第2話 過去との訣別
金属が石に擦り合わされる硬質な音が部屋の中にずっと響いていた。
ぽたぽたと汗が止めどなく作業台の上に零れ落ちる。
アラートは武器庫から100本持ち出したキューピッドの矢の鏃を研いでいた。
本当にこれだけの本数が必要かは判らないが、チャンスに矢が足りなくて棒にふるのだけは願い下げだった。
ラファエルの奴に脅されたからやる訳ではない、ヤツの挑戦を打ち破るためにやるにだと、アラートは自分を納得させた。
鏃の錆や汚れがこそぎ落とされ、オリハルコンと呼ばれる精神感応金属の素顔が露わになってくると、自分の不浄な部分が浄化されてゆくようで アラートは一心に研ぎ続けた。
100本目の鏃を研ぎ終えて一休みすると、次に弓の弦を今までよりも1ランクキツいものに張り替える。
これまでは、貫通力よりも精度を重視して撃つ本数もあまり掛けないように ソコソコの結果を出してお茶を濁してきた。
しかし、今回アラートは自分の持つ弓の中から最も強弓を選び、真剣勝負用のテンションを掛けた。
あるレベル以上になると、弓を引き絞るのは力ではなく動きの合理性である事に気付くようになり、強弓の連射すら可能な境地に至る事になる。
かつて、彼は弓の腕前では余人(余天使?)が辿り着けない場所にいた。
そして、その驕りが引き起こした事態がアラートの胸の奥に蘇り、その唇には自嘲の笑みが浮かんだ。
確かにアラートが最初、 人の出会いや愛をコーディネートするキューピッド部局に入局した時、彼以上の腕前を持つ射手はおらず、連日目覚ましい結果を出して注目を集めた。
男女のアプローチから複雑なプロセスを経てのクロージングまで、飛び抜けて勘の良い彼はゲーム感覚で身に付け、深く考えずに結果だけを出し続けた。
やがて、2年目も半ばを過ぎる頃に彼は 部局のエースとしての確固たる評価を受けていた。
そんな中、事件は起こった。
1人の男を巡ってアプローチを掛けていた2人の女性がそれぞれ別の場所で自殺を試みたのだ。
その結果、本命の女性は死亡して もう一人は精神を病んで病院に入れられ、今もまだ入院中である。
彼が使ったメソッドは女性特有の嫉妬心を煽り、男性への依存心と絆の強化を図るという方法論の発展型であった。
確かに方法論としてはアリなプランであったが、皮肉な事にそれぞれの性格及び背後に潜む関係性への深い考察がされないまま実行に移されたのだ。
2人の女性は互いに親友同士であったのだが、過剰な嫉妬心を煽ったためにその関係は修復不可能なほどに破壊され、自らの暗黒面を互いの姿の中に直視した結果 絶望に捕らわれたためそれぞれが自殺を選んでしまった。
それだけに止まらず 似たようなトラブルが数軒続いて 彼がリカバーしようと打った手がことごとく裏目に出たのだった。
結果、アラートは管理局からの命令で 一時部局の作戦行動から外されていた。
1年後、彼が部局に復帰した時 それを歓迎した者はおらず、彼自身 悪い意味で全くの別人になって戻ってきたのである。
かつての誇りを捨て去って、ただの流れ作業で仕事をこなしてゆく彼の目には既に夢や希望は映されていなかった。
今更ながらに後付けの理屈かもしれないが、アラートはこの時を待っていたのかも知れない。
ラファエルに突きつけられた現実は、苛烈に過ぎた感はあるものの とうの昔に我が身に降りかかってもおかしくない出来事なのだから。
そして、ぎりぎりの危機感と怒りによってアラートは気付いたのだ。
己れの誇りと価値が何処にあるべきなのかを。
彼は試射用の矢を弓につがえると部屋の反対側の壁に掛けられた的に向けて なんの気負いも見せずに射た。
空気が震えて同時に鋭く乾いた音が鳴る。
的の中央に突き刺さった矢が小さく震えていた。
何度かそれを繰り返して弓と矢の整備が満足のいくレベルに達したことを確認すると、隣の部屋に行きベッドに腰掛けるとアラートは静かに目を閉じた。
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