第2話 王宮を目指して

「~~おおっ!?」


 クレイ共和国を抜けた乗り合いバスがテフィン自治領の丘を登りきったあたりで、スノウの隣の席でずっと窓に張りついていた赤髪少年が感嘆の声をあげた。

 そして、くるりと通路側のスノウを振り向くと、急に。


「なあ! あれがドレイモンド帝国だよな!?」


 一瞬目を丸くしたスノウは、突然大声で話しかけてきた見知らぬ少年のキラキラした瞳とそいつが指さす窓の向こうに広がる森と山と青空と、その中に見える街に向かってゆっくりと下降していく飛行船を見くらべて。


「……どうだろう。俺はこの辺の地理には明るくないんだ」


 しかし、そんな戸惑いはお構いなしとばかりに目を輝かせた窓側の赤髪少年は。


「成程ね……ってことは、やっぱお前も討伐者シエラの試験を受けに行くのか!?」


 ……シエラ? 

 テンション高く放たれた言葉を逡巡したスノウが、『そうか、討伐者シエラか』と単語の意味を理解し頷くと、彼はただでさえ嬉しそうだった笑顔を爆発させて。


「へっへー、やっぱしな! 実はお前が乗って来た時からそうなんじゃないかって思ってたのよ! 俺はアッシュ! アッシュ・ヘイワード! 南のジャラント自治区ってとこの出身で、討伐者になるのがずっと昔っからの夢だったんだ! よろしくな!」


「……ええと……」


 さし伸ばされた右手と、その持ち主の笑顔を見比べる。

 年のころは同じくらい。髪は赤で瞳は黒に近く、厚かましさ以外に悪意や敵意のようなものは感じられなかった。


「……アッシュ」


 呆然と手を見つめたままでつぶやき返したスノウに向かって、アッシュは変わらず純真な笑顔のまま。


「お前は? 名前はなんていうんだ?」

「? ああ、俺はスノウ――」

 名乗った後でしばらくアッシュの目を見つめながら、彼の様な紹介をしたほうがいいのかと考えて。


「ええと、スノウ……って呼ばれてる。クレイ共和国の外れの山に師匠と住んでて、それで師匠が『ドレイモンドの王宮に行け』って……討伐者シエラというものは聞いたことがあるけれど、試験というのはよくわからない」


 すると目の前の少年は、任せとけとばかりに大きく笑ってスノウの右手を握りしめ。


「大丈夫だって! 俺も受験は初めてだし! よーし、一緒に王宮行きを目指して頑張ろうぜ、スノウ!」


 九割ほどが埋まっているバスの中で大きな声で叫び握った手をぶんぶんと振り回すアッシュの笑顔は、遥か向こうに見える海のごとくきらめいていて――どうしたものかと困ったスノウが、さすがにその手を振りほどこうとしたときだった。

 山中を行く乗り合いバスが、不意にプシュッという蒸気の音をあげて停車した。


「……?」


 左手の崖の下に川と森が広がり、それ以外は山に囲われているテフィン自治領の内部。当然、周りに何かがあるというわけでも無い。

 顔を見合わせた少年二人は、ほとんど一緒に首を伸ばして運転席の様子を覗き見た。不思議そうな表情で周囲を見回している運転手の姿にどこか故障でもしたのだろうかと思ったが、それにしては慌てているという感じではない。


『どうした、なにかあったのか!?』


 しばらくして異変を察した乗客の中から上がった声に、運転手がぽりぽりと頭を掻きながら振り向いた。


「いや、なんていうか、ここ……。ここはマガト一家の私道なんで、いつもはここにファミリーの下っ端がいて、通行証をチェックするんですがね――」


 肩をすくめる彼に向かって、乗客は。


「? それがいないってことか? だったらいいだろ? さっさと出してくれよ」

「そうは言いいますけどね……」


 やや高圧的な客の物言いに、年若い運転手は溜息をこぼし。


「お兄さん、カジノに行くんですかね?」

「あん? それがどうした? どこで降りようと俺の自由だろ?」


 運転手は小さく首を振る。


「それがそうでもないんですよ。このテフィン自治領ってのは、全部マガト家の土地なんす。兄さんがお楽しみのカジノやストリップはもちろん、その周りのビーチも劇場も世界中のお偉いさんが集まるような会場も、それからこの道もこの山もこの空気だって、全部ぜ~んぶマガト一家の所有物なんすよね。わかるっすか? 勝手にマフィアのもんなんか触ったら、ただじゃ済まないっすよ」

 

「なんだよ? じゃあずっとここで待ってんのか――」


 気だるげに笑うばかりで発車する気のない運転手の様子を見て、文句を言っていた男が立ち上がる。

 ――が。

「……ちっ」

 乗客という乗客から向けられる異様な目に気が付くと、気まずそうに舌打ちをして再び腰を下ろしてしまった。

 その様子を見たアッシュとスノウがいったい何事が起きているのかと目を見合わせていると、不意に。


「ふむふむ、どうやらマガト一家はこの地域で相当な影響力を持っているようですと報告をします。――ところで!」


 二人の前の座席に見えていた黒い帽子がぶつぶつとつぶやきだしたと思ったとたん、伝統的な魔法使いが被るような大きな三角帽子がぴょこんとこちらを振り向いて。


「お話を盗み聞きさせていただいた限り、お二人はドレイモンド帝国を目指していると推察しますのです。そこでクリンちゃんは、先ほどアッシュ君が指さしていたのはこの度のシエラ選抜試験が行われるドレイモンドではなく、このテフィン自治領が誇る欲望と快楽の街マガティーノシティなのですとアドバイスを送ります」


 流れるように喋りながらよいしょよいしょと座席をよじ登ってきた三角帽子の下から、ふわふわな金髪をたっぷりとたたえた可愛らしい女の子の笑顔が現れた。


「えへへ。というわけでクリンちゃんです。実はびっくり私も選抜試験を受けるのですが、見ての通りクリンはちょっぴり可愛いだけの魔女さんなので素敵なお二人に大いなるご協力をお願いするタイミングをうかがっていたのですよー」


 身を乗り出した座席の上でお手々をあごの下に当ててみたりと可愛いポーズを作ってくれたクリンちゃんの三角帽子の向こう側、何かに気づいた様子の運転手が立ち上がるのを見たスノウは、隣で『よーしお兄ちゃんに任せとけ!』とデレデレしているアッシュの横顔から乗降口の方へと視線を移した。


 そして――。


「えへへ、うれしいです。それではクリンがシエラに選ばれるように一生懸命頑張ってくださいとお願いするのですー」


 ――プシュとドアが開く音とともに現れたのは一人の女。ひらひらとした黒紫のドレスに身を包んだ美しい人が、ゆっくりとバスの中に乗り込んできて。


「……お嬢さんは、マガト家の使いですかい?」


 車内に満ちた緊張感を背負って問いかけた運転手に、彼女は不釣り合いなほど柔らかな笑みを返して見せた。


「いいえ。私は……そうね、通りすがりの踊り子ってところかしら。それと、あなたが言う『使い』って人達なら来ないと思うわよ。なんだかお屋敷でパーティーがあったみたいだから」


「パーティー……? ああ、そういや今度マガトのお屋敷で親族の集まりがあるとかなんとか――って書いてあったような……そいつが今日なんですかい?」


 髪をかきかき問い返した運転手に、美女は軽く頷きながら。


「そうね。かなりの人数が集まってたみたい」


 微かな笑みを残してすたすたと通路を歩きだした美女を振り返り、運転手はエンジンをかけなおす。ゆっくりと走り出したバスの中をやってくる美しい人を横目で追っていたスノウは、彼女が自分の真横を通り過ぎた瞬間、窓の向こうに見える風景に気が付いて。


 ――血、だ。


 ゲートのわきに立っている小屋の壁に、拭き取ったような血の跡が見える。


「……?」

「よう、踊り子の姉ちゃん。ここがあいてるぜ」


 そっと彼女の様子をうかがったスノウの気配に気づいて足を止め振り向きかけた女の腕を、先ほど文句を言っていた男が強引につかんだ。


「へへへ、んな冷たい目をすんなって。大方あんたもあのマフィアのお屋敷の変態パーティーから逃げて来たんだろ? いいじゃねえか、金ならちゃんと払うし、ほかに空いてる席もないみてえだし――なあ、お前らもいいよなあ?」


 ついさっき己に向かって『黙って座っておけ』という視線を向けて来た周りの人間たちを、粗野な男が睨みまわす。

 彼の全身から漂う理不尽な怒りとその手の先で急激に冷えた女の横顔に危険な気配を感じて目を背けたスノウの肩に、隣でクリンちゃんとお喋りしていたアッシュの手が置かれ――


「おいおま―」

「やめたまえ!」


 前方の座席から声を上げた正義の少年よりも強い声は、彼らの席にほど近く。

 注目の中をぬぅっと立ち上がったのは、大きな体と大きな腹をしたボサボサ髪の若い男。


「なんだとてめえ?」


 身体にためこんだ怒りと不満を塗り付ける様な視線を向けてきたおじさんを、涼し気な表情で受け流したパツパツTシャツの青年は。


「やあ、初めまして。少し狭くなるけれど、小生の隣などはいかがですか?」

「そうね。私なら座れそうだけど、あなたは少し汗臭いわ」


 柔らかな笑みで告げた美女の言葉に、汗染みシャツの青年は涼し気に笑って。


「これは失礼。だけどそれは、あなたがまとう血の匂いとお互いさまということで」

「あら?」


 言われた美女は、見た目のわりに上品な彼の視線の先に目を落とすと、スカートの裾に付いていた赤黒い染みをつまんで見せて。


「わかったわ。できるだけ私に汗が付かないようにしてくださります?」

「もちろん。あなたが望むなら息をすることすらやめてみせますよ、僕は」

「おいおいおい! ちょっと待てよおい!」


 爽やかな笑みを浮かべた彼の横にしなやかに腰かけるクールな美女を見て、おさまりが付かなくなった男が一歩詰め寄った時。


「めっ!」


 アッシュの頭の上から響き渡った幼い声に、男を含めた車内の動きが止まって。


「みんな『めっ』です! 一番可愛いのはクリンなのですぅ~! 他の女にデレデレするのはなのです! みんなクリンが可愛いのですぅ~!」


 かんしゃくを起こして座席をきしませた十歳ほどの可愛い三角帽子の女の子が、身の丈よりも大きな杖をふりふりと可愛く振り回し。


「……あ、ああそうだな。そうだったよ。悪かったよ、クリンちゃん」


 途端におとなしくなった男とその他の乗客たちに『えへへ~』ととびっきりの笑顔で手を振る世界一可愛い魔法使いクリンちゃんに朗らかな笑顔で手を振り返す人間達を乗せ、巨大なマフィアが消えた静かな街道を黒塗りのバスは真っすぐに走り続けた。

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