最終話 虹を呼ぶ者


 困っているセトカにすがるような視線を向けられ、ライムも困惑している。


「そ、そうね、とりあえず練習するしかないわね。日常生活を送れるぐらいの力加減を体に叩きこんで。それから……」


「夜の生活はやめたほうがいいぜ、セトカ」


 茶化すようにバレンシアが言った。


「思わず背中に爪でも立てたら、そこから真っ二つになっちまう」


 レンジはその光景を想像してぞっとした。


「優しくするから!」


 セトカが懇願した。王宮の客室の時と、まるで逆だった。


 その時、城壁の穴から、風が吹き込んできた。

 その風は、さっきまで魔王であった灰を巻き上げ、玉座の間をくるりと一周すると、また穴から出ていった。空気の動きが、灰の舞う形でくっきりと見えた。

 そして風に乗った灰が穴から飛び出して、夜に溶けていった。

 最後の灰が吹き去って行く時、赤く光るものが灰の中から現れた。それはいくつも出現し、すべてがレンジに向かってふわふわと飛んできた。


「あ」


 レンジの中に、赤い光が吸い込まれていった。

 その体が同じ色のオーラで包まれた。


「魔王の、経験値だわ」


 ライムが言った。

 バレンシアが興奮して叫んだ。


「赤玉が何個だったいま? 20個? 30個? あんなの見たことねえぞ! 凄え凄え」


 赤玉とは、紫、藍、青と続くモンスターの魂の最高ランクに位置するものだった。赤に近いほど経験値が大きくなるが、その分、それを持っている魔物も高レベルとなる。

 最高レベルの赤色の魂、つまり赤玉を、一体で複数持つ魔物すら稀なのだ。バレンシアだけでなく、全員が驚いていた。


「さすがは魔王ですねぇ。赤玉いっぱい。私も味わってみたかったなあ!」


 ミカンがうらやましそうにモジモジしている。


 そうして彼女たちが騒いでいる間、レンジは自分の体に起きた異変に戸惑っていた。魔王を倒した経験値で、レベルがぐんぐんと上がっていくのを感じる。

 レベルドレインの解除によりレベル6に戻ったことで、もう冒険者を辞め、これからは背伸びせずに普通の暮らしを送るつもりだったのに。

 その生活設計が、早くも崩れつつあった。


 だが、その夜に起きた奇跡は、それが最後ではなかった。




 ……レンジの体に、紫色に光る球が吸い込まれた。


「なんだ?」


 また、今度は緑色の球がふわふわと飛んできて、レンジの体の中にすいっ、と入っていった。


 さらに光る球は続いてやってくる。

 見ると、球は壁の穴からやって来るようだった。


「なんだよ、これは、おい」


 バレンシアがその様子を見て、壁の穴に近寄った。

 その頬をかすめるようにして、いくつもの光る球が玉座の間に飛び込んでくる。

 その数がだんだんと増え始めていた。


「え、これはなに?」


 ライムが慌てて杖を構える。

 うろたえる彼女たちの目の前で、光る球はさらに増えていった。

 そのすべてが、レンジの体に吸い込まれていく。


「経験値? なんでいまごろ。いったいどこから?」


 バレンシアが身を乗り出すようにして穴の外を見た。そして、目を見開いて叫んだ。


「なんだこりゃあ!!」


 尋常ではない驚き様だった。足が震えている。


 ライムも走り寄って、外を見た。

 そして、ハッとした顔でレンジを振り向いた。


「そうか……忘れてた。あなた、オメガボルトで、魔王軍を……」


「えっ、あ! その清算って終わってなかったのかよ。なんでいまごろ!」


 バレンシアがライムに訊ねる。

 ライムはぶつぶつと言う。


「……そうか。デコタンゴール王国は南の端。レンジの倒した魔物たちの魂は、南に向かって飛んできた。でもそれがレンジのところにたどり着く前に、私たちは空間転移魔法でここ、魔王城に飛んだから、魂たちもすぐに反転してこっちに向かってきてたんだ」


 ライムは、指でモンスターの魂の軌跡を再現した。


「それが今、ようやくたどり着いたってことね。南の端から、この北の端の魔王城まで!」


 ライムがそう言っている間にも、光る球は増え続け、奔流となってレンジの元へ飛び込んでいった。


「凄い凄い! 凄いであります!」


 マーコットがまた飛び跳ねている。


「あ、あ、あ」


 レンジは自分の体に起きている劇的な変化を把握しきれず、戸惑っていた。


 モンスターの魂は上位のものから、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の7色に分類されている。

 今、そのすべての種類が入り混じりながら、レンジの元へ飛んできていた。


「ちょっと待てよ。魔王軍を倒した経験値って、おい。スライム5兆匹どころじゃねえ。北から南から、東から西から、魔王軍全軍分の経験値がレンジ1人に入るってのかよ!」


 イヨが絶句した。

 それは膨大すぎて、想像することさえできない、とてつもない規模だった。


 光る球の奔流は、7色に輝きながら、夜空からレンジに向かって怒涛のように降り注ぎ続けた。その勢いは増すばかりだった。氾濫間近の川のようだ。

 壁際に張り付いて、ライムは見た。雨が止んで、かわりに7色の光が降ってきている空を。光の帯は、南の端から、北の端まで、途方もなく巨大な弧を描きながら、夜空を横断していた。


 全員の顔を、7色の光が照らしている。

 ライムが、光が流れ込んできている壁の穴を背にして、レンジを見た。


「レンジ、あなたは、きっと後世の人々にこう呼ばれるでしょうね」


 ライムは目を輝かせて言った。


「虹を、呼ぶ者!」





 遠く、デコタンゴール王国のそばにある難民キャンプで、人々が夜中に起き出した。寒さに震えながら、みな、テントを出て、夜空を見上げていた。

 ボロきれをまとい、裸足で立っている少女もまた、その奇跡を見ていた。闇の中に輝く、一筋の美しい光を。


 その夜、北方諸国に生きる人々がみな、夜空にかかる虹を目撃した。

 その虹は、南の空と北の空を結ぶように、広大な弧を描いていた。

 はじめて経験するその奇跡に、ある者は祈り、ある者は顔を輝かせ、またある者は涙した。

 北方の人間は虹に希望の光を見る。だれもが感じていた。これは、なにかいいことが起きる兆しなのではないかと。真夜中の虹の下で、その思いは、すべての人々の胸を躍らせた。

 恐怖と苦難の千年の軛(くびき)から解放されたその一夜は、北の国々にとって、忘れられない夜となった。





 7色の光に包まれたレンジは、いつの間にか落ち着きを取り戻していた。光の奔流はまだ続いている。


「レンジ……?」


 セトカが心配そうに、その顔を覗き込む。


「大丈夫だよ、セトカ」


 レンジはそう言うと、セトカの体を抱き寄せた。


「あ、だめ、レンジ。わたしまだ力の加減が……」


「大丈夫」


 レンジは優しい声でそう言うと、小さく指を弾いた。


「あれ?」


 セトカは自分の手のひらを見ながら、驚いていた。


「結婚しよう。セトカ」


 レンジはそう言うと、セトカに顔を近づけた。うろたえていたセトカは、やがて自然に力を抜き、レンジに身を任せた。


「はい……」


 マーコットが指をさして叫んだ。


「あー! チューしてるであります!」


「どさくさに、なにやってんだ、てめえら!」


 バレンシアが怒鳴っている。


「あらあら」


 ビアソンは口に手を当てている。


 顔を離したレンジは、微笑みながら指を鳴らした。

 すると、レンジとセトカの体は空中に浮かび上がり、その周りを、7色の光が包んだ。


 いつの間にか、レンジは黒いタキシードに。そしてセトカは純白のウエディングドレス姿になっていた。


「わー! 花嫁衣装であります!」


 またレンジが指を鳴らした。

 今度は、ほかの全員が空中に浮かび、その姿が変わった。騎士の鎧や、魔法使いのローブが消え、きらびやかなドレス姿になっていた。


「なんだこりゃあ!」


 身長2メートルのバレンシアは、自らのドレス姿にうろたえてわめいた。


「意外と似合ってるわよ」


 かわいい大きな黒いリボンをつけたライムが言った。ライムも赤いドレスを着ていた。


「あらあらあらー」


 花柄のドレス姿になったビアソンが両手で頬を挟みながら、空中をくるくると回っている。


「マーコット、お前」


 青い色のドレス姿のイヨが、紫色のドレスを着たマーコットの頬を指さした。

 その頬に刻まれていた、ヘンルーダ公国の国鳥のまぬけな顔が消え去り、元のほんのりと赤い頬に戻っていた。


「あれあれ?」


 マーコットはドレスの下に手を突っこみ、自分の股のあたりをもぞもぞと探った。


 さらにレンジが指を鳴らした。


 魔王城の殺風景な壁は、あっという間にすべて白く塗られていた。その壁の全体から、赤い垂れ幕が下がった。床には、一面に上等な絨毯が敷き詰められている。

 周囲には色とりどりの花が溢れ、人形の楽隊が行進しながら、楽し気な音楽を奏でていた。そしてたくさんのぬいぐるみたちが壁に並んで愉快なダンスを踊っている。


「こんな素敵な結婚式に参列できるとは、光栄ですぅ」


 ミカンが瞳を輝かせている。


 花婿と、花嫁の後ろには、巨大な鐘が揺れていた。玉座があった場所だ。鐘はその涼やかな音で、2人を祝福していた。


 キラキラと虹色の光が舞っている。世界中の輝きが、ここに集まったかのようだった。


「セトカ」


「レンジ」


 宙に浮かんだまま、2人は見つめあい、ふたたびその顔を寄せ合った。


「おめでとう!」


「おめでとう!」


「おめでとうございます!」


「結婚おめでとうであります!」


 口づけをする2人を、みんなが祝福した。

 そのすべてを、7色の光がいつまでも包みこんでいた。








 ―― 完

 (次回、エピローグ)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る