第17話 破れない約束


「偶然助けられた私たちは、小さくて、身寄りもなにもなく、自分たちが姉妹だったのかもわからないまま、大きくなったのであります。でも、きっとキュラソーどのは私のおねえちゃんであります」


 彼女は、にっこり笑ってそう言った。


「半年前、私に似て美人でありましたキュラソー殿は近衛第1騎士団の部隊長どのに求婚されたのであります。ささやかな、でも素敵な結婚式に招かれた私たちは、みんな嬉しくて寂しくて、やっぱり嬉しくて。そうして結婚したキュラソー殿は聖白火騎士団から、近衛第1騎士団に移ったのであります。みんなで手を振って見送った日が、つい昨日のことのようであります。それが、つい1か月前に……」


 そこまで言ったところで、レンジたちのすぐ後ろにいた魔術師長ライムが会話に割って入った。


「そこからは、私が話すわぁ」


 ライムは、マーコットの肩をぽんと叩いた。


「ちょっと話は戻るけどねぇ。魔王軍は、何百年ものあいだ、人間の、北方諸国の敵だったの。どれほど人間が抵抗しても、その暴虐なふるまいを止めることは叶わなかったわ。その気になれば、簡単に人間を滅ぼせるほどの力を持っているにもかかわらず、魔王はそうしなかった。彼女は、人間の作り出す工芸品や新鮮な野菜を好んだの」


「ちょ、ちょっと待った。……彼女?」


「ええ。魔王セベリニアは女よ。年齢は自称700歳。身長が6メートルはあるという話だから、普通の女性を想像してはだめだけどね」


「そんなデカいババアがいるか!」


「どの国も、魔王軍に抵抗しながらも、生き延びるために、多かれ少なかれ魔王に朝貢をしていたわ。攻撃に手心を加えてもらうためにね。この数百年は、そのバランスのなかにあったのよ。ところが、ここ数年、なぜか魔王軍の攻撃が日に日に激しくなり、私たちは北方の守りを厚くしなくてはいけなかあった。そして、ついに2か月前、例の通達を出してきたの」


「スライムアタックか」


「ええ。通達には、こうあったわ。『お主ら、ちと増えすぎたゆえ、少し間引いてやることにしたわい』と」


「ふざけるな!」


「たしかにふざけてるわね。でもそれが魔王の本質よ。人間とのあいだの戦いなんて、彼女にとっては遊びなのよ」


 レンジは怒りに震えた。その遊びのかげには、笑顔で、自分を『食べ残し』と言ったマーコットがいた。


「ぶっ倒してやる」


 レンジは使い古しの杖(ワンド)を握りしめた。まだ幼いころに祖父にもらった相棒だ。その杖を握って、嚙みしめた。

 自分のなかに、スライムたちを皆殺しにできる力が宿っている。

 それを思うと、武者震いが止まらなかった。


「そして5兆匹のスライムの進軍がはじまった。北の端の魔王の領土に近い国から押しつぶされていったわ。抵抗は無駄だった。精強を誇った軍隊がなにもできずに敗れた。剣も魔法もどれでも当たれば一撃で倒せる、そんなスライムたちなのに、どの国の軍隊も勝てなかった。人間たちが経験したことのない、想像を絶する数の暴力よ。でもその群れの足は遅い。のそのそって感じだからね」


「ぴょんぴょん、って感じであります」


 マーコットが口を挟んできたが、ライムはそれを手であしらった。


「とにかく、侵攻の遅いスライムたちを前に、住民は家を捨てて逃げた。難民となった彼らを受け入れた国々もまた、次の標的となった……。こうして、無数の難民の連鎖を生みながら、スライムの群れは街を飲み込んで進み続けた。この世の地獄よ。北方諸国の厳しい寒さは、風雪をしのぐ家もなくて生き延びられるものじゃない。わずかなあいだに、どれほどの命が失われたか」


 ライムの淡々とした静かな口調に、レンジは息をひそめて耳を傾けた。


「人間も手をこまねいていたわけではないわ。かつてない存亡の危機に、国の垣根を越えて集まって対策を練り、今から1か月前、ある作戦を決行したの」


「団結してスライムを止めようとしたのか」


「いいえ。あれは、そんなものでは止まらないわ。あなたも見ればわかる。……私たちがやったのは、残った国すべての戦力を結集して、魔王の本拠地を強襲する電撃作戦よ。スライムは魔王の指令で動いている。止めるには、魔王を倒すしかない。勝算があったわけじゃないわ。もうそれしか方法がなかったの。強襲軍はスライムの群れを迂回して、西と東から同時に魔王城に襲い掛かった。北方諸国だけではなく、西方諸国も加勢してくれたわ。もともと、従順な北方諸国よりも、地理的に離れていて抵抗の激しい西方諸国のほうを魔王は警戒していた。だから元々魔王軍は西部戦線の防衛ラインのほうに多くの兵力を割いていたの。その西方諸国とタイミングを合わせて、作成開始と同時に大軍を動かしてもらい、魔王軍の戦力が割かれるように工作をしていた」


「すごいじゃないか。どうなったんだ」


 思わずそう言ったレンジだったが、今セトカたちの騎士団がこうしてレンジを迎えに来て、命懸けで北に戻ろうとしている状況を思い出し、ハッとした。


「……強襲部隊は魔王城にたどり着くこともなく、全滅した。私たちは、魔王軍の本当の戦力もわかっていなかったの。いつも魔王の使役する魔物どもは無軌道に襲ってきていた。だから軍隊をもって、地の利、数の利、兵種の利を尽くし、戦略的に対抗することもできた。でもその強襲作戦の時、突如襲ってきたのは完全に統率された魔獣機甲兵団。これまでほとんど前線に出ることもなかった恐ろしい軍団は、応戦した人間たちの部隊を紙切れのようにズタズタにしていったそうよ」


「私のおねえちゃんも、その時に死んでしまったのであります」


 マーコットが言った。


「この手でかたきが取れないのは、とっても悔しいであります。レンジ殿」


 マーコットはレンジの手を握った。


「スライムの群れをやっつけて、残された北の国々を、守ってほしいであります。私にはできません。ライム殿にも。団長にも。ほかのだれにも。あなた以外、だれにも……」


 マーコットの手が熱い。その熱が移ったかのように、レンジの胸が熱くなった。胸から送り出される血が、全身に熱を駆け巡らせる。

 レンジは震えた。こんなにも燃えるものを、自分のなかに感じたことはなかった。


 これでやれなきゃ、男じゃねえ。自分には、祖父が与えてくれたその力が、あるのだから。


 レンジは鼻をすすり上げ、一言、


「まかせろ」


 と言った。千枚の金貨よりも重い、口約束だった。

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