第62話 魔法使いたち


 レンジはそれを聞いて、やはり、と思った。あの魔王は、レンジがレベル200を超えて初めて足を踏み入れた世界に、とっくに到達していた。その魔王と互角に渡り合ったという魔法使いキノットも、とうていレベル200などで止まっているはずはなかった。

 レンジの、杖を握りしめる手に汗が浮かんだ。

 相手は、はるか上の存在なのだ。そして、キノットが先輩と呼んだこの少年も。自動的に、そうなる。


(なにをしにきたんだ)


 レンジはそれだけを考えていた。

 戦いは終わったはずだったのに、状況は好転しているとは言い難かった。レンジたちが生きるも死ぬも、この突如現れた2人にその運命を握られているのだ。


『そう構えるなと言うに……』


 レンジの心の底を見透かしたように、老人はその眉毛の垂れさがった目を向けた。にこやかな表情だったが、目の奥の光は、笑ってなどいなかった。


『儂らはただ、古き友に、別れを言いに来ただけじゃ』


 その言葉を聞いて、ライムが恐る恐る言った。


「き、キノット様。あなたは、魔王とは敵対していたはず」


『ふむ。敵対か。人の世ではそう見えたのかも知れんな』


 騎士たちの、剣を握る力が強くなった。しかし次の瞬間、全員が剣を落とした。急に、耐えられないくらい、剣が重くなったのだ。


『一度剣を置けい。物騒でかなわんわ』


「くっ」


 セトカは拳を握って老人を睨みつけた。


『レンジとか言うたな、お主。セベリニアを倒したはどんなやつかと思って来てみたら、こんな若造とはな』


 それを聞いて、レンジは不思議な気持ちだった。レンジは28歳。近頃は、10代や、はたちそこらの若者たちのパーティに混ざり、ちょっと浮いている状態だった。

 ジジイジジイと陰で呼ばれたそのレンジが、いま若造呼ばわりされて、ちょっと嬉しかった。


『言っておくが、レンジよ。お主、セベリニアが本気であったら、今ごろは宇宙の藻屑になっておったぞ』


「わかって、ます……」


『なんじゃ。素直じゃな』


 レンジもそれはわかっていたのだ。セベリニアがレンジを殺そうと思えばいつでもそうできたことを。


『あの魔女は、飽いておったのじゃ。生きることに。700年か。儂にはまだわからぬ世界じゃの』


 老人は傍らの少年を見た。


『かと思えば、こやつのように遊び惚けてのうのうと生きているやつもおる。わからんもんじゃな』


 少年は口を尖らせた。


『ふん』


 ミカンは、手を叩いた。


「魔術都市を訪問した時、お見かけしたことがありました。その面影が、かすかに……。あなたは、魔術王ミクロメルム様のご子孫か、あるいは……」


 少年は顔を背け、答えなかった。かわりに老人が言う。


『ミクロメルム本人じゃよ。こやつ、影武者に王を任せての。遊びまわっておるのじゃ。そういえばお主、人であった頃のセベリニアと、つがいであった時期があると聞いたことがあるぞい。どうなんじゃそのへんは』


『もう忘れた』


 少年はすねたように言った。


 騎士たちがみんな金縛りにあったように動けない中、マーコットが一歩前に出た。

 

「キノット殿。あなたはどうして北の国の人々を助けてくれなかったのでありますか。レンジ殿がやったように、5兆匹のスライムを、魔王軍たちを、いつでもやっつけられたのではないですか?」


『ほ。かわいらしいお嬢さんじゃのう』


 マーコットの追及に、キノットはどう答えたものか、と思案するように目を閉じた。


『レンジよ。お主はどう思う?』


 キノットからそう振られ、レンジは慎重に答えた。


「魔王が言っていました。魔法使いは利己的だと。たぶんあなたたちは、お互いにほとんど干渉をしない。まして国のためになど動かない。千日戦争とやらも、西方諸国を代表して魔王と戦ったわけではなく、あなた個人が魔王にしつこく誘われて、この城を訪ねたのでしょう」


『ふむ。利己的か。確かにそれもある。儂らは、敵を倒してレベルを上げるような段階からはすでに逸脱しておる。自らの殻に閉じこもり、世界の上部構造を解き明かすための観想に時間を費やすのだ』


「罪のない人間がたくさん死んでも、知ったことじゃねえってのかよ!」


 突然の訪問者たちのプレッシャーに委縮していたバレンシアが、それを振り払って怒鳴った。

 キノットはそれに気おされることもなく、平然と髭をなでた。


『レンジが使いおった魔法、オメガボルトを見てどう思った?』


 キノットは、ライムの目を見て訊ねた。


「え。この目で見たわけではないです、けど。……凄いと思いました。私たちが手も足も出なかった魔王軍やスライムを、一発で倒したんですから」


『あの魔法が、なぜ古代の魔法書にも現れないのか、わかるか』


「わかりません。歴史上、オメガ……最終階梯魔法どころか、18階梯以上の魔法は記録が存在しません」


『ふむ。あれはな……天変地異じゃ』


「てんぺんちい」


 ライムはその言葉を反射的に繰り返した。


『人の領域ではない。あれほどの魔法が起こす奇跡は、魔法ではなく、天変地異、大災害として記録されておるのだよ。それほどの力じゃ。その力を得た者たちは、それを現世において使うことはせぬようになる。かつて天地を創造した神々が、やがて姿を隠し、この世が人間たちの世界になったようにな』


「神様とは大きく出たじゃねえか、じじい!」


 バレンシアが虚勢を張った。

 セトカがその口をふさごうとする。


『儂らは、人にも、魔物にも干渉はせぬ。どちらの味方もせぬのじゃ。それであいこじゃ』


「魔王は魔物を使って、思いっきり人間を滅ぼそうとしてたじゃねえか! 魔王はあんたのお仲間だろうが」


 バレンシアはセトカの手をかいくぐって吼えた。


『そうじゃな。セベリニアは優しすぎたのよ。人間に狩られ続ける魔物の境遇に同情し、自らを魔物と化した。その力がヒトに向かったのは、不幸なことよ……。先に帰ってしもうた、さっきの男。あれは元々魔物じゃ。ヴァンパイアロードという伝説上の怪物よ。あやつは逆に、魔物から人間になった。今では人と魔物、どちらの味方もせぬ。至高の領域に踏み込んだ魔法使いとは、本来そういうものなのじゃ』


 キノットはそう言うと、キョロキョロと目をさまよわせ、鼻をひくひくとさせた。


『お主と、お主。名はなんと申す?』


「え、ライム」


「ミカンですぅ……」


 指をさされた魔法使いの2人は、不安そうに答えた。


『お主ら、ダイダイの弟子じゃな』


 キノットの言葉に2人は驚いた。

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