行先の消えた地下鉄
於田縫紀
行先の消えた地下鉄
金曜夜、会社帰り。
いつも通り私は疲れていた。
そして帰りの地下鉄で前の席に座っていたおっさんが立った。
当然ありがたく座らせて貰う。
この電車は常磐線直通我孫子行き。
私が降りる駅まで30分以上かかるが直行してくれる。
ならちょい眠ってもいいだろう。
一駅過ぎない間に意識が途絶える。
◇◇◇
目が覚めた。
乗り過ごしていないよな。
そう思って周囲をさっと目で確認。
窓の外は暗い壁。
まだ地下鉄区間のようだ。
いつもなら降りる駅の手前ぎりぎりまで目が覚めないのに、今日は随分早く目が覚めたなあ。
そう思ってふと気づいた。
妙に乗客が少ないなと。
車内に立っている人が数人しかいない。
大都会を走る地下鉄なのだ。
こんなに空いているのは深夜か早朝くらいしかありえないだろう。
いや、深夜ですらもっと混んでいる筈。
月に2~3度終電にお世話になる私は知っている。
アフターコロナの今でも変わらない。
勿論コロナ前よりはずっと空いていて、すし詰めなんて事にはならなくなったけれど。
とりあえず今は何処を走っているのだろう。
そう思って扉上にあるディスプレイの表示に目を向けた。
『次は大手■……』
何だろう、読み取れない部分がある。
文字化けしているのだろうか。
そう思ったところで車内アナウンスが入った。
『次は、大手■、大手■です。
■■換えのご案内です。丸の■線、半■■線、■■線、都■■■■線は、お■■換えください』
変だ、普段は混んでいてももっとしっかり聞き取れる。
もう一度車内の液晶表示を確認。
おかしいのは『大手■』だけではなかった。
行先表示も、途中の駅名もバグっている。
いつもなら『各駅停車 我孫子行き』と表示されている筈の部分はモザイクがかかったような状態。
その下の駅名表示も先に行くほど読めなくなっているようだ。
大手町の次の、新御茶ノ水の部分は『新■■ノ■』
その次の本来は湯島である部分は『■■』
更にその先に至っては表示すら消えている状態。
何かわからないがぞわっとした。
嫌な予感がする。
このまま乗っていてはいけない。
そんな思いが私を支配しはじめる。
落ち着け私、きっと単なる表示装置のバグだ。
このまま乗っていれば最寄り駅まで座って帰れる。
折角座ったのにわざわざ立つなんてどうかしている。
そう思っても予感は止められない。
そう言えば他の乗客も何かいつもと違う感じがする。
何というか生気が無いのだ。
社畜が多そうだから生気が無くて普通。
そう思っても違和感が抑えられない。
列車が減速を始めた。
間もなく駅だ。
このまま乗っているのが怖くなってきた。
疲れているけれど降りようと決意。
私は立ち上がり、扉の方へ。
窓の外にホームの灯りが流れる。
早くこの電車から離れたくて足が震えている。
怖さが止まらない。
扉が開くとともに私はホームへ。
うん、駅のホームだ。動かない固い床に少し心が落ち着く。
しかし周囲を見回した私は再び凍り付いた。
『大手■』
液晶でもそれ以外のディスプレイでも無い単なる駅名表示すら、下一文字が読めない。
何だこれは。
今降りた電車にもう一度乗った方がいいだろうか。
いやダメだ、車内の表示ではこの先もっと駅名がおかしくなっていた。
このまま乗って行くともっと危険な気がする。
何が起こっているかはわからない。
論理的に説明出来ないオカルト的な何かとしか思えない。
でもだからこそ落ち着いて行動しないと。
ホラー映画ではパニックを起こした者から死んでいくから。
死んでいく、そう思った時にぞっと悪寒が走った。
普通に生きていたのにそんな不条理に巻き込まれるなんて。
いや待て落ち着け私。
不条理な事には慣れているだろう。
技術がわからない営業が無茶な提案をした案件を持ってきたとか。
それに比べればまだましな筈だ。
読めない文字もこの駅に関しては1文字だけで全体から見れば33%(小数点以下四捨五入)。
100%不可能な案件よりはずっと条件はいい筈だ。
そう無理矢理自分を落ち着かせる。
会社を出た時は普通の世界だった筈だ。
地下鉄に乗った時も、多分きっと。
ならとりあえず元来た方へ戻ればいい。
そうすれば正常な世界に帰れる筈だ。
反対側のホームへ。
表示はやはりバグってはいる。
でも隣の駅の表記は『二重橋前』。
ここはバグっていない。
電車がやってきた。
これで帰れる、そう思ってふと気付く。
この電車はおかしい、ありえない。
銀色に緑帯の203系なんてとっくの昔に廃車されている。
行灯式の行先表示は空白。
きっとこれは乗ってはいけない車両、そう直感がささやく。
ここは次を待つ事にしよう。
乗り降りする人の列から離れ、次を待つ。
反対側、つまり私の家へ帰る方のホームに車両がやってきた。
乳白色に青色のラインが入った車両、これは完全にアウト。
小田急9000系、小田急の初代地下鉄乗り入れ車両にしてとっくの昔に廃車された代物。
特異な前面形状から『ガイコツ』の愛称がある車両だ。
別に車両の形式がわかるからといって私は鉄ではない。
単に千代田線沿線に住んでいるから知っているだけだ。
厳密には千代田線からの直通がやってくる常磐線各駅停車の沿線、だけれども。
社会人になってから引っ越したのに、何故そんな昔に廃止された電車なんて知っているんだ?
そんな疑問は無視だ無視!
誰に対してか良くわからない言い訳を脳裏で展開しつつ私は焦っている。
早く真っ当な電車よ来い!
そして後ろのホームにはまた次の電車がやって……
何だあれ、妙に短いけれど。
東京メトロ6000系、それもかつて北綾瀬支線で使われた3両編成。
勿論とっくに廃車になっている。
どう考えても異常。
何が起こっているんだ! そう言いたいが言えない。
怖くて。
早く逃げ出したい。
でも引き返す電車が来ない。
そして気づくと『大手■』の駅名表示の『手』もぼやけ始めている。
危険が迫っている、そんな雰囲気だ。
いっそこのホームから歩いて移動するのはどうだろう。
周囲を見回す。
近くにある下りエスカレーターは駄目だ。
『■■■■、■■■■方面』
表示が此処以上にバグっている。
本来は半蔵門線や丸ノ内線へ続く通路だった気がするけれど、行ったら帰れなくなりそうだ。
地上方面の階段やエスカレーターなら現実に帰れるだろうか。
『都■■田線』はバグ率が40%とこのホームの『大手■』より高い。
水色の丸は『■■■』と線名すら読み取れない。
黄色に黒文字で書いてある出口表示もバグだらけ。
そう思った時、やっと私の前のホームに電車がやってきた。
普段でも走っている小田急4000形だ。
表示もごく正常、準急の向ヶ丘遊園。
入ってきた車両に乗って真っ先に内部の表示や表記を確認。
大丈夫、『大手■』以外にバグり文字はない。
なら隣の二重橋前駅まで乗って、何ならそこから東京駅まで歩いてJRで帰ろう。
少なくとも今日はもう地下鉄でこの先に行くのが怖い。
私が乗った電車は無事発車する。
ディスプレイの表示からバグは無くなった。
よし、これで帰れる!
大手町から二重橋駅まではあっという間。
何もないけれど明るいホームに電車は滑り込む。
よし、降りるぞ!
もう地下鉄はまっぴらだ。
私は二重橋駅前のホームに降りる。
見た限り表示にバグはない。
よし、現実の世界に帰れたんだ!
そう思うと急にどっと疲れを感じる。
そうだ、元々私は疲れていたのだった。
それでも一応、地下から出ることこまでは行こう。
そう思った時だ。
『お客様にお知らせ致します。ただいま隣の大手町駅で非常停止ボタンが押されました。安全の確認が済むまで、全列車を停止……』
何があったんだ。
いや確かにあの駅も電車も異常だったけれど、非常停止ボタンというのとは少し違う種類な気がする。
どうでもいいから早くJRへ逃げよう。
私は近くのエスカレーターから改札階に出て、そのまま階段を上って地上へ。
行幸通りを行き交う車がせわしないし、人もそこそこいる。
大丈夫、普通の景色だ。
ここから大手町駅まで、歩いてもすぐ。
状況がどうなっているか確認しに行こうか。
そう一瞬だけ思ったがやめておいた。
あの恐怖はもう味わいたくない。
真っ直ぐ東京駅へ行って、JRで帰ろう。
私はライトアップされている赤煉瓦の建物に向け、歩き始めた。
◇◇◇
結局その日は自宅最寄り駅にはたどり着けなかった。
常磐線各駅停車が止まっていたからだ。
『各駅停車は地下鉄線内で発生した事故の関係で……』
車内のアナウンスではそれ以上詳しい内容はわからない。
スマホで調べればわかるかもしれないが、何か怖い。
各駅停車が止まっているせいか激混みの常磐線快速に揉まれ、自宅最寄り駅の1駅手前まで。
そこからはタクシーだ。
お金が勿体ないけれど疲れていたから。
自宅マンションへ無事到着。
階段を上って自室へ。
ほっと一息ついた私は服を脱ぎ捨ててベッドへ。
今日はもう疲れた、寝てしまえ!
明日はお休みだから大丈夫!
そのまま私の意識はあっさりと落ちていった……
◇◇◇
スマホの着信音が五月蠅くて目が覚める。
見ると実家からだ、何だろう。
「はい、もしもし」
「あんた無事だったのね。無事だよね。病院とかじゃなくて……」
テンション高い母の声。
私の通勤経路で大事件があって心配になって電話してきたという。
「テレビでも朝からそのニュースばっかりやっているわよ!」
そう言われても私の家にテレビは無い。
何だろうと思ってスマホでニュース検索。
『首都中央で毒ガス事案』
『地下鉄トンネル内にガス充満 死傷者1,000名以上』
とんでもない見出しに一気に目が覚める。
何らかのガスが発生し地下鉄トンネルや通路を伝って移動。
竹橋、淡路町、小川町、新お茶の水、大手町付近の各路線のトンネルや駅、地下通路に充満。
千人規模の被害者が出たらしい。
原因どころか正確な発生時間も不明。
しかし時間的に考えると、私が最初乗っていた電車はもろ被害発生時間帯。
と言う事は、あのまま乗っていたら……
思い切り寒気を感じた。
昨日見たあの文字化けはその警告だったのだろうか。
それとも予知か、あるいは心霊的な何かか、ガスのせいで見た幻覚なのか。
確かめる手段は無い。
何か怖くなって私は布団をかぶる。
わからない、怖い。
深く考えないでもう一度寝てしまおう。
目が覚めたら全てが夢だった、ならいいのだけれど……
行先の消えた地下鉄 於田縫紀 @otanuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます