようもないモブも生まれ変わることができるかもしれないという算段だ。


 父さん、母さん、妹、隣にいる田中。俺は今日から生まれ変わります。


 今から俺がどれだけ成長できるか見守っていてほしい。


「影野、気持ち悪い表情になってるよ〜」


 そう言いながら、俺の頬のあたりをつつく女子A。


「人が決意を固めてるときになんてこと言うんだよ田中」


「早朝から影野に意味もなく付き合わせられてるこっちの身にもなってほしいな」


 ——田中たなこ。通称タナタナ。

 小学生時代からのクラスメイトで唯一の俺の親友であり、家が近所の幼馴染でもある。

 だからといって漫画やアニメのようなTHE幼馴染ではなく、お互いの家で遊ぶこともなければ、恋愛チックな間柄でもない。

 ただ、いつの間にか仲良くなっていた友情100%の関係だ。


「そんなこと言うなよ。俺たち親友だろ」


「は? 腐れ縁ってだけじゃん。私は影野君よりも仲のいい友達なんてたくさん居るし……正直、面倒臭いかな」


「マジかよ。最低だな」


「感謝してよね。影野と違って、モテるしね」


「それは、関係ないだろ!」


 このとおり俺たちは深い絆で結ばれている(大嘘)。

 

 彼女の言っていることは本当で友達は俺なんかと違ってたくさん居るし、異性からもよくモテる。

 低身長ではあるが、艶のある黒髪ショートにくっきりとした目鼻立ちで容姿は人並み以上に整っているし、性格もそこそこ良くて明るい。

 田中たなこ、俺に負けないくらい影の薄いモブキャラ風な名前なのに世の中不思議なこともあるものだ。


「で、影野、今から何をするつもりなの?」


「あ、そういえば肝心なこと言ってなかったね、ズバリ——友達を作ろうと思う!」


 少しばかり恥ずかしくて難題な目標を、勇気を出して、言い放ってやった。

 前に進むためだ。ある程度の羞恥心など捨てる覚悟だ。


「……」


 田中は口をぽかんと開いたまま、こちらを白い目で見ている。

 どうしたのだろうか?


「なんか、俺の顔についてるか?」


「……あ、いや、そのあまりのしょーもなさに拍子抜けしたというか、あたし帰ってもいい?」


「ん? なぜしょーもないんだい? 彼の決意は立派なものだよ? 正直、傷ついた……」


「だって、友達だよ? そんなことのために人生どうとか言って朝っぱらから呼び出されたんでしょ、馬鹿馬鹿しくなるでしょ普通! 


「ツクロウトシナクテモシゼンニデキルモノナンダネ。トモダチッテ」


「そりゃそうじゃん」


「ジャアナンデ、オレニハトモダチガデキナイノ?」


「影が薄すぎるのと、単純に気持ち悪いからだと思うよ。そのカタコトもキモいし」


 辛辣な言葉を表情ひとつ変えずに、淡々と言わないでくれ。


 ツッコむ気も失せてくるわ。


「そうか。影が薄いだけかと思ってたけど、ちゃんと気持ち悪いと言われたらそうなのかもな……」


「あたりまえでしょ」


 あたりまえでした。


「あの……具体的にはどの辺がこう……気持ち悪く感じる?」


 普段はなかなかこんなこと訊けないが、変わるためには踏み込んで、まわりの意見を参考にするのは大事だよな。


「う〜ん、そうだね。まずは、外見からだけどさ、変な髪型と地味なメガネ。あと、服がダボついてるのとか普通に直した方がいいと思うな。特に女子目線で言わせてもらうと清潔感ってものすごく大事だからさ、今の影野にはそれがないよね」


 まず「外見」の指摘からということは他にもまだ残されているということだ。

 自分にはたくさんの気持ち悪いポイントが存在するんだなぁ。


 なんだか一周まわって全然、傷つかなくなった。これが客観視ってやつか。


「なるほどね。清潔感か……。他には?」


「次に内面と行動についてだけど、何かとこだわりが強いでしょ影野って。たとえばさっきの髪型とメガネについてもだけどさ、前にも辞めた方がいいよってアドバイスしたことあるでしょ。でも、結果そのまま変わってない。あとは、頑なに部活に入らないとかさ、そういうところを変えてかないといけないと思うな」


「あ〜たしかに……」


「行動を変えないと現実は変わらないんだからさ。何かしらこだわりを捨てたり、新しいことに挑戦することも大事だよ。口先だけで俺は頑張ってるぜって言ってるような人間ってすごくダサいし気持ち悪いからさ」


「ごもっともです……」


「あと、私以外と話すときに挙動不審になったり、極端に萎縮して声が小さくなるでしょ。それも影野のことを何も知らない人からすると気持ち悪いってなるかもね」


「うん……文字に起こされると、自分でも客観視できるね。まじで田中の言うとおりだわ」


「影野って実は性格良いんだし、真面目じゃん。成績だって人並み以上なんだし、スペックは悪くないと思うんだよ」


「スペックって人をパソコンみたいに……」


「今の影野はi3の10世代だな。努力すればi5の最新まではいけると思う」


「いや、わからん。本物のCPUでたとえないで」


 プチ情報。田中は意外と機械オタクな節がある。これは昔からだ。

 一番好きなガジェットはスマホらしい。


「え〜。パソコンは私も全然詳しくないし、一般的な知識だと思うんだけどな」


「そ、そうか」


「まあ何にしろさ、友達なんて作ろうと思って作るものでもないし、無理に行動するのはおすすめしないけど、自分磨きはしても良いんじゃないかな」


「ああ……その、ありがとう田中。まじで良いアドバイスだった」


 理不尽なコメントばかり量産されるのかと思ったら、一つひとつ的確な素晴らしいアドバイスだった。


 伊達に親友ではない。俺のことをしっかり見てくれている。

 知ってくれている上で、このように忠実なアドバイスをされると嬉しくなる。


 直すべきところがたくさんあるな俺は。


「感謝するんだったら、放課後、自販機のアイス奢ってね」


「お、おう。それくらいでいいなら安いってもんだ。実際、面倒なことに付き合ってもらってるのも理解してるし、田中の言うとおり、友達って無理して作るものでもなければ、お前みたく自然にできるのが普通だろうしさ。とりあえず俺は自分磨きを頑張ろうと思う」


「うん。頑張れ影野〜。てか、なんで急に友達作ろうなんて思い立ったの? 前から私しか友達いないのに満足げにこのままでいいって言ってたじゃん」


 ふと不思議そうに、こちらの顔を覗いてくる。


「それは流石に現実見たっていうかさ、コミュニケーションスキルがないまま大人になったら不味いし、学園生活を退屈でつまらないままで終わらせてしまうのも勿体無いし、何より楽しみたい、思い出が欲しいな……なんて、ありきたりな理由だよ。あとはお前に心配かけたくないってのもある。だから今日、慣れない早起きをして登校した。毎日同じことの繰り返しじゃ俺も変わらないってことはわかってるから、今日は最初の一歩ってこと」


「ふ〜ん。まあ、あたしらも先週から二年生になったしね。高校生活もそんなに長くはないか。たしかに青春とかしてみたいかもね」


「青春ね。なんか臭いから、俺はあえて言わなかったけどな。楽しければ何でもいいし、派手じゃなくていいからさ。しっかり充実させて成長もしたいよな」


「で、あたしに心配かけたくないってのはどゆこと〜?」


「いや、クラスも二年になって離れたしさ、今まではお前がいたからどうにかなっていたこともこれからは俺ひとりで何とかしなくちゃいけないだろ。いつまでもお前の足手まといになるわけにはいかないし。その点、友達がいれば解決できる問題も多いし、自分の成長だったり、学園生活を楽しむことに繋がるのかなって思ってさ」


「ほ〜。影野にしてはちゃんと考えたんだね」


「にしてはとか言うな」


「影野は私がいなくて寂しいから成長したいってことだったんだね」


「おい」


「素直に言えばいいのに」


「いや素直に言っただろ」


「私のことが大好きだって」


「それは素直じゃなくて嘘だろもはや!」


「やっぱり縁切ろうかな」


「それだけは勘弁してください」


『キーンコーンカーンコーン……』割り込むようにしてチャイムが教室に鳴り響く。

 時計を見ると、七時だ。


 かれこれ二十分ほど話してたんだな。


「そろそろBクラスにも生徒来るんじゃない? 変な目で見られてもアレだし、私はそろそろ自分の教室に行こうかな」


「たしかに付き合ってるとか勘違いされても癪だもんな」


「影野を見て、誰が私の彼氏と思うの(笑)」


「お、そうだな」


 釣り合わないというのは言われなくともわかっている。

 そもそも純粋な友達を恋愛対象で見るなんてことはしていない。


「Aクラスは今日小テストもあるしね」


「優等生は大変だな」


「影野も頑張ればAになれたくせに」


「仮に入れたとしてもお前と違って、ギリギリだけどな」


 俺が所属するのはBクラス。田中はAクラス。

 この学園は二年生からのクラスわけに特徴があり、一年時の成績によって決まる。

 Aクラスは成績優秀者or部活で実績を残している者。B〜Dクラスは単純な成績順だ。


 田中は俺よりも成績がいいどころか、学園で三位の成績を収める優等生だ。

 ちなみに俺は四十位ほどで学年全体で百二十人弱の進学校の中ではそこそこいい部類に入る。


「あ、そうだ。このまま何もなく去るってのも嫌だからさ、宿題出してもいい?」


「は? 宿題?」


「そう宿題。今日までに友達を一人作る! は流石に不可能として友達の手前でいいから誰かしら話せる相手を見つけて少しでも仲良くなればよし。もしできなかったらアイスじゃなくてスマホ奢ってね」


「スマホは奢るなんて日本語初めて聞いたぞおい。プレゼントだろそれは」


 デザートから機械になることも異常な上に、金額も飛躍しすぎだろ。

 いや彼女からすると、スマートフォン=高級デザートという勘違いすらありえる。


「今日の放課後にまた来るから、そのとき私に仲良くなった人を紹介すればアイスで勘弁してあげる。私がいないとぼっちな影野が急に誰かと仲良くなるなんて、相当難しいはずだからスマホは確定だろうけどね。友達を作れって宿題じゃないだけマシでしょ」


 ニヤついた顔つきでバカにしてきやがる。

 アドバイスをくれたかと思えばこれだからなぁ。


「いや、スマホを買うとは一言も口にしてないんだけどな」


「拒否権はないよ。もし、買ってくれなかったら縁切るからマジで」


 冗談だと思うじゃん? 顔がマジなんだよなあ。

 親友だと思ってるのは、俺だけなのかなやっぱ。


「仕方ない。話して少しでも仲良くなればいいだけだからな……やってやるさ!」


「その域だよ。じゃあ、頑張って」


 田中はそう言って、嘲笑するように教室から去ろうとする。


 あいつなりに思いやりで宿題を出してくれたのならいいけど、多分スマホ欲しいだけなんだよな。


 ——直後。


「きゃっ」と小さな悲鳴と共にドサッと鈍い音がした。


「いててて。……あれタナタナさん?」


「あ、結城さん! ごめん! 大丈夫?」


「うん。平気」


 どうやら、教室の入り口で衝突事故が発生した模様。


 結城さんが田中とぶつかって尻餅をついたのだ。


 なお、お互いに怪我はないようで安心した。


 ——結城りさ。


 成績優秀、運動神経も抜群。

 容姿端麗で多くの生徒から慕われ、羨望の眼差しを向けられる、まさに非の打ち所がないような彼女。


 この学園のアイドルと称される人物だ。


 もちろんそんな彼女は田中と同じAクラスだ。


 なぜ、Bクラスの教室に?


「本当にごめんね。ちゃんと気をつけなきゃだね。……ところで、なんでBクラスに? しかもまだ誰も教室に来てないのに」


 いや、俺がいるだろ。

 まあ、たしかに結城さんが俺に用事があるなんてありえないし、そういう意味では俺以外に誰もいないBクラスに一体何をしにきたのか気になるところだ。


「あ〜、タナタナさんが誰もいないはずのBクラスにいるのが廊下から見えて、気になって近づこうとしたら入り口でぶつかった感じだよ」


「え? そうだったんだ。一応、影の薄すぎるモブがいるみたいだよ。私には見えないけどね」


 おい。


「影の薄いモブって……そんな言い方しちゃだめだよ。でも、とりあえず教室に用事があるだけだから、また後でねタナタナさん」


「え、そう? じゃあ、私は先に教室行っとくね」


 二人の会話を聞く感じ、話をする仲ではあるけど特別親しい関係というわけでもなさそうだ。


 田中からの宿題っておそらくこういう相手を作れってことだよな。


 間もなくして、結城さんは教室に入ってきた。


 あたりをキョロキョロと見渡しているが、なんだかちょっと怪しい雰囲気だな。


 気まずいし、机に突っ伏して寝たふりでもしておくか。


 すると、鳥の鳴き声くらいしか聴こえなかった静かな空間に別の小さな声が響いた。


 呪文のような声……もしかして独り言? え、結城さんかな。


 すかさず耳を澄ましてみる。


「——な〜んだ。田中の奴、嘘ついてただけかよ。誰もいないじゃん。てか、田中なんて私に比べたら十分お前もモブだっての。調子乗んな」


 ——え?


「だいたい私を転ばせておいて、反省が足りないっての。あいつの変な噂でも流して、退学させてやろうかな」


 んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん?


 ダメだ。幻聴が聞こえてしまっている。


 どうしちまったんだよ。俺。結城さんがこんな悪魔のような呟きするはずがないだろ。


 落ち着け。動揺するな。そうだ。今すぐ寝よう。


「私を崇めない奴は全員退学になっちゃえ〜」


 いいや、落ち着けるわけないよな。退学させるとか言ってるんですけど〜。

 動揺するに決まってるじゃん。


「——あはは。なんて、冗談冗談。あいつは案外いい奴だし、成績も私よりいいし、容姿は私の方が何倍も優れてるけど〜。完璧アイドルちゃんなんだから私は♡」


 冗談キツすぎるって! 


 自分の容姿にとてつもない自信を持っていたんだな。


 それもそのはずか、学園のアイドルだと称される人物なんだし……実際申し分ないくらいに美しくはある。


 けど、ちょっと待て!


 それはあくまで容姿の話だ。


 現在、俺はありえない光景に直面してしまっている。


 本来ならば、容姿だけでなく性格も素晴らしい女神のような存在であるはずの彼女。


 しかし、この状況からして、これまでの結城さんは全部かりそめの姿、偶像だったてコト……!?


 中国語ではアイドルのことを偶像って書くし!(関係ない)


 これが彼女の本性なのか? 嘘だろ。信じたくない。


 こんなにも人の印象って一瞬で変わるものなのかよ。



「——え、どこがアイドルなの。超絶モンスターじゃん」





まずい。


混乱しすぎたせいで無意識に口が滑った……。



やっばいね!


大変だ〜!

底辺だ〜!(それは元から)


「——え?」


「……あ、なんでもないですぅ」



 過去の俺へ。


 影野太郎の朝は遅くていい。


 正確には、影野太郎の朝は今日だけは遅くてもいい。


 無駄に意気込んで田中を誘ってまで、早朝に登校することに意味はあったのか?


 修羅場と出くわすくらいなら、人生変えようとしない方が良かった。


 父さん、母さん、妹、去っていった田中。今までありがとう。


 俺がこんなに成長するまでたくさんお世話になったね。


 影野太郎は今から、天に召されます。





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