第39話 悪魔と天使
『なんだお前はじゃねーよ。俺はお前の陰茎(いんけい)だよ!』
レンジはびっくりした。
(なんだと。ついに陰茎が話しかけてくるとは。いよいよ俺はどうかしちまったのか)
『カマトトぶってんじゃねーよ! 女の方から夜這いに来るなんて経験、はじめてだろうがよお。そんなの関係ねえよ。据え膳喰わぬはなんとやらだ、このヤロー』
(ど、どうすりゃいってんだ)
『決まってんだろぉ。まずはキスからだよ。キス』
(キス……)
『チュッチュだ、チュッチュ!』
レンジが戸惑っていると、また下半身から今度は天使のような声が聞こえた。
『いえ、それはいけません』
(えっ。お、お前はだれだ)
『私? 私はあなたの、陽物(ようもつ)ですよ』
(なんだって? 陽物? 陰茎と同じものじゃねえのか。キスはだめだってのか。いったいどうして)
『ええ。口ではなく、まずは、パイオツからがよろしいでしょう』
『はあ? 普通キスからだろうが、このドスケベ野郎』
陰茎が罵った。
『いえ、パイオツからです。女子は揉まれるのを大変喜びます』
『なにがパイオツだ。騙されちゃいけねえぞレンジ』
脳内で繰り広げられる陰茎と陽物の喧嘩をオロオロして見守っていたレンジだったが、膨らんだ毛布から、セトカの顔がおずおずと現れたことで、ようやく我に返った。
「は、話を……聞いてくれ。説明をする」
セトカは震える声でそう言った。いつもの自信満々な声ではなかった。
「わ、わかった」
レンジは、彼女が話し始めるのを待った。
セトカは何度か深呼吸を繰り返し、そのペースがだんだんと緩やかになっていった。
「よし。すまん。私としたことが、と、取り乱してしまって」
謝られても、正直、レンジのほうが取り乱していた。なにしろ陰茎や陽物と話していたくらいだ。
「いや、それはいいけどさ……。なんなんだよ一体これは」
セトカは、にゅっと毛布から顔だけを出して、レンジを見つめた。
改めて見ると、セトカは信じられないような美人だ。睫毛が長く、吸い込まれそうな瞳をしている。マーコットのような幼げな相貌もかすかに残しつつ、高級な人形もかくやという完璧な目鼻立ちをしていた。レンジの生まれ育った田舎には絶対にいない、美女だった。
つい先日まで張り詰めた戦場での姿ばかりを見ていたレンジには、今の恥ずかしがりながらオロオロしているセトカの姿は新鮮過ぎた。
「ええと。どこから話せば良かったかな」
その美人が、もにょもにょと口ごもっている。まだテンパっているようだ。
「あのー……。ナナフシグレートの時の……」
それを聞いてレンジはピンときた。
「もしかして、スライムが違うとかなんとか言ってた件か」
レンジはナナフシを倒しそこなった後のあのやりとりを忘れたわけではなかった。ただ、とりあえずライムと団長のほうからなにか言ってくるまで、気にかけないようにしていたのだった。
「そ、そうだ。そのことだ」
「スライムが違うって、どういうこと?」
「ふう。スライムはな、とっても弱いモンスターだ。どんな攻撃でも一撃で倒せる。最弱の魔物」
「まあそうだな。第一階梯のどの魔法でもワンパンだよ。俺も倒しそこねたことないし」
「だからこそ、盲点になっていたのだ。古代の超範囲魔法であるボルトを使える人間を連れて来さえすればよいと、そう思い込んでいた」
「なんなの。俺のボルトじゃ、なにかまずいわけ?」
「……端的に言うと、そうだ」
「はあ? なにを今さら」
「すまん。カラマンダリン山脈の北と南で、モンスターの強さが違っていたのだ。北側の魔物は、魔王の邪悪な波動を受けて、凶暴で強力な力を持って生まれてくる。それはわかっていたのに、まさかあのスライムがこんなに違うと思っていなかった」
「ええと、要するにうちんところのスライムは、超弱いってこと?」
「そうだ。あのネーブルで南のスライムにボルトの試し打ちをした時に気づくべきだった。私たちのミスだ」
「逆に言うと、北のスライムは俺のボルトで倒せないくらい強いってことか」
「レンジ殿があのナナフシを撃ち漏らしたことでそれに気づいた。ナナフシグレートもスライムと同様に最弱のモンスターだ。倒せないわけはない。ボルトは、超範囲魔法。目に入っている魔物を、そもそも撃ち漏らすこと自体あり得ないのだ。実際、ナナフシに、ボルトは命中していた。命中してなお、絶命に至らず、逃げられたというのが真相だ」
「スライムも、同じことになるって言うんだな」
「残念だが、そういうことだ。我々にとってはどんな攻撃でも一撃のスライムが、レンジ殿にとっては一撃で倒せない敵なのだ」
レンジはベッドの上に、体を起こした。
「じゃあなんでこんな悠長なことしてんだよ。俺のレベル上げなきゃならねえだろうが! 急いで」
怒ってそう言うレンジに、セトカは布団の中から首を横に振った。
「それでは間に合わない。第1階梯魔法は、元々レベルが上がっても威力が上がりにくい」
「それは知ってるけど」
「そして、そなたは最もレベルが上がりにくいF型だ」
「でもやるしかないだろ」
セトカの顔が曇った。
「……そなたは、そもそも魔法使いとしての素質が低すぎるのだ」
レンジは頭を殴られたような気がした。
いま、それを言われるのかよ!
冒険者になってから、ずっと言われてきたことだった。パーティを組んだ仲間に、遠慮がちに、時にあしざまに。
ずっと、ずっと言われてきた。
それでも諦めずに、ずっとこの仕事にしがみついてきて、やっと、やっと、本当に俺を必要だって言ってくれる人たちに出会ったんだ。俺の魔法が、世界を救えるかも知れない。いや、救えるんだって、そう思っていた。
なのに、いま、それを言われるのか。
レンジは全身の力が抜けるのを感じた。
故郷を遠く離れたこの異郷の地で、自分がさらに弱く、矮小な存在なっていくような、そんな感覚に襲われていた。
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