第54話 セベリニアとの対話


 レンジは、魔王の誘いに乗り、扉の向こう側へやって来た時、自分の敗北を悟った。戦いへ臨む高揚感は消え失せ、心が冷えていくのを感じた。

 見た瞬間にわかったのだ。

 その世界を見た瞬間に。

 

 壁も、床も、天井も、白と黒の2色で構成されている幾何学的な紋様で彩られた場所だった。


 レイヤー2……!


 レンジが到達したばかりの別の世界だった。

 魔王は、知っていたのだ。この魔法使いの至高の領域を。想像を絶する魔法がそこら中に散らばり、臨めば好きなだけ得られる場所だ。

 その世界の探索を開始したばかりのレンジには、その全貌はおろか、一端もつかめていない。

 空中に浮かぶ扉からゆっくりと下りてきて、床の上に立ったレンジは、自分の心臓の音を聞いていた。

 魔王は、すでにこの場所へ到達していた。いったい、どれほど前から?

 つい先日かも知れない、などという、甘い考えは持てなかった。

 魔王は、魔法使いとして、自分よりはるか先に行っている。

 それを前提とせざるを得ない。つまり、レンジの敗北は確定的だった。


 背後から、シュイン、という音がした。宙に浮かぶ扉が消えた音だった。


『さあ、約束通り遊んでもらうぞ!』


 その声を聴いた瞬間、レンジは振り返った。

 そこには、昨夜夢で見た女の子が立っていた。このレイヤー2でレンジをオメガボルトの魔法書の眠る部屋へといざなってくれたのも、その子だった。


「君は……」


 レンジは自分が子どもになっていることに気づいた。夢で女の子と遊んだ時の姿だった。

 女の子はニコリと笑って、お尻の後ろで手を組んでいる。


『なにして遊ぶ?』


 女の子の言葉を聞いて、レンジは自分の思考が子どものそれになっていくのを感じた。


(危ない)


 レンジは杖を強く握った。


「おまえはだれだ?」


 レンジは元の大人の姿に戻った。真紅のマントとローブを身にまとい、髪をオールバックに撫でつけた姿に。


『なんじゃ、つまらんの。興ざめなやつじゃ』


 女の子がそう言うと、その健康的に日焼けした肌が、見る間に浅黒くなっていき、ダークエルフのような褐色になった。そして白目の部分が黒くなり、ネコ科の獣のように瞳が縦に割れた。髪の毛は白だ。


「魔王……」


 体格は少女のままだが、外見は明らかに魔王の特徴を備えていた。


「最初から、俺を誘い込むための罠だったのか? あの夢の時から」


『魔王ではなく、セベリニアと呼んで欲しいのう。ワシはあの魔王とは完全に同一な存在ではない』


「どういうことだ」


 レンジは杖を構えながらゆっくりと後ずさる。2人がいるのは、白と黒の部屋だった。出入り口が一つだけ。少女の後方遠くにある。なにもない、広い部屋だ。


『そう警戒するな。そなたが察しておるとおり、ワシはこの世界では先輩じゃ。ここを、ワシら魔法使いは全知記録回廊(アカシックレコード)と呼んでおる』


「アカシック、レコード……」


 不思議な言葉だった。聞いたことがないはずなのに、それを知っていたような気がする。


『ここはいわば精神の世界じゃ。深層意識界といってもいいかのう。そなた、自分が2人に分裂したような感じがしたじゃろう。魔王城の結界内では、その深層意識の働きが制限され、眠りについたような状態になっておる。今はワシの全知記録回廊に招いたので、覚醒したがのう。今は逆に体が眠っておる状態じゃ』


「俺の体をどうしたんだ」


『落ち着くがよい。魔王の作った扉の向こうの異空間で、魔王の体とともに眠っているだけじゃ。ワシの干渉によるものじゃ。やつも油断しておったな』


 レンジは、魔王が化けているようにしか見えない目の前の少女が、おのれと魔王とを、区別して話していることに違和感しかなかった。


『疑り深いやつじゃのう。ワシは、元々魔王がこの世界に到達した時に生まれた、もう一人の自分。深層意識じゃ。長年、存在が重なった状態で暮らしておるとのう……。だんだんと自己同一性を失ってくるのじゃ。魔王は、そなたがオメガボルトを使えることを、知らなかったであろう? ワシらの記憶の共有は不完全じゃ。また、自我のようなものも、すでに別々に存在しておる』


 レンジは頭が混乱してきて、口を挟んだ。


「ちょっと待ってくれ。じゃあ、あんたは魔王ではないと言うんだな」


『完全に別というと、また語弊があるがのう。まあ、そなたもあと100年はこの全知記録回廊で戯れておれば、いずれこうなるわい』


「じゃあじゃあ、あんたは敵じゃないんだな」


 レンジは警戒しながらもそう問いかけた。この白黒の世界に招かれた時に、死を覚悟したはずだったが、なんだか雲行きが怪しかった。


『いや、敵じゃ』 


「結局敵じゃねーか!」


 レンジはわめいた。


『そう怒るな。魔王が言っておったように、ワシらはそなたが来ることを、あの占い師の女の予言で知っておった。魔王は楽しみにしておったぞ。そなたと戦えることを。なにしろ城へ攻め入ってくる好敵手など、何十年、何百年に1人じゃからな。そして、ワシもまた楽しみにしていた。そなたと、遊びで勝負ができることを』


「遊び? 今、遊びと言ったのか、魔王……?」


『セベリニアじゃというに。ワシは元々人間の魔法使いじゃ。そなたと同じな。二重存在になってから、物質界のほうのワシは、思うところがあって、魔物にいたく同情してのう。自らも魔物と化して、それらを率い、魔王と名乗るようになったのじゃ。じゃが、こっちのワシは、今でもただの魔法使いじゃわ。外見は、干渉を受けてだいぶ魔王よりに変貌しておるがのう』


 小さな魔王という格好のセベリニアはそう言って胸を張った。悲しいかな、ボンテージ姿にもかかわらず、その胸はぺったんこだった。

 セベリニアは、いきなり杖ももたずに右手のひとさし指を振った。魔王が見せたものと同じ仕草だった。

 すると、2人の間の床に、さまざまなおもちゃが出現した。

 独楽があった。メンコもあった。ラケットとボール。知恵の輪。ボードゲームのようなものも見えた。


「これは?」


『ワシも退屈しておったのじゃ。さあ、なにで勝負するかのう。言ったであろう? ワシは敵じゃと』


 レンジは狼狽していた。セベリニアは、本当にレンジと遊びで勝負をするつもりなのだろうか。


『ああ、そこの卓上ゲームはダメじゃぞ。東方のゲームで、ショーギというらしい。前回キノットのやつが来た時にそれで勝負してのう。えらい目にあったのじゃ』


「えらい目?」


『交互に駒を動かしあう遊びなのじゃが、お互いに自分の有利な局面にするために、同じ手を繰り返したのじゃ。全然、勝負がつかなくなってのう。手を変えたほうが負けになるので、引くに引けん。いったい何年やりおうたか……。現世では、千日戦争などと言われる始末じゃ。これは、ルールに欠陥がある! ひどいゲームじゃ』


 セベリニアはぷりぷり怒っている。


「それで引き分けだったっていうのか! こんな遊びで」


『結局、決着がつかんから、物質界のほうでガチ魔法勝負をしたぞ。まあ、そっちも引き分けだったようじゃがな』


 どこまで真面目にこの話を聞いていていいのか、レンジはわからなくなってきた。


『さあさあ、どれで勝負する。トランプはどうじゃ? ルーレットは? これなんぞ面白いぞ。東方世界の球技で、ハゴイタというらしい。球を打ちあって、落としたほうが、顔に一生取れん刺青を入れられるのじゃ』


 セベリニアは嬉しそうに身を乗り出して、おもちゃ類の解説をしている。かわいらしい少女の体でそんなことをしているのを見ると、あの巨大で恐ろしい魔王とはやはり別の存在だという気もしてきた。


『なんじゃ、乗り気じゃないのう。おもちゃが嫌なら、鬼ごっこはどうじゃ? かくれんぼは? だるまさんが転んだでもよいぞ』


 レンジはダメもとで言ってみた。


「あのさ。今度遊んでやるからさ。いったん帰してくれねえかな、元の世界に」


『だめじゃ』


 セベリニアは笑った顔のまま言った。


『ワシらは、次に会った時に遊ぶ約束をした。魔法使いの誓いは絶対じゃ。破れぬぞ。魔王とは違うと言ったが、ワシも魔法使いじゃ。命をかけた勝負をしたいのじゃ』


 その言葉を聞いて、レンジの甘い考えが吹き飛んだ。


「こんな遊びで、命の取り合いをするってのか」


『もちろんじゃ。ワシは退屈しておる。何百年も前には、しょっちゅうワシと勝負したいという魔法使いが城に訊ねて来てのう。いっぱい返り討ちにしてやったわ。物質界のほうの魔王よりも、ワシのほうが殺した数は多いかも知れんぞ』


 くそっ。レンジは話合いで解決できないかと考えを巡らせていたが、すべてご破算になってしまった。結局、こいつもどうかしているのだ。


『魔王のワシが言っておったように、強い魔法使いはみな、この全知記録回廊に入り浸っておるでのう。ほかの魔法使いと争うなど、時間の無駄と考えるのじゃ。だから、攻め入ってくるのは、まだそこに到達しておらんやつばかりじゃった。最近ではそれすらも絶えて久しい。そなたのような、全知記録回廊に到達したばかりの魔法使いくらいなのじゃ。ワシと本気で勝負し合えるのは』


 セベリニアのあどけない顔が、獰猛な表情に変貌した。殺気が全身に満ちている。

 レンジは身構えたまま後退した。

 そして考える。この世界でも攻撃魔法の類は撃てるのだろうかと。やってみたことはなかった。試してみなかったことを、今になって後悔した。

 今試せば、それは開戦の合図となってしまう。


『さあ。場所はワシが用意したゆえ、種目はそなたが選べ。負けたほうが、勝ったほうの言うことをきくのじゃ。そなたが勝てば、なんでも願いを叶えてやろう。ただし、ワシが勝てば、そなたの死を所望する』


 セベリニアの目の瞳孔が開いた。完全に獣の目だった。


(どうする?)


 レンジは考えた。恐らく、この世界での死は、現実世界においても反映される。今は眠っているという肉体も、精神が死んで消滅すれば、それは死と同義だからだ。


 まともに戦って勝ち目のある相手には思えなかった。魔王にしても、このセベリニアにしても。

 その彼女が、遊びで勝負をつけようと言っている。これは、チャンスかも知れなかった。

 レンジは仲間たちの顔を思い浮かべた。結婚の約束をしたばかりの、セトカの顔も。

 死ねない。こんなところで、死ぬわけにはいかない。


 レンジは言った。


「受けよう。この勝負」


『ようやく腹をくくりおったか。いい顔になったわい。さあ、種目を選べ』


 セベリニアは、嬉々として両手を広げた。その全身から、狂気が漏れ出ていた。

 レンジはうつむいて深呼吸をしてから、顔を上げた。


「ジャンケンで勝負だ。セベリニア!」


 レンジの目は闘志に満ちていた。いつか、マーコットと勝負した時のような、おちゃらけた様子は微塵もなかった。


『ほう?』


(イガリア王国のジャンケン王、チョースカ1世よ! 俺に力を貸してくれ!)


 そうしてレンジは、セベリニアとの命を賭けたジャンケン勝負へと突入していった。

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