第3話 ミッション


東の空から昇り来る太陽の黄金色の光が白く陰影に富んだ雲に神々しい輝きを与えてゆく。


銀色の鎧に身を包み、弓矢の装備を身に付けたアラートは 夜明けの雲の上に立ってその切れ目から下界を悠然と見下ろしていた。


磨き上げられた鎧が朝陽を受けて金色に輝く。

視線を太陽に向けて、大きく息を吸い込むとアラートはゆっくりと翼を広げてゆく。

純白より白い絹で織り込んだ様な しかしたくましさを秘めた翼。


だが、大きさから言えば全長が3mにも満たないその翼は航空力学的にアラートを飛行させる為の揚力を発生させ得ない。


それでも、天使が飛翔し得るのはそのメカニズムが鳥や飛行機とは根本的に異なっているからである。

その翼は世界の各階層に流れているプラーナ、生命力とも呼ばれる根源粒子をあたかもソーラーシステムの集光器の様に集積して吸収する機能を持っている。


ほぼ霊体と言える天使は意志の力によって自在に浮力を得ることが出来るが、翼が担っているのはプラーナから変換された強力な推進力である。

天使が他の大半の霊的存在に対して持つ圧倒的なアドバンテージは 翼から得られる移動能力と、攻撃力の高さなのだ。


過去に何度も起こってきたアーマゲドンと呼ばれる 悪魔達との大規模な戦争に打ち勝つことができた大きな要因は、やはりこの翼から得られる絶大な機動力であった。


アラートが拝む様な形で両手を胸の前で合わせると プラーナの作用で火花に似たエネルギー放射が生じて、彼の全身が白く発光した。


そして、踏みしめていた雲からゆらりと踏み出すと、遥か遠くへ見える地上へ向けて身を躍らせる。初めはユラユラと螺旋を描きながら下降していたが 、途中から速度を上げて落下速度よりも遥かに高速で地上へと向かって行った。



北半球のアジア方面にコネクションが多いアラートは 中国、タイ、シンガポール、マレーシアという選択肢を頭に描いていたが、地上が近づくに従って生じた直感に従う事にした。


目標を一点に定めると、アラートは殆ど光に近い速度を発揮してその場所へと到達した。


あまりの速度のため、瞬時にその場所にアラートが出現した様に見えた。

(実際は人の眼には見えないが)


足元はアスファルト舗装である。


ゆっくりと立ち上がって見回すと都会の中の公園であることが見て取れるが、時間が早いせいか人通りは少なく 噴水はまだ沈黙したままである。


横に長い公園の向こうに立つ鉄骨のタワーに設置された大きなデジタル時計の時間表示が点灯し、午前5時丁度であることを知らせた。


8月3日、月曜日


真夏の朝なのに空気は乾いて澄んでおり、蒸し暑さとは無縁である。


「爽やかな朝だ。

やはり、札幌は良いな。」


アラートは日本の北海道、札幌市の中央を貫く大通り公園に立っていた。

街路樹が朝陽を浴びて輝き、濃い夏の匂いを漂わせている。


ラファエルから与えられた期限は8月9日の日曜日までである。


丁度7日間


結び付けるべきターゲットを見つけ、情報を収集して不自然ではないアプローチ戦略を策定し実行に移し、最後に繊細かつ情熱的なクロージングまで持って行く。


これは映画やアニメなどで描かれるように、天使の矢を相手の胸に打ち込めば目がハート型になって恋愛が成就するといった簡単な話では全くないのだ。


ターゲットの過去や精神的構成をリサーチし、相手との未来時制における不安要素を可能な限り削り取って安定指数を可能な限り上げてから進めないと後から盛大な減点が付けられる。

(かつてのアラートはそのルールの裏側のグレーゾーン(殆どブラック)を使ってクローズしてきたためトラブルが続出していた。)


こういった多数の規制や制限が存在する為 普通なら7日間では到底不可能なミッションなのだが、アラートの経験と直感が導き出したこの北海道というロケーションこそが ミッション達成への重要な鍵になると確信していた。


ひとしきり大通り公園を散策した後、アラートはターゲットのリサーチを開始した。

朝から夜までの間に幾人かの候補者に霊的なマーカーを付けてその時行動や発言、精神状態をモニターし、ターゲットに相応しいかどうかを見積もるのだ。


恋愛という非常に不安定かつ精神エネルギーの大きな事柄を扱うため、そのターゲット選定は最も重要度の高いプロセスで時間がかかる。


普通はコレだけでも優に7日間は掛かるのだが、今回は大幅に圧縮して2、3日で確定しなければならないため ほとんどアラートは目を血走らせて飛び回った。


北海道大学周辺から始まり、札幌駅の複合商店ビル郡、ビジネス街、大通り公園からススキノまでのショッピングモール、そしてアフター5にはススキノ歓楽街までを視野に入れて移動を繰り返した。


そして、最初の1日がまさに光の速さで過ぎ去ってしまった。


日付が変わる真夜中の大通公園は街灯の光を受けていたが、既に眠りの気配を濃くしていた。


噴水の前のベンチに不景気な顔で腰掛けているアラートからは落胆と焦りの気配が漂っていた。


隣のベンチで肩を落として項垂れる濃いグレーの中年サラリーマンと同種の悲哀がアラートからも漂い出ている事に彼自身気づいていなかった。


「参った。 初日とは言えこれ程 引きがしょっぱい状態だとは想定してなかった。」

10人ほどマーカーを付けはしたが、「コレは!」という感覚が生じたケースではない為 あくまでも保険の域を出ないのだ。


首を振りながら彼は、日が昇ってからの仕切り直しにしようとベンチから立ち上がった。


と、その時、


ピシッとという鋭い肉を打つ様な音とともに、女性の甲高い声が響いてきた。

「ひどいわ、 直樹! 私の事は遊びだったのね!」


アラートがそちらに顔を向けると 噴水の向こう側でスーツ姿の若い男とやや露出度高めの若い女性が向かい合っている。

女性が平手打ちを見舞ったらしく、直樹と呼ばれた男は左の頬を押さえている。


『ほほう、修羅場じゃあーりませんか。どれどれ、、、』

人の目には見ないのをいい事に アラートはガチで野次馬を決め込むと決めた。


彼女がひとしきり捲したてるのをじっと聞いていた直樹は、その言葉が出尽くすのを待ってから口を開いた。


「いいかい、君の事は仕事上の友人として大切に思っている。

しかし、僕には好きな人がいるから君の気持ちには応えられないと

以前言った通りだよ。」


「だったら、どうして今夜私にこんな時間まで付き合ってくれたのよ!

希望がないのに希望を持たせる様なそぶりは残酷だと思わないの⁈」


「それは、君が仕事上の相談だと偽って僕を呼び出したからだ。

人間関係は仕事上の大事なファクターだけど、君がそのやり方を変えないなら 君を受け入れるわけにはいかないな。」


女性は再び甲高い声を上げて喚き始めたが、今度は唐突に口を閉じ 激情に駆られていた瞳に理性の色が戻り始め、辛うじて冷静な声で言った。


「帰るわ。 騒がせてごめんなさいね。」


彼に背を向けると彼女は振り返りもせずにスタスタと歩き去り、直樹の方は呆然とその後ろ姿を見つめた。


「ち、、、一本ムダに使っちまったな。」

アラートは矢のケースを閉じて弓を折り畳むと忌々しそうに呟いた。


激情に駆られた彼女が正気にかえったのはアラートが放った1本の矢が 彼女の心のある部分に的確に命中したからだった。


オリハルコンの鏃は使う者の技量によって実に多様な機能を発揮する。

そう、人の心に激情を巻き起こすだけではなく、激情に飲まれた者に理性を呼び起こさせる事や、絶望した者に希望を与える事も出来るのだ。


「それにしても、あの男、、、」

札幌駅の方へ歩き去る直樹を見て、指先でマーカーの受信機であるコインを弾きながらアラートは独りごちた。


「珍しく古風な考え方をしているな。


ふむ、面白くなりそうじゃないか、、、。」



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