第44話 一撃の余波


「しっかりしろ、ライム」


 よろめいたライムを、一糸まとわぬ裸のイヨが支えた。


「うちに魔法使いは、もうお前しかいないんだよ」


 ライムは頭を振って、「ごめん」と言った。


「東部どうしたの」


 呼びかけに水晶玉が答えた。


『東部、魔王軍駐屯地<樫の木要塞>に激しい落雷! 全体が燃えています!』


「なんですって? このタイミングで?」


『鳥を飛ばしましたが、消火の動きなどが見えません。逃げだす者の姿もなし。異常な状態です』


「視覚映像回してくれる?」


 再び、映像が空中に浮かび上がる。今度は、雨の中で巨大な木製の要塞基地から炎と煙が上がっている。

 樫の木要塞とは、魔王軍の東部方面の中心基地で、不敗のオークロードが率いるハイオークの重装兵団が駐屯している場所だった。

 魔王軍の魔獣たちと北方諸国の戦闘が激化すると戦線に出てくる、悪夢の代名詞ともなっている兵団だ。人間は、一度も彼らに勝ったことはなかった。

 その兵団のいる樫の木要塞が、今雷雨の中で陥落していた。


 鳥が、損傷が激しくすでに燃え尽きた要塞の深部に到達した。

 そこに映し出された光景に全員が絶句した。

 倒れ伏したオークロードの巨体、そして狂猛な幹部たちがすべて焼け焦げた死体となって、雨に打たれていた。


「これは……」


 バレンシアも言葉を失っている。これが今現実に起こっていることだと、信じられなかった。


『こちら北部も、異常事態発生! ディオズマ城が墜ちています!』


 別の女性の声が水晶玉から響いた。


「おい、嘘だろ。ディオズマ城って、魔獣機甲兵団がいるところじゃねえか」


 バレンシアの叫びに、マーコットが反応する。


「あの魔王城強襲作戦を、たった一隊で壊滅させた魔獣機甲兵団が、墜ちたのでありますか?」


 また鳥の視覚情報が映し出されたが、巨大な城のシルエットのいたるところから、煙が立ち昇っていた。

 しかし、悲鳴や、混乱するような声はなにも聞こえてこない。ただ雨の音だけがしていた。

 映像からは、死の気配が色濃く漂っていた。


『こちら西部戦線、フォックストロット。信じられませぇん。全滅してますぅ』


「全滅? どういうこと。詳しく説明して」


 ライムの問いかけに、水晶玉から静止画が次々に空中に映し出された。


『フェバリウム城、ケロケロ砦、満月山、不死者の森、泥沼館、犬猫動物公園……、とにかく、全滅! 全部全滅してますぅ!』


 鳥の目の映像を切り抜いた静止画は、どれも壊滅した魔王軍の西部前線基地を映し出していた。


「西部戦線が……」


 ライムは目を見開いて口を抑えた。

 魔王軍の西部戦線は、強硬姿勢の西方諸国に備えて、魔王が特に厚く戦力を置いているラインだった。北方に存在するすべての魔王軍を合わせたよりも、質も量も上回っていた。

 それが、今、全滅しているという。


「レンジ! あなたの魔法なの? あのボルトで、これを?」


 ライムが叫んだ。

 レンジは、その呼びかけに、少し遅れて答えた。


「そうだよ」


「超範囲魔法なんてもんじゃないわ! あの一発の魔法で、すべての魔王軍をやっつけたって言うの? いったいどうやって!」


「ええと。なんだって? すまない。ようやく二重存在に慣れてきた。ああ。範囲魔法のことか。ライムが俺に、かけてくれたろ。空間把握力を拡大させる魔法を。あれに似てるかな。魔王軍の魔物は、すべて脳の中に、同一の信号を持っているんだ。魔王の指令を受けている部分だな。俺は、その信号を持つものを、すべてグループとして定義して、専用の魔法言語を構築した。無詠唱だけどね」


「グループ化ですって?」


「ようするに、どういうことだよライム。わけわかんねえぞ」


 バレンシアがライムの肩を揺らす。

 ライムは、揺れるに任せて、茫然として言った。


「私たちが計画していた超範囲魔法の攻撃は、目に見える範囲すべてに効果が及ぶはずだったの。それで5兆匹のスライムを、順に効率よく倒していく予定だった。でも今レンジがやったのは、そんな生易しいものじゃない。レンジが、魔王軍の魔物に攻撃したい、という意思を持って攻撃魔法を唱えると、たとえ自分がどこにいても、す……すべての魔王軍の魔物に同時に必中でぶつけることができるってこと」


「はあああ? なんだそりゃ!」


「そんなの、凄すぎるであります!」


「そして、威力は、最終階梯魔法……。正直想像もつかないけど、あの『全属性完全耐性』って言われてた不敗のオークロードが一撃で死んでるのよ。多分、どんなに雷耐性があってもそれをぶち抜いてる。だれであっても耐えられないわ」


 そこで、紫色の下着姿のビアソンが口を挟んだ。


「ちょっと待ってくださいます? じゃあ、あのスライム5兆匹は全部やっつけたって言うんですね。本当に?」


「それどころか、魔王軍を全滅させたのよ、さっきの魔法で! 今! こいつが!」


 ライムが何度もレンジを指さした。


「そうだよ。うまくいったみたいだ。ただ、スライムたちの悲鳴が直接聞けなかったのが残念だな」


「え……」


 ライムはゾクリとして指の動きを止めた。ほかの仲間たちも、同様にレンジの言葉に恐ろしい響きを感じていた。

 実際のところ、レンジは昔からの趣味である、スライムの面白断末魔収集ができなくて残念だ、と言っただけなのだが、この状況下ではまるで超常的な力を持つ男のサイコパス発言のように受け取られても仕方がなかった。


「い、いつそんな魔法覚えたのでありますか?」


「そうよ。レベルが上がっても、勝手に魔法を覚えられたりはしない。魔法書による契約は必要なはずだわ」


「それについては、今まさにその契約の真っ最中なんだ」


 レンジが不思議なことを言った。ベッドの上で上半身だけを起こして、ゆらゆらとリズムをとるように、頭を動かしている。それが、魔法の契約中だと言ったのだ。

 ライムたちは狐につままれたような気分だった。


「俺は今、別次元にも存在している。魔法はそっちで覚えているんだ。片っ端から」


「理解できないわ。それがレベル205ってことなの?」


「さあ。それについては俺もよくわからな……い……」


 ふいにレンジの頭の動きがピタリと止まった。そして、まだ微妙に焦点があっていなかった視線が完全に元に戻り、見る見る顔が険しくなった。


「しまった!」


 その声に、全員がビクリとした。


「ライム、魔王城の正確な位置を教えてくれ」


 レンジに早口でそう言われ、ライムは慌てて鞄から地図を取り出した。

 レンジは、ベッドの上に広げられた地図を凝視する。


「魔王を討ち漏らした」


 そんな言葉を吐き出したレンジに、ライムが「どうしてわかるの」と訊いた。


「魔物と同じ信号を持つやつが一体、北にいるのを感じる。空間把握の照準を合わせてみたが、間違いない。魔王城だ。だったら、魔王しかいないだろう」


「ていうか、あなた本当に魔物を全滅させてたのね」


「だめだ。遮断された。結界だ。魔王城全体に結界が張られた。まずいぞ」


 レンジの視線は地図の上に落ちているが、超拡大された意識は、魔王城のそばにあった。


「まずいってなにが」


「こっちの存在に気づかれた。へたにつついてしまったかも知れない。一瞬、意識に触れた気がしたが、あれは想像以上にやばいやつだ。たぶん」


 レンジのいた場所の布団が、パサリと落ちた。全員、目を反らした記憶はなかったが、レンジが目の前から消えていた。

 彼女たちは驚いたが、次の瞬間には、部屋の真ん中にそのレンジが現れていた。


 寝巻姿ではない。真紅のマントに、真紅のローブを身にまとっていた。それぞれに、黒い縁取りがある。

 そしてボサボサだったレンジの頭はオールバックに撫でつけられ、髪に隠れがちだった目は、鋭い眼光を晒していた。


「え、レンジか?」


 突然、見違える姿で現れたレンジに、全員が驚いていた。


「これから、魔王を討ちに行く」


 そう言って、右の手のひらを目の前で上に向けた。その手のひらの腹から青白い炎が吹き上がり、その炎の中におどろおどろしい巨大な城が浮かび上がっていた。

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