第22話 逃げ場はない


 神殿のすぐ前に数体の魔物がたむろしていたが、マーコットが一息で蹴散らした。

 二人は神殿の入り口に駆け込んだ。まずは控えの間だ。その奥の石扉は閉まっている。

 

(しまった。ライムの封印魔法!)


 開けることを考えてなかった。とてもレンジに開けられる代物ではない。

 後ろから、魔神の迫る気配。


「ライム! 開けてくれ!」


 レンジが扉を叩いた。ドシドシという拳に響く衝撃。しかし、重い扉はなんの音も立てない。


「レンジ殿、避けて!」


 マーコットが叫んだ。とっさにレンジは右へ転がった。

 直後に火球が石の大扉に直撃し、凄まじい爆発音が響いた。背後からの魔神の攻撃だった。


「扉が、開いた」


 開いたというか、コナゴナに吹き飛んでいた。恐ろしい威力だ。体に当たっていたら、この世にはいなかっただろう。


「レンジ殿なかへ!」


 這うようにして、レンジは祈りの間へ飛び込んだ。すぐ目の前に、だれかが立っていた。

 レンジは立ち上がり、「危ない。離れるんだ」と言いながら、肩を叩いた。すると、その肩が、ボロボロと崩れ落ちた。


「ヒッ……」


 息をのんで後ずさった。真黒な人間だった。全身が炭化していて、サラサラと少しずつ崩壊していた。

 原型をわずかにとどめたその横顔に、見覚えがあった。1班で、班長と並んで魔物を斬りまくっていた長身の騎士だった。


 動揺するレンジを抱きかかえるようにして、マーコットは入ってきた扉から離れた。


「魔神がもう1匹!」


 そう叫ぶと、反応は早かった。小柄な人影が走ってきて、「閉じろ!」と言って、杖を振り上げた。

 ライムだった。

 レンジたちを追ってきた魔神が、砕け散った扉を悠々とくぐって入ってこようとした時、青白い光とともにバチバチバチッという凄い音がした。


 ギャアアアアアアオッ!


 魔神はうめき声をあげて後ずさった。


「結界はそんなにもたない!」


 ライムはさらにかけられるだけの結界魔法を扉に重ねがけした。そして全身で息をしながら、祈りの間全体に聞こえるように声を張った。


「もう1匹が入ってくる前に、こっちをなんとかしないと!」


 怒りに満ちた魔神の咆哮が青白い結界の向こうから漏れてくる。


 レンジはあらためて祈りの間の状況を確認した。

 あれほどいた魔物たちは、ほとんどが床にむくろをさらしているようだ。しかし、2体の魔神の巨大な姿は健在だった。

 祈りの間の奥の両サイドで、騎士たちが取り囲み果敢に攻撃を繰り返している。騎士団は40人以上いたはずだが、動いているものは半分ほどになってしまっていた。


「団長は!」


 レンジは叫んだ。セトカの姿が見えなった。

 ライムが簡潔に説明する。


「セトカは魔法攻撃の直撃を受けて、あそこで倒れてる」


 右の壁際にセトカが腰を落として、もたれかかっているのが見えた。


「私以外の魔法使いは全員殺された。いきなりヒーラーを狙って来やがったんだ」


 ライムが指さす先の壁に、人のような形の影ができている。4つの頭が確認できた。


「闇魔法で壁に縫い付けられた。もう回復魔法を使える人間がいない!」


「あんたは」


「私はもともと制約で一切使えない体なんだ」


 ライムは、見た目が変貌を遂げていた。顔にかかっていた長髪は後ろに撫でつけられている。むき出しになったその額から、両方の目尻、そして顎にかけて、古代文字のような文様が墨のようにつらなって浮き出ていた。

 全身に高密度の魔力が循環しているのがわかる。魔法使いのレンジには、近づくだけでその底知れない力が感じられた。

 しかし、そのライムが言うのだ。


「あの魔神には、魔法がほとんど効かない。常に攻性防壁が展開されていて、物理攻撃も通らなかった。向こうが魔法を連発して、魔力が落ちてきたところでようやく防壁が薄くなってきた。でもこっちの戦力もギリギリだ。レンジ! あなた回復魔法は?」


「す、少しなら」


「セトカをお願い!」


 そのライムの言葉と同時に、右の魔神に挑みかかっているギムレットが振り向いて叫んだ。


「レンジィッ! 団長さん起こしてくれ! 俺たちだけじゃあ無理だ!」


 いつもの余裕しゃくしゃくとしたギムレットではなかった。声が張り詰めている。


「わかった」


 レンジは走った。

 俺にもやれることがあった。その思いは、極限状況下で彼の心を鼓舞した。


「団長」


 駆け寄ると、壁にもたれかかって、彼女は短い呼吸を繰り返していた。

 右手で押さえている脇腹から、かなりの出血をしているのが見えた。皮膚が出ている部分すべてに火傷が見えて、白かった鎧も血まみれになっていた。


「ぶ、無事だったかレンジ殿」


「しゃべらないで」


 レンジは、杖を構えて魔法言語を詠唱した。

 冷静に。冷静に。正確に。


 青い光がセトカの全身を包んだ。


「ありがとう。楽になった」


 すぐに起き上がろうとした彼女を止め、レンジは布を取り出して傷口を縛った。


「お、俺の回復魔法じゃ怪我はほとんど治せない。体力も少し戻すことくらいしか」


「十分だ」


 セトカは立ち上がった。

 そばにいたマーコットが言う。


「6班は私以外全滅です。申し訳ありません」


「あの3匹目は、王宮にいたのか」


「はい」


「安易に離脱させた私の判断がうかつだったな……すまない」


 戦っている騎士たちに補助魔法をかけ直してきたライムが、走り寄ってきた。


「あれが最後の1匹だといいけど」


「だ、大丈夫だと思う。あの壁画の3つの首のある龍。あれはたぶん、3体の魔神と関係している」


 レンジの説明に、ライムは、「そう信じるしかないわね」と言った。


「とにかく時間がないわ。扉の結界が破られる。団長。右の魔神Bを倒そう。やつの防壁がだいぶ弱まってきている。1回しか使えない手だけど、私が隙を作るわ」


「わかった」


 団長は、マーコットの方を振り向いた。


「最後までレンジ殿をお守りせよ」


「わかりましたであります」


 セトカはライムを伴って走り出した。


「頑張ってくれ!」


 レンジは手を振り上げた。

 もう逃げ場はない。どこにも。敵を倒すか、さもなくば全滅か。

 これまでの冒険者人生で、命の危機からひたすら逃げ続けてきた男には、この状況は新鮮だった。恐怖と高揚と絶望が混ざったような、得体の知れない感情が、全身を包んでいた。


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