第2話『虎子の夢』

 放課後、虎子の部屋で1年生の中間試験に向けた勉強をしていた。

『……という訳で、この時の主人公の気持ちを答えよ』

「ピンポーン♪」

 虎子が大声と共にセルフで解答スイッチ音を出して、机を叩く。

『はい、虎子』

「んなもん、本人にしかわからな……痛っ!」

 私はノートを丸めてポコッと虎子の頭を叩く。

『だから、さっきから言ってるでしょ、本文から主人公の気持ちを読み取って、答える問題なの』

「え~、だってよ~、本当の気持ちなんて本人の心にしかないだろ。それとも何?この主人公は俳優かなんかで、インタビューされた記事とかでもあるのか?」

『そんな訳ないでしょ、この作品はフィクションなんだから』

「じゃあ、作者に聞いたのか?そうじゃなきゃこんな問題わからないだろ!」

 私はため息をつくと、カバンから折りたたまれた紙を取り出して虎子の前に突きつけた。

「な、なぜこれをっ!」

 虎子が驚いて目を見開く。

『あるルートから入手したのよ』

「ま、まさか、龍美?!龍美のことかぁ~っ!!」

 アホ虎が某少年漫画のシーンを真似て咆哮ほうこうする。

 龍美とは、桐生龍美きりゅうたつみ、虎子の母親だ。

『正解。…というか、現代文の小テストで50点満点中3点とか、ヤバ過ぎでしょ。

 しかもその3点も、名前の字が綺麗だからっていう、おまけの加点だし、実質0点じゃないの!』

「いや~、小学生の時にサインの練習した甲斐かいがあったぜ!」

 いやいや、誰もそんな所褒めてないから。

『はあ……頭痛い』

 こめかみを抑えて目を閉じる。

「だ、大丈夫か?」

 誰のせいだ誰のっ!!

『とにかく、言い訳ばかり言ってないでマジメに勉強しないと夏休み赤点補習になりかねないからね!』

 アホ虎の鼻先に指を突きつける。

「…はい」

 アホ虎が肩を落としてうなだれる。

 小さく息を吐くと、虎子の頭をぽんぽんと叩いて言った。

『ほら、私が勉強見てあげるから…ね?』

「さ、沙絵ぇ~」

 瞳を潤ませた虎子が飛び付いてくる。

『わっ、こ、こら!ハグとか今はいいから、ちゃっちゃと勉強するよ!』

?」

『う、うるさい!』

 なんでそういうところだけ耳聡いのよ、このアホ虎は!


『ふう、とりあえず今日はここまでね』

「いや~、沙絵のおかげで助かったぜ、サンキューな」

『お礼はいいから普段からノートくらいまともに取ってください』

「はいは~い」

 絶対やる気ない返事だ。

『はあ……明日は数学やるからね』

 すると虎子が渋い顔をする。

「数学かぁ…因数分解いんすうぶんかい、だっけ?あんなの出来ても将来何の役にも立ちゃしねーよ」

『出た、アホの考え方その1』

「だいたいさぁ、勉強頑張っていい大学行って、いい会社に入るとか、今時古くない?」

『はいその2、貰いました』

「そんな事よりも動画配信とかしてサクッと稼いだほうが楽……」

『アホ虎がそんな事したら速攻で自宅特定されて変な奴が寄ってくるわよ』

 私はメガネのブリッジを押し上げて涼しい顔で言ってのける。

 アホ虎がぐうっ、と唸る。

『そういえば虎子、この前渡した進路希望の用紙は提出したの?』

「もちろん。あ?もしかして何を書いたのか聞きたい?」

『ん、まあね』

 アホ虎の事だから変なの書いてそうだし。

「そ~かそ~か、気になるか~」

なぜかうれしそうなアホ虎。

 腕を組んでマウント気味な調子が超ウザい。

 それと、何か私がアホ虎に興味津々みたな雰囲気が出来上がっていて恥ずい。

『い、いいから、早く教えなさいよ!』

「じゃあランキング形式でいくぜ!」

『ご自由にどうぞ』

「よし、まず3位は…沙絵の彼女!」

『……』

 半目で見つめる私と

「……」

 頬を染めてニコニコのアホ虎。

『それ、マジで書いた?』

「ピース♪……いだぁっ!!」

 教科書で思い切り叩いた。

『バッカじゃないの?!』

 まあ先生も冗談だと思うだろうけど。

「痛ててっ、最近暴力的じゃね~?

 そーいうキャラ狙ってるわけ?あるいはそーいう趣味?」

『どっちでもないわ!自分の胸に聞いてみなさいよ!』

「胸に?……ハッ、何かドキドキしてる!」

『こらこら、変な扉開くなー、閉じろ閉じろ!』

「はあ……よ、よーし、気を取り直して」

 何かそのセリフ釈然としないわね。

『それで、2位は?』

「そんなに気にな……あ、はいすみません、言うッス、言いますから、その手元にある大技林を掲げるの止めて貰えませんっ?!」

 私は渋々分厚い本を持った手を下げる。

「さて、2位は……沙絵のお嫁さん!……わあっ、大技林投げるなって!」

『一応聞くけど…』

「マジで書いた、ピース♪」

『はあ……よくそれで先生受け取ってくれたわね』

「まあ、私だし!」

『その自信はどこから来るのか』

 いい加減このアホ虎には行間を読む事を学んで欲しい。

 キャッチボールしようとして緩い玉を放ったら、金属バットで打ち返されて快音を響かされた感じだ。

「まー、1年の1学期の希望なんてそんなもんじゃね?」

『いや、みんなを自分と同列にするのやめい。というか、痛い子認定されたんじゃない?』

「そ、そんなことっ!……ない、よな?」

『いや、知らないけど』

 潤んだ瞳で顔を近付けてくる。

 うぅ……。

『ま、まー、大丈夫よきっと』

 私は熱くなる頬を虎子から背けて頭をぽんぽんと叩いた。


「次は1位かぁ……いや、何か恥ずかしいな…あはは」

『3位と2位も大概タイガーだったけどね』

「え?」

『ウソゴメン忘れて』

「……あ、あー。大概とタイガーと虎子な私をかけたダジャレね!」

『て、丁寧な説明ありがと』

 ふるふると震える拳で精一杯の虚勢を張る。

「おう!」

 本当、このアホ虎ぁっ!!


 と、虎子が席をたつと机からレターケースを取り出して何やら書き始める。

『どうしたの?』

 虎子は手紙を私に差し出して言った。

「やっぱり、その……1位言うの、は、恥ずいから、家に帰ってから見てくれよ」

『う、うん』

 急にマジメなトーンで話されて少し驚きながら受け取る。

 虎子がホッと胸を撫で下ろす。

「…なあ、沙絵」

『ん?』

「勉強、見てくれてありがとな!」

 ニッと笑った虎子に、頭を撫でられる。



 親密な声音

 屈託のない笑顔

 ふわり。優しく触れる彼女の手のひらが、私の胸をきゅうっとさせる。

 彼女の胸に顔を埋める。

 私の肩を虎子がぎゅうっと強く抱き締める。

 その乱暴なハグに、痛みと共に虎子の存在をより強く感じて私の心は暖かな液体に浸されたように穏やかになる。

 でも、すぐにそれは彼女の次の言葉によって揺らいでしまう。

「沙絵、大好きだ……」

 耳元で囁かれるくすぐったくも甘い言葉。

 再び胸が苦しくなってくる。

 はあ……荒い吐息を洩らして、私は初めて自ら彼女におねだりした。

『ねぇ…キス……して』

 腕が解かれ、僅かに距離が開く。

 虎子の手が、私のメガネをそっと外してテーブルに置いた。

「……」

『……』


 僅かな間、見つめ合い、そして―――口づけを交わした。

 軽いキスを何度か重ねるうちに、頭がぼうっとしてくる。

 唇の表面を舐めていた舌が、唇の間を割って入ってくる。

『…ん……んんっ……』

 ぬるりとした感触と液体が跳ねる僅かな音が聞こえ、首筋のあたりがぞわりとする。

 意識がぼんやりとしてくる。

 目を開くと、虎子と目が合う。

 彼女の眼光が妖しく光った気がした。

 次の瞬間――制服の上から乱暴に胸を揉まれた。

 私は驚いて虎子を押し返す。

『ちょ、ちょっと待って!』

「イヤ……だった?」

 イタズラがバレた子猫みたいに縮こまる虎子。そっと伺う瞳は幼子のようで、断り辛い、その表情ズルくない?

『イヤじゃ、ない…けど、ちょっと急だったから驚いたっていうか…』

 何で私が言い訳みたいな事を言ってるんだ?

「そっか、ゴメン。じゃあ今から宣言するね」

『は?』

 バッと両手を掲げる虎子。

 それはまるでUFOを呼ぶ怪しげな儀式の所作のようだ。

「宣誓!私は今から沙絵の胸を揉んで揉んで揉まれて揉みしだきます!」

 何だその飲んべえみたいな宣誓は!

『直球すぎるのよ、アホ虎!!』

「でもそんなアホ虎が好きな沙絵なのであった、まる」

『変なモノローグ入れるな』

「違った?」

『うぅ……ズルいぞアホ虎』

 うれしそうな虎子の八重歯がキラリとして、そのまま私は押し倒されたのだった……。



          *



『うぅぅ……胸がひりひりする』

 結局あの後、猛った虎に胸を重点的に苛められたのだった。


 自室に入ると部屋着に着替え、虎子から貰った手紙を手にして布団へ寝っ転がった。

 これで1位がロクなものじゃなかったら、あんた先生に見限られてるからね。

 先生から虎子が見限られるのは嫌だ。

 もし変な回答だったら、私も一緒に虎子の将来について話さなければ。

『私は虎子のお母さんか!』

 自らにツッコミを入れながら、でも仕方ないよなと思う。

『だって…好きなんだもん…』

 胸がじぃんとしてくるのを何とか抑え、目を閉じて一度、深呼吸する。

 中身を取り出して、そっと片目ずつ開いて確認する。

『……へぇ』

 思わず感嘆の息が漏れた。

『え?これマジであの虎子が書いたの? はー、あのアホ虎がねー、意外。すごく、意外……だけど、うん。なんかこれはこれで良いかも。うん、うん!』

 私は嬉しくなって虎子へ電話――しようとして、止めた。

『ふふふ、明日の放課後、さんざんからかってやろう!胸のお返しをしてやるんだからっ!

 覚悟しろよ、アホ虎!』








  将来の私の夢は警察官になること!  








―――――――――続く―――――――――

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