ちびセトカの日々④
王立学校の女子寮の入り口に掲げられている名札の一覧に、一つ真新しい隙間ができていた。
日焼けした四角い木製の札のなかにできた隙間は、いやに白く見えた。
その前で、ライムが両ひざをついて、泣いていた。
「ライム……」
グレイプがライムの肩に手を置いた。
ライムはうつむいたまま、自分の頭から大きなリボンを引きむしり、寮の廊下の床に叩きつけた。
「あたしなら! あたしなら、良かったのに! どうしてセトカなの!」
いつも大人びた口調で冷静沈着なライムが、声をうわずらせて泣いていた。
その騒ぎに、ほかの生徒たちも集まっている。
その中から、一人の女子生徒が進み出た。いつもライムたちをからかっている先輩だった。
「よおライムちゃあん。お友だちがいなくなって、泣いてるのぉ?」
ライムはキッとその顔を睨みつけた。
「なんだっけぇ? なんとかって、えらーい貴族様に身請けしてもらったんだろ。良かったじゃねえかよぉ。怖い魔物と戦わずにすんでさ」
「あんたなんかに、あの子の気持ちがわかるもんか!」
「ひょー。怖っ。女の嫉妬ってやつ? おまえも、貴族様に見初められるようにそんなかわいいリボン、いっつもつけてたのにねー。やっぱりそんな陰気な顔じゃあ無駄だよな。セトカちゃんみたいな美人にはかなわねえんだよ。キャハハ」
イヨが、その先輩の顔をいきなり殴りつけた。そして狼狽するその胸倉をつかんで低い声を出した。
「あんたなんかに、ライムのリボンのことを言われたくねえよ。こいつが、どんな思いでつけてたか……。いっつも隣にいるこいつがさ、自分がブスだとセトカがよけいに目立つからって、こんなリボンつけてさ。ちょっとでもかわいく見せようってさ……。こいつが。こいつがさ……」
イヨは泣いていた。泣いて、先輩を殴った。
吹き飛んだ先輩は腰を抜かして、そのまま這って逃げて行った。
孤児出身の王立学校の女子生徒が自由を手にする方法は2つある。
1つは、兵士となって10年間勤め上げ、生き残って除隊する権利を得ること。もう1つは、貴族や商人などの有力者に見初められて、身請けされることだ。
それを拒む権利は、子どもたちにはなかった。彼女たちは、国家の所有物だったからだ。
身請けされる子どもは、かわいらしい子ばかりだ。養女としてもらわれていった彼女たちが、どのような扱いを受けるのか、ライムたちもみんな、子どもながらに悟っていた。
「あんなに。あんなに、この街を守りたいって言ってたセトカが、どうして!」
ライムは声をあげて泣いた。グレイプが、イヨが、仲間たちがみんなライムを抱きしめて、同じように涙を流した。
去っていく親友を、救うことができないちっぽけな自分たちが、くやしかった。くやしくて、たまらなかった。
「顔を、あげたらどうだ」
聖白火騎士団の団長執務室で、バレンシアは土下座をしていた。
それを椅子に座ったまま見下ろしている団長のベルガモットは、値踏みするように言った。
「お前は、赤燐隊(せきりんたい)に呼ばれてるんだろう。いいのか、うちで。お前なら、赤燐隊でも出世できるぞ」
「お願いします! アタシは来年卒業したあと、この白火(はっか)で、どんな任務でもこなします。だからあいつを、戻してあげてください」
ベルガモットはため息をついた。
「わからないものだな。お前たちは喧嘩ばかりして反目をしていると聞いていたが」
「あいつは!」
バレンシアは床に手をついたまま顔をあげた。
「セトカは、すごいやつです。こんなガタイのアタシに、あんなちびが挑みかかってきて、どんなにやっつけてもやっつけても、挑みかかってきて……。諦めないんです。アタシはあいつを……尊敬しています」
「喧嘩の武勇、音に聞こえるお前に、そこまで言わせるとはな」
バレンシアの声がうわずって震えている。
「あ、アタシは、いつか、あいつと肩を並べて戦いたいと思っていました。せ、戦場で、生き死にの場面で、背中を預けられるやつだって。あいつは仲間想いです。信じられないくらい。どんな時も、仲間のために自分の血を流せるやつです。アタシも、そんな人間に、なりたいです」
ベルガモットは、バレンシアの告白に感情を揺さぶられた様子もなく、ただじっと見下ろしていた。そして、おもむろに髪の毛をかき上げて、隠れていた右目をあらわにした。
バレンシアはそれを見て息をのんだ。ベルガモットの右目の周りは火傷でただれていた。顔の半分の左側の端正な姿と、あまりにもかけ離れた傷跡だった。
「私は、自分で自分の顔を焼いた。こうして、下劣な貴族どもの手から逃れたんだ。あの子は、自分がどういう目で見られていたか、知らなかったのか」
バレンシアは、団長に圧倒されながらも答えた。
「世間知らずなやつなんです。そんなこと知らなかったでしょう。あいつはまだ12歳のガキなんですよ。……あいつは、アタシに、魔王を倒してくれって言いました。その12歳のガキがです。身請けされる自分にはもうできないからって、アタシに託したんです。そんな夢みたいなことって、思いました。でも、同時に思ったんです。こいつとなら。こいつとなら、いつか、って……!」
ベルガモットは、バレンシアの、体の奥底から絞り出すような声を聞いた。
そしてしばらくして、椅子に深く座り直し、ため息をついてから口を開いた。
「わかった。私も、あの子のことは惜しいと思っていた。……先代の団長が、今は国の有力貴族に嫁いでいる。なんとかしてもらえるよう、相談してみる」
「あ、ありがとうございます! お願いします!」
ベルガモットは、首を横に向け、執務室の壁に飾られた歴代団長の肖像画を見回した。
「いつか……。お前か、セトカが、この列に加わる日がくるのかも知れないな」
そう言って、彼女ははじめて微笑んだ。
3年の月日が経った。
王立学校の卒業式に、ライムは久しぶりに大きなリボンをつけて臨んだ。 あの日から、ずっとしまってあったリボンだ。
隣の椅子に座る女子生徒が、耳元でささやいた。
「私、そのリボン好きだったよ。とっても似合ってる。かわいい」
ライムはなぜか頬を赤らめた。そんなこと言われるなんて思っていなかったからだ。二人の胸元には、同じ星型のブローチが光っている。
『卒業生代表、前へ!』
隣の子がライムに微笑んでから、スッと立ち上がった。ライムは、同じくらいの背丈だったその幼馴染が、いつの間にかスラリと背が伸びているのに、あらためて気づかされた。
それが、今は誇らしかった。
たったひとり、整然と椅子に座っている卒業生たちのなかを、颯爽と歩いてゆくその姿が、自分のことのように、誇らしかった
聖白火騎士団の寮の前で、バレンシアとトリファシアが鎧を洗っていた。鎧や靴が、二人の横にずらりと並んでいる。自分たちの分だけではない。先輩たちの分もだ。そんな洗濯のような雑用も、下っ端の仕事だった。
「聞いた? バレンシア。あの子、総代だったそうよ」
長い髪を無造作に後ろで束ねたトリファシアが、ブラシを動かしながら言った。
「女子で総代なんて、王立学校はじまって以来だって言ってたわ」
「ああ。聞いた」
額に汗を浮かせたバレンシアは、ムスッとして手を動かしている。
「どうしたの。不機嫌そうね」
「んなことねえよ」
ブラシで鎧をこする音が大きくなった。
トリファシアは横目で相棒を見ながら、意味ありげに微笑んでいる。
「卒業して、どこに入るのかしらね」
バレンシアは、それにぶっきらぼうに答えた。
「近衛第一騎士団の、青槍(せいそう)騎士団だろ。昔から総代は、青槍って決まってる」
「女子が入れるかしらね。あの超エリート部隊に」
「入れるに決まってるだろ! 総代なんだぜ。もし女子だからって理由で入れないってんなら、アタシが怒鳴り込んでやる」
「もう。私に怒らないでよ」
「ふん」
バレンシアは、ぷいっと下を向いて、鎧をゴシゴシと洗う。
そうして二人で並んで洗濯をしていると、ふいに前から声がした。
「ちょ、ちょっと。団長室に呼ばれてるんだから、寄り道しちゃだめよ」
数人の、王立学校の制服を着た女子生徒たちが寮の前に立っていた。
その中の1人が、仲間に服を引っ張られながらも、かまわずに前に進み出た。
バレンシアは、鎧を洗う手を止めて、その子を見た。
「先輩。競争しましょう」
そう呼びかけられて、バレンシアは立ち上がった。自然に、犬歯がこぼれた。
「ああ。なにをだ」
「どっちが先に、聖白火騎士団の、団長になるか」
バレンシアは、自分の中に、小さな火が灯ったのを感じていた。それが、彼女を、どうしようもなく震わせた。
「いいぜ」
それを聞いて、セトカは微笑みながら拳を前に突き出した。見るものを笑顔にする、爽やかな笑顔だった。
――インターミッション ちびセトカの日々・完
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