第38話 真夜中の来客
レンジは夢を見ていた。
家の近所の草むらを走っている夢だ。
レンジは子どもに戻っている。
昔、大人たちが切ってしまったはずのブナの木があった。レンジはよく登って、おっこちて、怪我をしたものだった。そのままの姿で、ブナの木はそこにあった。
『次は、なにして遊ぶ?』
髪の長い女の子が、ブナの木の後ろから顔を出して言った。
『でも、もう帰らなきゃ』
この子はだれだっただろう。
レンジはそう思いながら、返事をした。
『えー。つまんない』
『ごめんね』
女の子は走って来て、レンジの手を取った。女の子は、健康的に日焼けしている。とってもかわいい子だった。
『じゃあ、また遊ぼうね。約束』
女の子はレンジと小指を絡ませた。
『うん。わかった』
レンジはうなづいた。
あ、でも、夢なのに、約束なんかしちゃっていいんだろうか。
でもレンジは、小首を傾げた女の子に、そんなことは言えなかった。
王都レプトティルサの王宮の上層階に、来賓用の部屋がある。ゆうに10人は暮らせそうな大きさの部屋だ。そのなかにあるどの調度品も最高級のもので、庶民には手が出ないものばかりだ。
そんな贅沢な部屋の巨大なベッドの上で、たった一人の客が寝言を言いながら眠っていた。
「むにゃむにゃ……。だめだよ。だめ……。だめだってば、ラウェニア。……おまえ、シトラスのことが好きなんじゃなかったのかよ……。あ、そんなところを……うふふ」
レンジは眠りながら、一抱えもある、いい匂いの枕に抱きついて、腰をすりつけていた。とても絵でお見せできるような光景ではない。
その時、部屋の扉をノックする音がした。
「ん?」
レンジは目を覚ました。
しばらく、見慣れない天井を見上げて、ぼーっとしていたが、すぐさま体を起こして、毛布をめくった。
「せ、セーフ」
下半身の熱さに、大変なものが出てしまったかと思った。確認すると、下着は無事なままだった。
だが、息子は猛り狂っている。
『いつでも飛び出したるで!』
そう言っているかのようだった。
遠征帰りで悶々としている状態で、いきなりこの旅に連れ出され、かわいい、いい匂いの女子たちに囲まれて、1週間。その間、レンジの息子は何度も危機を迎えながら、ギリギリのところで噴火を免れていた。
だがもうそれも限界に近い。安全な場所に到着し、命の危機からの開放された安心感。久しぶりにとった豪華な食事。そこで、やたらせいのつきそうなものを食べさせられてから、レンジはもういつカタストロフィを迎えてもおかしくない状態だった。
(トイレ、行くか……)
レンジは、目を血走らせながら、多目的な場所に行こうと腰を上げた。
「あれ? そういえば」
なにか物音を聞いた気がして、目を覚ましたことを思い出した。
その時、再び扉をノックする音がした。
「え、だれ?」
部屋の隅ある大きな柱時計を見たが、真夜中だった。
部屋は暗い。急に心細くなってきた。この数日というもの、夜昼なくずっと周りに人がいる状態だったので、知らない場所でたった一人、という状況を再認識して、不安が襲ってきたのだ。
一体だれが……?
またノック。今度は焦ったように、早いリズムだった。
「は、はいはい」
急かされて、レンジは扉のほうへ向かった。大きく、重そうな扉だ。3つの首のライオンの意匠が施されている。
レンジは恐る恐る扉を少し開いて、その隙間を覗き込んだ。
そこにいたのは、団長、セトカだった。
「え? 団長?」
「早く、入れてくれ」
セトカは焦ったような声を出した。
「はやくはやく。あわわ」
「ちょ、ちょっと待って」
レンジはすぐに扉を開いて、彼女を招き入れた。
そして、後ろ手に扉を閉め、あらためて彼女の姿を見て、レンジは固まった。
「な、なんで……」
セトカは、透け透けのネグリジェを着ていた。
出会った時から、彼女はずっと白いマントと白い鎧を身に着けていた。
その彼女が今、部屋の隅でかすかに灯る橙色のランプの明かりに照らされて、生身の肢体をさらしていた
ネグリジェのほかには何も身に着けていない。その下に、膨らんだ胸や、鍛え上げられた腹筋、そして下半身も、すべてあらわになっていた。
「だ、抱かれに来た」
セトカは、緊張した声でそう言うと、小さくうつむいて、腕で胸と下半身を隠した。
「はあああ??」
レンジは大きな声を出しそうになって、すぐに自分の口をふさいだ。
「いや、その。……なんで?」
セトカは、夜這いだなんて、そんなことをしそうにはまったく見えなかった。むしろ真逆のタイプと言っていい。
レンジは、バレンシアが夜にやって来る可能性はあるかもと、心のどこかでうっすら思っていた。そういうちょっかいのかけかたを、されていたからだ。
しかし、団長がやってくるなんて。まったく予想だにしていなかった。
セトカは、舐めるように全身を見てくるレンジの視線に耐えられなくなったのか、「わあ」と言って、小走りにベッドのほうに向かった。
そして、シーツの上にダイブすると、毛布のあいだに滑り込んだ。
「な、なんなんですか」
唖然とするレンジの目の前で、毛布がもぞもぞと動き、やがて手だけが外に出てきて、ちょいちょいと手招きをした。
呼ばれたレンジは、狐につままれたような気持で、そろそろベッドに近づいた。
毛布から出た手は、すぐそばのシーツをパンパンと叩いた。ここに、来いということらしい。
レンジはベッドに上がると、盛り上がった毛布のすぐ横に、体を入れた。
お互い布団のなかに入り、しばし沈黙が訪れた。
天井が高い。レンジはその天井を見上げながら、混乱する頭を整理しようとした。
しかしその時、下半身から悪魔のような声が聞こえてきた。
『なにを戸惑ってやがるレンジィ』
(な、なんだお前は!)
レンジは驚いて誰何した。
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