第57話 頭はパー


 セベリニアは考えていた。

 このジャンケンは、バランスが大事なのだと。グー、チョキ、パーの3つを、できるだけバランスよく残していく必要がある。勝負前のやりとりで、相手の手をある程度特定できることがあるのだ。そんな時に、その手に勝つ自分の手を先に2回、使い切ってしまっていたら、討ち取ることができない。

 なにより、点数が3倍になっている最後の6戦目を迎える前に、できるだけ手の選択肢は残しつつ戦いを進めるべきなのだ。

 セベリニアは、1戦目でレンジの誘いに乗り、グーを出した。青のランプがついたので、結果はあいこ。

 レンジも宣言通りグーだったということになる。あいこの場合は、お互いにどの手を出したのかが自明となるのだ。

 そして、レンジはさらに次もグーでのあいこを要求した。


⦅ここじゃ⦆


 この2戦目で、またお互いがグーを出してのあいこになった場合、残りの手は2人とも、チョキ2、パー2となる。

 そして、6戦目でパーを出してチョキに負けると、相手に3点を取られ、この時点で必敗が確定してしまうので、6戦目はお互いにチョキを出してのあいことなる。そして、3戦目から5戦目を、チョキ1、パー2同士、どう組み合わせても、あいこ3つか、1勝1敗1分けとなり、6戦終わって両者同一得点で引き分けとなることが確定する。

 この第2戦でお互いにグーを出すと、ジャンケン勝負自体が引き分けになるのだ。

 ここまでは少し考えればわかること。レンジにもその構造はわかったはずだ。


⦅そこでじゃ……⦆


 セベリニアはさらに思考を深く進める。


 裏切るならここだった。またまたグー!と言ってパーを出し、相手のグーから1勝をもぎ取る。あるいはその裏をかいて、相手の裏切りパーを倒すチョキを出す……。

 裏のかきあいだ。どこまでそれを読むか、ここが勝負の分かれ目だった。

 しかし、セベリニアはこの量子ジャンケンをこれまでに何度も行い、相手が陥る思考の傾向をよく知っていた。

 だれもが、2戦目でグーを使い切るのは悪手だと考える。バランスが大事だからだ。セベリニアもそう思っている。

 当然、相手の思考を読む際にもそれを反映させることになる。

 だからこそ、ここだった。

 推測されるレンジの思考はこうだ。


(相手がグーを出さないはずだから、チョキを出しさえすれば、あいこか、勝ちとなる。そして残りの手のバランスも保たれる)


 極めて高い確率で、この結論に至るはずだ。今までにこのルールで戦ってきた相手は、1戦目引き分けの後の2戦目は、例外なく1戦目の手に負ける手を選択していた。

 合理的に考える人間はそうするものだった。

 ここで、セベリニアは悪手であるはずの2戦目のグーを選択した。


⦅そのチョキを、グーで討ち取ってやる⦆


 セベリニアは心の中でほくそ笑んだ。

 この勝負は、思いのほか1点が重いのだ。2戦目がグーであいこだった場合、最終的に0点対0点か、1点対1点の引き分けになることが確定する。このように、互いに最適な行動を取ろうとすると、引き分けでの0点が多くなるゲームなのだ。

 2戦目の1点は、グーを使い切るデメリットよりも大きいとセベリニアは考える。

 そしてもう1つの効果として、こちらがグーを使い切っていない、と相手に誤認させることができ、かつ得点も自分に1点入ったと誤解させることができる。

 相手が、勝ちかあいこ、というつもりで出したチョキ。それに対して、ランプは決着がついた赤が点灯する。

 それを見て相手は、チョキでパーに勝った、と勘違いするのだ。

 この誤解は大きい。相手は、対戦相手の残りの手と、実際の得点を間違って把握することになる。


『では2戦目じゃ。準備はいいかの』


「いいぜ。掛け声は、またまたグー、だからな。」


 セベリニアとレンジは、箱の中に腕を入れた。

 お互いに見つめ合い、呼吸を合わせる。そして、同時に口を開いた。


「『またまた、グー!』」


 静寂。ランプを見る。赤がついた。

 レンジの驚き。あるいは、その演技。


 2人は腕を箱から抜いた。


「おいおい。もう裏切りかよ。空気が読めねえやつだな」


 レンジは悪態をついた。セベリニアはその思考を読む。


 赤がついたということは、チョキを出した自分に対し、セベリニアはパーを出している。勝った! しかしその喜びをかみ殺さないといけない。パーを出しているセベリニアに、レンジはグーで負けたのだと誤解させるためだ。

 レンジもまた、相手に残りの手と、得点を誤解させたいのだ。


⦅ふふふ、透けて見えるわ。青いのう⦆


 セベリニアはそのあざけりをおくびにも出さず、言った。


『裏切りもまた、古式ルールの定番じゃ』


 レンジは、そのセベリニアに手をチョキにして見せつけた。


「古式ルールの続きは知ってるよな」


『もちろんじゃ。イガリア、チョースカ、頭はパー、じゃったかのう』


「そう。次はチョキだ。かのジャンケン王に敬意を表して、俺は次も古式ルールにのっとり、チョキを出すぞ」


 そう言って、レンジはローブの袖をまくり上げた。そして、チョキの形のまま、その手を箱の穴に浅く入れ、前腕の内側をセベリニアに見せつけた。


「腱の動きだけで、指の形が推測できるだろ、あんたなら。俺は、宣言のとおり、チョキを出している。どうだ」


 セベリニアは驚いた。確かに、手首の腱は、その先の指がチョキを出していることを示していた。


『わはははは! 面白いやつじゃの。今までそんなことをするやつはおらなんだぞ』


 レンジはふざけてなどいない。その顔は、緊張で白くなっている。必死なのだ。必死に、勝利を模索していた。


⦅さあ、なにを考えておるのやら⦆


 セベリニアは、グーを使い切っている。チョキを出す相手に対しては、こちらもチョキを出してあいことするほかなかった。

 念のため、パーを出してあえて負けるパターンで進んだ場合のことをシミュレーションしたが、そのメリットはないと判断した。


『そなたが腕を見せるのは勝手じゃが、ワシは見せんぞ』


 セベリニアは箱の中に、深く腕を入れた。


「別にかまわないぜ。ただ、今度こそ、古式ルールのとおり、チョキであいこにしてくれよ」


 レンジは、前腕を見せたままそう言った。

 セベリニアはその手首周辺の腱の動きをじっと見ていた。寸前で手を変える、罠の可能性があるからだ。それを見切った場合に、瞬時にこちらが取るべき手を、完ぺきにシミュレーションしていた。


⦅さあ、どう出る、レンジ。まだ楽しませてくれよ⦆


 セベリニアは緩みそうな頬を、引き締めながら、レンジと呼吸を合わせた。


「いくぞ。掛け声はイガリアチョースカだからな。せーの」


「『イガリア、チョースカ!』」


 腱は動いていない! 瞬時の判断で、セベリニアはチョキを出した。

 ランプを見た。青がついた。


「あいこか!」


 レンジはホッとした顔で言った。

 セベリニアは、その表情を見て、こちらにグーがないことを見抜かれたかどうか、見破ろうとした。


⦅それはないな⦆


 そう判断した。なぜなら、2戦目のレンジのチョキを、セベリニアは知らないはずだった。レンジはそう思っているはずなのだ。だから、レンジがこの3戦目でチョキを使い切ったことを、セベリニアは知らない。よって、セベリニアはこのあとのレンジのチョキを討ち取るグーを、温存することはありうる。得点が3倍の6戦目があるからだ。

 レンジはそう考えたはずだ。


 そんな思考の海に沈むセベリニアの目の前で、レンジは箱から腕を引き抜こうとしなかった。


「このまま行こうぜ。次は、頭はパー、だ」

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