第49話 夢魔の罠を超えて
ミカンは、歪んだ空間の中で、懐かしさに包まれていた。
こんなところで会えるなんて……。
そう思うと、不思議な気持ちだった。
子どものころは、よく一緒に遊んだものだった。しかし、いつまでも見つめ合っているわけにはいかない。ミカンは口を開いた。
「あのう。こういうこともあろうかと、準備してたんですぅ。どうやらそちらの戦力が限られてるみたいですし。敵の罠で、精神攻撃なんて常套手段じゃないですか。私、魔法で深層意識をマスキングしてたんですよぉ」
ミカンが自分自身にかけていた暗示魔法は、もう解けている。
だから、目の前にいるものが、懐かしいと同時に滑稽でもあった。
「それにしても、夢魔さん本体って、人間みたいな意識があるのかわかりませんが……。おかしいと思いませんでしたか? そんな姿に化けて出てくる時に」
ミカンの目の前には、等身大の雪だるまマンがいた。子どもたちの大好きなヒーローだ。ミカンも小さいころにぬいぐるみを買ってもらって、大事にしていた覚えがある。
ミカンはその雪だるまマンを、自分にとってなによりも大切な存在として、魔法で深層意識の底に埋め込んでいたのだった。その予防策が見事にはまった形だ。
しかし、今こうして等身大の雪だるまマンを見ると、相当にシュールだった。ちょっと怖い。
「それじゃあ、えーと、なんでしたっけ。決め台詞。これですべて雪どけだ! でしたっけ。まあいいや、もう溶けちゃってくださぁい」
ミカンが杖を振ると、雪だるまマンは炎に包まれた。燃え盛る炎の中で、あっという間に溶けていくその姿を見ながら、ミカンは言った。
「魔王城といえば、噂に聞く23神将の上席たちと戦ってみたかったんですが、残念ですねえ。こんなのが中ボスですかぁ……」
そして、溶けゆく雪だるまマンに侮蔑の視線を向けながら、空間が引き延ばされた世界で、はるか遠くに見える、次の登り階段を目指して走り始めた。
ビアソンは、目に涙を浮かべていた。
目の前にいるのは、かつて自分をかばって魔物の毒牙にかかった仲間だった。
「キシュウ先輩……」
記憶にある昔のままの姿だ。頼もしくて、優しくて、なにより仲間思いで。ビアソンの大好きな先輩だった。その彼女が、もの問いたげな様子で目の前にいる。
ビアソンは、先輩に命を救ってもらった恩があった。もし先輩の霊魂が、自分になにか頼みごとをするなら、それは必ず引き受けなければいけない、そんな重いものだった。
『ビアソン……』
キシュウ先輩は、懇願するような声で語りかけてきた。
ビアソンは覚悟を決めて、その言葉を待った。
しかし、次の瞬間、ビアソンは口を押さえて、「あーっ」と叫んだ。
「すみませんすみません。先輩、生きてました!」
キシュウ先輩が『はあ?』と言って眉間にしわを寄せた。
「そう言えば先輩、あのあと除隊して、療養して、治ったんですよね。なんかすっかり死んだ気になってました。ごめんなさい」
キシュウ先輩の霊?は唖然としている。
「そうそう。お手紙をいただいたわ。去年の年末に。あれどこにしまったかしら」
ビアソンは、ぽわんとした顔で人さし指を口元にあてたかと思うと、また叫んだ。
「いっけなーい! あのお手紙のお返事書いてないわ! 先輩ごめんなさい!」
ピアソンは目の前のキシュウ先輩の霊を模した夢魔に、深々と頭を下げた。
レンジは走っていた。白と黒の模様で構成された回廊を。
精神攻撃にはすぐに気づいた。空間が引き延ばされていくような感覚とともに、脳の記憶領域に干渉する波動を感じた。
すぐさま対抗魔法で解除しようと試みたが、寸前でそれを止めた。違和感があったからだ。
レンジはレベル200の壁を超えてから、元々の世界の自分と、それと重なるようにして現れた別の次元にいるもう一人の自分とが、多重的に存在していた。
レンジは便宜的に元の自分をファースト、もう一人の自分をセカンドと呼ぶことにした。そして別の次元の世界を、レイヤー2と呼んだ。
レンジは、ファーストとしてふるまいながら、同時にセカンドはレイヤー2の中で、そこらじゅうに隠されている魔法書を見つけては読み漁り、片っ端から契約をしていた。
レイヤー2は、魔法使いにとっては天国だった。最後の壁を超えた者のみに許される、至高の領域。ボーナスステージと言える場所だった。
レイヤー2では、レベル200までの力とは、まさしく別次元の力を手に入れることができた。今レンジが魔法で起こせる奇跡は、まさに天変地異と言っていい代物だ。試すまでもなく、それがわかる。
しかし、拡大された知覚の枝で魔王の存在に触れた時から、得体の知れない不安がレンジを襲っていた。
かつて、キノットという魔法使いと魔王との、千日戦争と呼ばれる戦いがあったという。キノットはレベル200の魔法使いだそうだ。ならば、それと同格と思われる魔王は、今のレンジの敵ではないはずだった。
だが、実際に魔王城に飛び、その結界に触れた時、優位性についての考えが揺らいだ。
魔王城の結界は、レンジの力を以ってしても解除することができず、小さなほころびを作り、薄い膜をめくるようにして入り込むのが精一杯だったのだ。
レイヤー2でセカンドが頑張って魔法を覚えてはいるが、まだまだ取りかかり始めたばかりで、レンジの力は不完全なものだった。
魔王は自称700歳だという。覚えられる魔法の性能の上限はあっても、悠久の時の中で、習得可能なあらゆる魔法を身に着け、それを使いこなすことができるのならば、まだ己の力を扱いきれないレンジにとって、魔王は油断できない強敵と言えた。
得体の知れない不安にかられて、時間を惜しみ、現実世界での魔王城潜入作戦と、セカンドの魔法習得を同時並行させていたレンジだったが、魔王城の結界内に入ってから、その目論見が崩れていた。
レイヤー2が消滅したのだ。
セカンドもすでに存在していない。これは恐らく結界の作用だと考えられた。これ以上新たな魔法を手に入れることができなくなったのだ。結界内では、他にもレンジの様々な力が制限されていた。
だがそれでも、レンジはこれまでに習得した魔法だけで、魔王を倒す自信はあった。レイヤー2で得られたのは、それほどのとてつもない魔法たちだったからだ。
不安と、自信が入り混じった、不安定な感情のまま、魔王の待つであろう魔王城の最上階へと急いでいたレンジだったが、さきほどから、精神攻撃のようなものを受けて、その対応を迷っていた。
レンジがその攻撃を解除しなかったのは、紛れ込んだ異空間が、いつの間にか、結界内に入ると同時に消滅したはずのレイヤー2に変貌していたからだった。
白と黒の幾何学模様が、床を、壁を、天井を覆って、どこまでも伸びている。さっきまでここを走っていたのは、セカンドだった。しかし今はファーストのまま、レンジはその世界にいた。
迷宮のようなその世界で、レンジは再びあの少女を見た。
夢で、レンジと遊んでいた女の子だ。レンジを、オメガボルトの魔法書へといざなってくれたのも彼女だった。
その女の子が、まるで夢の中で弾むような足取りで、回廊の先へ進んでいく。レンジはその後ろ姿を追って走った。
『ふふふ』
時折、女の子はレンジのほうをチラリと見て笑った。悪戯っぽい声だった。
レンジはこれが罠なのだろうかと考える。
しかし、自分の中のなにかが、違うと言っている。レンジは不思議な世界から離脱せずに、ひたすら女の子を追いかけた。
ふいに、道の先に、行き止まりが現れた。どういう構造になっているのか、これまでどの分岐を選んでも必ず道はどこかへ通じていて、行き止まりなどは存在しなかったのに。
女の子は、どこにもいなかった。最後の角を曲がってから一本道だった。途中の扉もない。彼女は消えてしまっていた。
だが、そこは確かにあの女の子が導いた場所だった。
行き止まりの先に扉があった。周囲と溶け込むような、白と黒の扉だ。レンジはその扉に手をかけた。そして、道の先を開いた。
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