第51話 超魔法の応酬
その閃熱が発生した瞬間に、玉座の間の気温は跳ね上がり、灼熱の地獄と化した。セトカたちを包んでいるのは、その熱から守るための、防護膜だった。
目のくらむような強烈な光の中、レンジは驚くべきものを見た。
閃熱が魔王の手前でまるで渋滞するように停滞していた。そして魔王が玉座に腰かけたままの姿勢で指をくるりと回したかと思うと、レンジの最終階梯魔法が、空中でかき消えていた。
「なんだそりゃあ!」
バレンシアがわめいた。
ライムもわめきたい思いだった。属性耐性なんてもんじゃない。魔王は、レンジのあのとんでもない攻撃魔法を、完全に無効化していた。
『遊び半分というのは、まあ当たっておるわい。ワシは飽いておるのじゃ。なにもかもに』
魔王は退屈そうに口を尖らせた。
『700年も生きておるとな。まして最近は、ワシにまともに挑みかかってくるものもおらん。あのキノットも、ちっとも顔を見せんようになった。魔法使いは利己的じゃからな。……ワシはのう、レンジ。そなたが今日来ることは知っておったのじゃ』
「なんだと」
全員が目を見開いて驚いた。
『何十年か前にの。南の国の占い師じゃという女が訪ねて来よってな。ワシに予言を献上したのじゃ。ワシを倒しに来る者のことを。ワシはそれ以来、楽しみにしておったのじゃ。今日という日を。だが、いささか拍子抜けじゃの』
「クレメンタインが?」
『今にして思えば、それもその女の予言の力なのじゃろう。ワシにそれを告げておらなんだら、ワシはもっと早く人間どもを駆逐するところじゃったかも知れん。告げることで遅らせたのじゃな。ふふふ。大した女じゃ。それから、ワシは待っておったのだ。そなたが来るのを。しかし、その体たらくはなんじゃ』
「どういう意味だ」
『本気を出せと言うておる』
魔王は人さし指を振った。
次の瞬間、突如発生した吹雪とともに、無数の氷の欠片がレンジたちを襲った。レンジは杖を前に掲げて、光の膜を強くした。ライムとミカンも慌てて、それに加勢した。
氷雪がおさまった。レンジたちは無事だった。
『それじゃ。魔法使いの癖に、仲間などとつるんで、そやつらを守りながら戦うなどと。ずいぶん甘いやつじゃわ』
「黙れ!」
レンジは再び杖を振った。
「オメガレイザ」
目を開けていられないほどの白く輝く光の束が魔王を襲った。しかし、それも標的を目前にして消え去った。魔王は微動だにしていない。
『やはりらちがあかんの。そなた、仲間を気にして、本気を出せまい』
魔王の言葉に、セトカが叫んだ。
「レンジ! 我らに構わず、全力でやつを叩いてくれ!」
「くっ」
レンジは仲間を振り返り、杖を握りしめた。
レンジにとっては誤算だったのだ。これほどの相手とは思わなかった。仲間を巻き込まない程度の攻撃で倒せると踏んでいたのだ。これまでの魔法攻撃もすべて出力を絞らざるを得なかった。
振り向いたレンジの隙をついて、魔王がカッと目を見開き、魔法を唱えた。
『ネームチェンジ』
「あっ」
ライムは自分に向けられた魔法の効果が及ぶその瞬間、全身の皮膚が粟立った。
正体はわからない。しかし、おぞましい即死級の魔法なのは確かだった。
死ぬ……。
「対抗呪文!」
レンジが即座にその魔法を打ち消した。間一髪だった。額に冷や汗が流れていた。
ライムは自分の体が無事なのを確認して、膝をついた。足が震えていた。
『ほう。反射的に同一領域魔法の<リネーム>で対応しそうなものじゃが、対抗呪文で割り込むとはのう。リネームじゃったら、ハメ技につなげられたのに。冷静じゃの』
レンジはこのレベルの魔法での戦闘経験がまったくない。覚えたばかりの魔法をどう使うか、未だ手探りだった。それに対して魔王の魔法戦闘の引き出しは、底知れなかった。
レンジは自分の不利を感じていた。
このままではまずい……。
『魔女の大壺(コルドロン)』
追い打ちをかけるように魔王の魔法が周囲に展開した。突如四方に出現した巨大な紫色の壺が傾き、中の液体がレンジたちに向かってブチまかれた。
「危ないッ」
とっさにライムとミカンが防壁を展開したが、半透明の壁は液体に触れた瞬間に溶解する。
「スペルリプレイス!」
液体が降りかかる瞬間、レンジが杖を天にかざして叫んだ。
すると、巨大な壺の上に『Cauldron(コルドロン)』という綴りが浮かび、それがバラけて並び変えられ、『Cold Aurn』という別の綴りに変化した。
真っ赤に煮えたぎる液体は、瞬時に動物の骨片に変わり、ガラガラとレンジたちに降りかかった。それを騎士たちが剣ですべてはじき返した。
「Cold Aurn(コールド アーン)。冷たい、骨壺……」
ライムがうめいた。
「こんな、世の理を無視したような力が存在するの? あなたたちの魔法は」
魔王が指を振ると、宙に浮かぶ骨壺と床に散らばった骨が消滅した。
『めんどくさいのう。最高峰の魔法使い同士の戦いは、こうなりがちなのじゃ。攻撃魔法の威力よりも、防御魔法の堅さのほうが勝るのじゃ。強い魔法使いほど利己的じゃからな。だれかを倒すことよりも、自分が生き残ることを優先する。そうして、やがて表舞台からも姿を消し、自らの殻に籠るようになる』
魔王はミカンを指さした。
『そこの小さいの』
「へ? わ、私?」
『おぬし、西方の出身じゃろう。キノットはどうしておる?』
ミカンはうろたえながらも答えた。
「キノット様は、魔術師ギルド、『灰の夜明け』のグランドマスターとして名前は知られていますが、長らくお姿は確認されていません……」
『そうであろう。あやつも、ちっともワシのところに顔を出さなくなった。ミクロメルムのやつもそうじゃ。どこにおるのやら。まったく、退屈でかなわん』
「み、ミクロメルム様は、今も魔術都市を治めていらっしゃいます」
『阿呆。それは100年以上前から影武者じゃ』
魔王は蠱惑的な表情をしながら、レンジを見つめた。
『どうじゃ。場所を変えて、サシで決着をつけるというのは?』
「……どこでだ」
『場所はワシが用意する』
魔王の頭上に、巨大な扉が出現した。扉の周囲は空間が渦を巻くように歪んでいる。
『おじけづくか?』
魔王の挑発に、バレンシアが吼えた。
「レンジ、罠だ」
『仲間はそう言うとるが、どうする?』
レンジは息を吸って、吐いて、魔王に応えた。
「わかった。行こう」
『それでこそじゃ』
レンジは浮かび上がった。扉に吸い寄せられている。その扉がゆっくりと開き始めた。その向こうは不気味な暗闇が広がっていて、この世界とは地続きでない、別の世界に通じているようだった。
「レンジ!」「レンジ殿!」
仲間たちが引き留めようとする。
それを、魔王が小うるさそうに顔をしかめる。
『やかましいのう。おぬしらにも、遊び相手を用意してやるゆえ、我慢せい』
魔法が指を振ると、地面に巨大な魔法陣が出現した。そして、そこから、なにかおぞましい力が噴き出してきた。
「召喚魔法よ! 気をつけて」
ライムが仲間たちを下がらせた。
魔法陣から巨大な影が現れた。それは徐々に実体化し、全貌を見せ始めた。
「魔神?」
セトカが身構える。それは、魔神によく似た体をしていた。
「23神将の序列1位から3位。3羅将ですぅ!」
ミカンがわめいた。
「で、でもでも、なんか、くっついてます?」
3羅将と呼ばれたそれは、3つの顔を持っていた。いや、顔だけではない。手も、蛇のような胴体も、すべて3体分だ。それらが、背中合わせに張り付いて、融合していた。
『さっきオメガボルトで殺されおったからな。死霊魔術で蘇らせてみたのじゃ。ついでに魔改造してやった。さあ、おぬしら、これに勝てるかのう』
「みんな!」
レンジは扉に吸い込まれる寸前だった。もう戻れない。魔王も玉座から浮上し、その後を追っている。
『そうそう。おぬしらに逃げられてはつまらんからの。そいつには、指令を与えておいた。城の外へ出て、目につく限りの人間どもを、皆殺しにして来いとな』
「な、なに?」
セトカは3羅将を見上げた。あの魔神アタランティアよりもさらに巨大だ。3つの頭部はそれぞれ、獅子、狒々、山羊を模した顔をしていた。どの顔もどす黒く、狂気を宿したような恐ろしい目つきをしている。
「くそっ」
レンジは杖を振った。その先から、青い光の玉が飛び出して、ふわふわと仲間の元へ向かった。
『ほお。補助魔法を残していくか。ワシもそうしよう』
魔王も、指を振った。紫色の光る球が、ふわふわと3羅将のほうへ向かっていく。
レンジにとって、これは賭けだった。召喚された羅将に攻撃魔法を放っていたら、魔王に打ち消された可能性が高かった。だから、補助魔法を放ったのだ。それも消される可能性はあった。しかしレンジは、魔王の同調行動に賭けた。
そしてその賭けには成功した。あとは……。
レンジは扉に半分吸い込まれながら、叫んだ。
「ライム!」
その言葉を最後に、レンジは扉に吸い込まれた。ほぼ同時に魔王も。すぐさま扉はバタンと閉じられ、空間の歪みの中にくるくると回りながら消えていった。
「わかってる!」
ライムは杖を振り上げた。
「私も!」
ミカンも同じように杖をもたげ、叫んだ。
「消えろ!」
ライムとミカンは、魔王の残した紫色の球を攻撃した。
凄まじい光と衝撃破が周囲を包んだ。
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