第3章 スライム5兆匹と戦う男編
第29話 レンジ、五感を失う
激闘の末、からくも魔神アタランティアを打倒した聖白火(せいはっか)騎士団一行は、いよいよ魔神回廊を抜けてカラマンダリン山脈の北へと向かうこととなった。
しかし、その前に起こった、2つの出来事を説明しておく必要がある。
1つは、ネーブルへと戻るギムレットとトリファシアを見送りに、祈りの間の玄関へ向かった時のこと。
「こ、これは」
魔神の死と同時に再び砕け散っていた扉の前で、トリファシアの肩を担いだギムレットがギクリとして立ち止まった。
扉の向こうに、女性騎士の死体がいくつも倒れていたのだ。どれも首がなく、胴体だけだった。
「6班の仲間であります。王宮で魔神にやられました。どうしてここに」
マーコットが悲痛な声で言った。ライムが陰鬱な声で答えた。
「死霊魔術を受けて追いかけてきたようねぇ。この扉の結界で止められてて、術者である魔神が死んだから、死体に戻ったということね」
ライムは、マーコットに、「いいわね?」と訊ねた。マーコットは静かにうなづいた。
ライムは魔法で騎士たちの死体を燃やした。マーコットは班長になったばかりで、彼女たちははじめての部下だったそうだ。
レンジは、皮膚や脂肪が燃える青白い火を見つめているマーコットをちらりと見た。火に照らされた横顔からは、その胸のうちを伺い知ることはできなかった。
マーコットは、彼女たちの指の骨の一部を拾い上げ、懐に収めた。
2つめの出来事は、ギムレットとトリファシアの2人と別れたあと、騎士団の編成を組み直したことだ。
トリファシアに代わって、1班の班長に2班班長だったイヨ。2班班長は4班班長だったビアソン。副班長に5班班長だったジャッファ。そして3班班長にマーコットが就き、合計3班体制となった。班員は班長含めそれぞれ、6名、6名、4名の計16名。
これに、団長、副団長、魔術師長の3人を加え、合計19名が、聖白火騎士団の総員ということになった。
旅立った時の、実に半分以下になってしまっている。魔神との戦いは、それほどの犠牲を出した死闘だったのだ。
だが、彼女たちにそれを嘆く時間はなかった。再編後、すぐさま出立することになった。
「え、目隠し?」
いよいよ、祈りの間の奥の部屋にあるという古代ドワーフの残した遺産、空間転移装置の姿を拝もうというとき、レンジはライムに止められた。
「そう。悪いわね」
あっ、という間もなく、ライムの魔法で、レンジは視力を奪われた。
暗い。完全な真っ暗闇だ。なにも見えない。おろおろと手を伸ばしてうろたえる。
「すまぬ、レンジ殿。空間転移装置の扱い方は、我が王家の機密情報ゆえ、そなたにお見せする権限が、我々にはない」
セトカが頭を下げる気配がする。
「そ。なにしろ、ここを他国に自由に通り抜けられるようになるとぉ、デコタンゴール王国としては背後を突かれる形になるから、いろいろと都合が悪いのよ」
「横暴だ! そっちは勝手に魔神回廊通り抜けてきて、こっちの国の首都ネーブルにまで侵入しているのに!」
レンジは正論でライムに反論したが、「うるさいわね」と言い返されただけだった。
「スライムを退治して平和が戻れば、国として正式にカラマンダリン山脈を隔てた遠い南の隣国との国交を結ぶことも考えられよう。だが今は、とにかく急いでデコタンゴールへ戻らないといけないのだ。すべてはそのあとだ」
団長にそう言われれば、仕方がない。
レンジは「わかった。しょうがねえ。目隠しでいいから連れて行ってくれ」と従った。
しかし、ライムは「こいつ、うるさいからもういいでしょ。全部で。えいっ」と言って追加でなにかの魔法をかけてきた。
「え、ちょっ」
次の瞬間、レンジは、五感をすべて奪われた。視覚だけでなく、聴覚、触覚、臭覚、そしてなぜか味覚まで。
「…………!」
思わず喚いたが、自分の声すら聞こえない。自分が持ち上げられたような感覚だけがあった。
そこから、レンジの意識は途切れる。
次にレンジが覚醒したのは、薄暗い洞窟の中だった。壁には光石がなく、ただの岩肌がむき出しになっている。周りには、白いウィル・オー・ウイスプが舞っている。そのかぼそい光だけが、闇の中に自分たちを浮かび上がらせていた。
「お、気づいたか」
レンジは、副団長バレンシアの背中に負われていた。
「おまえ、まる1日寝てたんだぜ」
なんだか頭がくらくらする。奪われていた五感が戻ったせいなのか、背中で揺られて酔ったせいなのか、レンジにはよくわからなかった。
「……ここは?」
「まだ、山脈の底だ。でも、一番きついところは越えたからな。あと1日くらいで、外に出られるはずだ」
周りを見ると、マーコットたち3班の4人が、レンジを背負う副団長を囲んでいる。この3班が、新たにレンジの護衛を任されていた。その彼女たちに、多くの新たな戦いの傷跡が見て取れた。白い鎧も返り血に塗れている。
魔神回廊より、転移装置で移動してからのほうが魔物が強いと言っていたのは、本当だったらしい。魔神回廊では道中のモンスターに、彼女たちが手傷を負わされることはほとんどなかったからだ。
しかし幸いにして脱落者はいないようだった。レンジはウィル・オー・ウイスプの淡い光に揺れる頭を数えて、ホッとした。全員、息も切らさずに速足でダンジョン内を進んでいた。
「団長は?」
「先頭だ。ここからは団長だけで大丈夫だろう。外に出るまで楽できるぜ」
グバッ、という肉が斬られる音が前方から聞こえたかと思うと、しばらくして、首が4つあるトカゲの死体が転がっているのが見えてくる。
どうやら、団長が向かってくる魔物を先頭で切り伏せているらしい。
「あのギムレットっておっさんさあ」
バレンシアがぼそりと言った。
「結婚してたりするか?」
「なんだよ急に。してないよ。ずっと独身のはずだけど」
「そっか。まずいなあ」
「なにがまずいの」
「トリファシアのやつさ。ああいう渋いおっさん、昔から好きなんだよ。王立学校の時なんて、嫁も子どももいる先生に……」
「先生に?」
「まあいいや。あいつの勝手だ。幸せになるって道もあるよな……。それより、お前さあ」
「な、なに?」
バレンシアがなにか言いかけて、妙に言い淀んだ。
「もう、大きくしないのか」
「は?」
なんのことか気づいて、思わず息子に意識が集中したが、息子は眠ったままのようだった。魔神回廊に入ってからも、息子はイライラしっぱなしだったが、第5層で死の恐怖にさらされ過ぎたせいか、今は気絶したかのように沈黙していた。
「いや。昔から血を見るとな。体が反応しちまうんだ……」
バレンシアはそう言って、前を向いたまま黙った。
こころなしか、レンジが体を預けているその筋肉質な背中が、熱を帯びたような気がした。
え? なに? どういうこと?
次の瞬間、息子が半分目覚めた。バレンシアは鎧を脱いでレンジを背負っている。その半覚醒に気づかないはずはないのに、バレンシアは、前のように怒鳴りださなかった。
え? なに? どういうこと?
レンジは悶々とした。
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