第64話 雨上がる
「俺、戻った」
レンジはぽつりと言った。体が重い。なにより、頭に靄がかかったようになった。馬鹿になったように感じた。あの情けない日々に戻ったのだった。
レイヤー2も消えていた。もう一人の自分も、現世の人格に統合され、消滅した。
『さて、目的は果たした。儂らは去るとしよう』
キノットは、威厳高い顔でレンジたちを見回していたかと思うと、急に肩をひそめて人さし指を口に当てた。
『ここに儂が来たことは秘密じゃぞ!』
「はあ?」
『灰の夜明けの連中が、儂を探し回っとるんじゃ。まったくあいつらと来たら、いつまで儂に頼る気なのか。しつこいったら、ありゃせん。ギルドを作ったのは失敗じゃったわい』
そんな愚痴を垂れたあと、こほんと、と咳払いして、
『それでは、さらばじゃ皆の者』
と厳かに告げた。
『ほらキノット、早く行くぞ。約束の秘蔵の春画とやらをまだ見せてもらってないからな』
ミクロメルムは魔法陣の上に立って、キノットを急かした。
キノットはわざとゆったり歩いていくと、魔法陣の上に立ってから、レンジのほうを見た。
そして怪しげな笑顔を浮かべると、ぽつりと言った。
『また会おう。ひょほほ』
キノットとミクロメルムは消えた。なんの痕跡も残さずに。
そのことが腹に落ちるまで、全員動けなかった。
「なんだよあいつらは!」
やがてバレンシアがそう言って、怒ろうとしたが、すぐに笑い出してしまった。
それにつられて、ほかの騎士たちも笑った。ライムとミカンも笑っていた。
ひとしきり笑ったあとで、実感が湧いてきた。
「私たち、魔王を倒したのよね」
ライムが不安そうにそう言うと、バレンシアが言った。
「倒したんだよ! あの魔王を。5兆匹のスライムだけじゃない。全部全部! 全部片づけたんだ!」
「やったであります!」
マーコットが飛び跳ねた。
「凄いですねえ。何百年も魔王軍に怯えていたみんなの暮らしが、これで救われるんですね」
ミカンが拳を握って言った。
「その功績は、まさに史上空前、空前絶後。世界各国から賛辞が送られますよ。私のユーズ王国も、西部戦線で魔王軍にはずいぶんやられましたから。聖白火騎士団にはうちの王様からも勲章が送られると思います」
「そうか、私たち、もう戦わなくていいんだ」
ライムがぽつりと言った。
そのライムのつぶやきのあと、沈黙が下りた。
それぞれが、思い思いの感傷に沈んでいた。
「あ、雨、上がってる」
イヨが、城壁にぽっかりと開いた穴を見て言った。獅子のブレスで開いた穴だった。その向こうで、荒れ狂っていた雷雨が、いつの間にか止んでいた。
レンジは、雨の止んだ真っ暗な夜空を見ながら、ぽつりと言った。
「俺、雨男でさ。雷魔法を使うし、ジイちゃんが『雷を呼ぶ者』なんて呼ばれてたから、雨が降るたびにみんなにいじられてた。……でももう冒険者を辞めるんだ。俺はもう、雨のたびに魔法のことでからかわれなくて済むんだな」
ははは、と乾いた笑いを浮かべたレンジに、セトカが言った。
「レンジ! 約束どおり、結婚しよう。2年待たずとも、すぐにできるはずだ。騎士団はなくなる。私たちの市民権も回復されると思う」
その言葉を聞いて、バレンシアも興奮気味に言った。
「そっか。なにしろ魔王軍倒しちまったんだからな。市民権くらいもらって当然だろ。むしろ、騎士団員全員に一生金に困らない暮らしを与えてもらっても、バチはあたらないぜ」
「みんな大金持ち! 大金持ちであります!」
マーコットがさらに高く飛び跳ねた。
「え。結婚って……。いいの? 俺はもう、ただの雑魚魔法使いだぜ」
レンジは信じられなかった。こんな美人が本当に自分の嫁になるなんて。騙されているような気持だった。
「私の……ごにょごにょ……を奪っておいて、結婚しないで済むと思うのか!」
セトカは大きな声を出した。
「責任、取ってもらうぞ!」
「結婚だ! 結婚だ!」
イヨが茶化すように手を叩いてはやし立てた。
マーコットが不満そうに口を尖らせた。
「求婚よりも結婚の約束のほうが強いのでありますか?」
自己犠牲の精神で、レンジのレベルドレインの相手を務めようとしていた騎士たちのなかで、どうやらマーコットだけは本当にレンジの求婚を受けるつもりだったようだ。そのことを思い詰めて、デコタンゴール王国に着いて以来、様子がおかしかったらしい。
「マーコットさんはまだ若いんですから、団長が先ですよ」
ビアソンがよくわからない理屈でマーコットを諭した。
そしてセトカが、
「レンジ!」
と言って、その胸に飛び込もうとした時、事件は起きた。
パァン、という音がしたかと思うと、突然発生した衝撃波で、レンジは後ろに吹き飛んだ。
「でえええええ?」
転がったレンジは、壁に当たって倒れ込んだ。
「大丈夫か、レンジ!」
バレンシアが助け起こし、ミカンが回復魔法をかける。
「あ、気持ちいい。あんがと。回復魔法、いい腕だね」
鼻血を流しながら、レンジはそう言った。
「って、なにが起きたんだよ!」
すぐに起き上がってキョロキョロとする。
自分の手のひらを見つめていたセトカが顔を上げると、泣きそうな声で言った。
「どうしよう。レンジ。私、強くなっちゃった」
「はあ? レベルが元に戻ったんじゃないの?」
「違うみたい」
セトカは首を振った。
「私、レベルが上がってたんだ。魔王の罠の時に。ちょっとだけ、だけど。それと、最後に3羅将にトドメをさした時に……」
「ま、待って」
ライムが、どこにしまっていたのか、指向性レベル測定器を取り出して、アンテナをセトカに向けた。
そして、その目盛を読んで、驚いた声を出した。
「レベル、に、255?」
「はああああっ?」
バレンシアたちが目を剥いた。
「200の壁、越えちまったってのかよ!」
ライムは、レンジのレベルも測定した。
「レベル6だわ。205から、元に戻ってる。差し引き、199がセトカに戻ったんだ。レベルドレインのレベル移動は、レベルの壁なんかに左右されなかったから、ええと。……レベル56まで上がってたセトカに、199がまるまる足されて、255になった……ってコト?」
「ふざけんな! 今まで剣士でレベル200越えたやつなんか1人もいねえぞ。絶対的な壁だったんだぜ。それを200どころか、250越えって、おいおいおい。人間じゃなくなっちまったんじゃねえか、セトカ」
バレンシアが不安そうな顔でセトカを見つめた。
セトカは軽く、右手で空中を払った。ハエを払うような動きだった。
しかし、その瞬間に衝撃波、ソニックブームが発生し、バレンシアたちを襲った。
「みぎゃっ」
小柄なミカンが吹き飛ばされて、ごろごろと転がっている。
「まじかよ団長。まじで人間じゃねえぜ、それは」
とっさに衝撃波から顔を守ったイヨが、怯えた声で言った。
「な、慣れるから、私。ゆっくり動くように練習する」
セトカが懇願するように、レンジを見た。
「だから、嫌いにならないで。結婚して!」
「ちょっ。動かないで。そっと、そっとね。急に動かないでね」
レンジはどうしていいかわからず、変な汗をかきながら両手を前に出し、腰が引けた変なポーズで固まっていた。
「新婚なのに。抱きしめられただけで、確実に死ぬぞ、俺」
「どうしよう、ライム」
セトカが子どものころのように、泣きそうな顔でライムに助けを求めた。
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