第50話 その攻撃は、俺に効く


 扉を抜けた先で、レンジは立ち眩みに襲われた。空間の歪みに酔ったような感覚だった。そのレンジに向かって、何者かの声が響いてきた。


『そなたが、ワシのかわいい魔物どもを皆殺しにした、魔法使いか』


 たくさんの声が重なり合っているような、そんな声がすぐ目の前から聞こえてきている。

 レンジは、紫色の炎がゆらめく空間にいた。さっきまでのレイヤー2ではなく、現実の世界だった。古い石造りの床と壁。魔王城であることは明らかだった。振り向くと、さっき通ったばかりの扉は、忽然と消えている。

 巨大な玉座が壁の奥に据えられている。紫色の炎は、その玉座を囲むように、立ち昇っていた。ここは魔王城の玉座の間なのだ。

 玉座の上には、人間の背丈の4倍はあろうかという、巨大な人型の魔物がいた。


「魔王、セベリニアか」


 レンジは杖を構えながら誰何した。


『いかにも。そなたも名乗るがいい、魔法使いよ』


「レンジだ。南のヘンルーダ公国より、カラマンダリン山脈を越えて、はるばる貴様を討ちに来た」


 魔王は、聞いていた通り、女性だった。年齢はわからないが、若いようにも見える外見をしていた。妖艶といっていい色気が全身を包んでいる。ダークエルフのような黒い肌だ。そしてその格好は、露出の多い黒いボンテージ姿だった。

 はっきりと、エロい。


(危なかった)


 レンジは胸をなでおろした。息子が噴火寸前のままであったなら、このエロい魔王を前にして、まともに戦えたかどうかわからない。

 レンジは、セトカに感謝した。


(セトカは?)


 ハッとして周囲を見た。玉座の間の後方に、下からの階段が見えた。そちらから、足音が聞こえた。


「レンジ!」


 バレンシアだ。バレンシアが息を切らせながら、現れた。そして、間髪入れずに、セトカも姿を現す。

 階段から、次々と仲間たちが飛び出してきた。お互いに顔を見合わせて驚いている。恐らく、階段を登っている間は、仲間たちの姿が見えなかったのだろう。時間と空間を、引き延ばされていたのだ。

 バレンシア、セトカ、ライム、イヨ、ビアソン、マーコット、ミカン。

 彼女たちはだれ一人欠けることなく、精神攻撃の罠を突破して魔王の前までたどり着いたのだった。


 全員が、魔王と対峙して身構える。


『人間がこのワシの前までたどり着いたのは、いつぶりじゃ? まずは褒めて遣わそう』


 魔王が、足を組んだまま余裕のある表情でそう言った。


「貴様の部下はもういない。魔王軍は全滅だ。おとなしく降伏しろ、魔王セベリニア!」


 セトカが剣を向けて叫んだ。

 魔王はそれに対し、ぷ、と笑って長い指で口元を隠した。


『人間ごときが、大した口のききようじゃのう。これでワシを追い詰めたつもりなのか』


「あなたでは、レンジには勝てないわ!」


 ライムが言った。


「千日戦争にもならない。あなたに勝ち目はない」


『ほう。あの戦いを知っておるか。だが、こやつがキノットの小僧より強いとは思えんがな』


 セベリニアはそう言って足を組み替えた。


「やめろ!」


 レンジはとっさに叫んだ。


「その攻撃は、俺に効く」


 セベリニアはなんというか、ノーパンのようだった。足を組み替えるたび、タイトな黒いミニスカートの下がチラチラと見えていた。覗くつもりなどなくとも、魔王も玉座もデカすぎるので、見上げる格好になるレンジには、見えてしまうのだ。

 不可抗力なのである。わかってくれるよね?


「攻撃?」


 セトカやバレンシアたちが、レンジの言葉に反応して周囲を警戒する。


 完全に沈黙していたはずの陰茎先生がむくりと起きあがりかけていて、なにか言いそうになっていたので、レンジはその妄想を振り払った。今はそれどころではないのだ。


『なんじゃ、モジモジしおって。それにしても、オメガボルトとは懐かしい魔法じゃのう。近頃は、超範囲魔法を使うやつがほとんどおらんから、ワシも油断しておった。部下どもの魔法耐性をケチっておったのが、失敗だったわ』


「懐かしい、ですって?」


 ライムがその言葉を聞きとがめた。


「オメガボルトなんて、有史以来存在してないはずの魔法よ」


「そうですぅ。第24階梯魔法なんて魔法王国時代にも記録がありません」


 ミカンも参戦した。


「知ったかぶりは。恥ずかしいですよぉ!」


 魔法使いたちの罵倒にも余裕の表情で、魔王は聞き流した。


『レンジとやら。そなた、ワシの家来にならんか。家来になれば、世界の半分をくれてやろう』


「な!」


 セトカが怒りをあらわにして剣を構え直した。

 レンジがそれを制し、魔王に向き直って語りかけた。


「魔王よ。あんたに訊きたいことがあったんだ」


『ほう。なんじゃ、言うてみい』


 魔王はそう言って、もう一度足を組み替えた。


「どうして人間を苦しめるんだ。あんたは強大な力を持っている。北部の国々は、まともに逆らおうとはしてないんだろ? あんたがスライムを使って国ごと滅ぼそうなんてしない限り。あんたも人間の工芸品や食べ物を好んで、朝貢を受け入れてるって聞いたよ。なぜ人間と共存しようとしないんだ?」


 レンジの言葉を、魔王はふん、と鼻で笑った。


『随分と青臭いことを言うのじゃな』


「ごまかすな。魔物は強い生き物だ。人間は弱い。魔王軍の強さならば、人間なんて脅威じゃないだろ。なのに執拗に攻撃を繰り返している。あんたは面白半分に人間を苦しめているように見える」


『そうじゃな……。まず、前提としている部分の認識が違っておる。魔物は弱い生き物じゃ。そして人間は強い』


 魔王のその言葉に、マーコットが怒った。


「嘘であります! 魔王軍の魔物は、本気を出せば人間なんか相手にならないであります。あんなに強かったキュラソー殿だって……!」


『うるさい小娘じゃな。たいした使い手のようじゃが、おぬしとてそのレベルになるまでには、多くの魔物を倒してきたのであろう。人は群れを作る生き物じゃ。魔物の作る群れとは規模が違う。街や国という単位で、利害を一致させ、一斉の行動をとることができる。その数の暴力の前には、魔物の力など相手にはならん。人里を荒らす魔物がおれば、早晩退治される運命じゃ』


「それは、その魔物が悪いのであります」


『じゃが、そのような魔物はまれじゃ。ほとんどの魔物は、ダンジョンの奥深くにひっそりと隠れ住んでおる。その隠れ家にわざわざ足を踏み入れ、縄張りを侵し、身を守るために戦おうとする魔物を、討伐と称して殺して回っておるのはだれじゃ?』


「そ、それは……」


『人間はレベル上げのために、どれほどの数の魔物を殺してきた? 安全に狩れる、自分より弱い魔物たちを、いかに多く殺してきたのだ? 時に、ひなたぼっこをしているだけの魔物さえ、問答無用で殺してきたのであろうが。いったいそんな魔物が、人に殺されるほどのなにをしたと言うのだ?』


 レンジの心に、その魔王の言葉が刺さった。確かにレンジは、そんな魔物たちを殺してきた。それを非難されることは、今までになかったことだった。魔物たちは、人にその理不尽をぶつける言葉を持たないからだ。


『ワシは、その不均衡を正すべく、弱き魔物に知恵を授け、力を与え、組織化して、強い人間に対抗できるようにしたにすぎん。ワシが人間を苦しめているというならば、人間もまた同罪だ』


「俺も、同罪……」


 レンジは苦し気にそうつぶやいた。魔王の言葉に、認めざるを得ない真実を見た気がしたからだ。


「聞くな! レンジ!」


 セトカが吼えた。


「我々が人である以上、魔物とは相いれない定め。これは、種としての、存亡をかけた戦いなのだ」


「そうよ! 私たちは群れを作る生き物なのだから、群れを守るのは当然のこと。まして、増えすぎたから間引いてやるなんて。そんな遊び半分みたいな理由でスライムに国や街を踏みつぶさせる、そんな非道を許すことはできないわ」


 ライムもセトカの言葉に続いた。

 レンジは迷いの生じかけた自分に、活を入れてくれた二人に、感謝した。


「魔王。俺はお前を倒す。いろいろ考えるのは後だ」


『なんじゃ。覇気を感じなかったが、ようやくやる気になったのか』


 レンジは杖を構えた。


「みんな、下がってくれ」


 レンジの言葉に、女性たちが全員後ずさる。その彼女たちを、暖かな光の膜が覆った。


「オメガファーガ」


 魔法言語による詠唱を伴わず、とてつもない威力の閃熱魔法がいきなり魔王に向かって放たれた。


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