第16話 所有物と食べ残し
「ここまでくれば大丈夫だろう」
追ってくるものがいないか確認したあとで、ギムレットはそう言った。
ガスジャイアントがいた区画から、小1時間迂回した場所で一行は立ち止った。
レンジは息をついた。今頃になって、心臓がバクバクと鳴りはじめた。
(あいつが本物だったら、死んでたんじゃねーのオレ)
いざ魔神を目の前にすると、体が動かなかった。魔物とはどこか違う存在だった。
モンスターは、エレメント系など、特殊な形状をしているものを除いて、見た目で、例えばこちらに敵意を持っているとか、腹が減ってそうとか、狡猾そうとか、とにかく狂暴そうとか、ある程度わかるものだ。しかし、あいつはまったく意思が読めなかった。
ガスジャイアントが化けていたから、というわけでもなさそうだ。まったく人間とは思考経路が違う知的生命……。
今、姿かたちを思い出しても、ゾッとする。
レンジが震えているのと対照的に、バレンシアは「絵じゃなくて、いざ本物の姿見たら、やれそうな気がしてくるな!」などと勇ましいことを言っている。
周囲の騎士たちが賛同の声をあげる。
それを聞いて、ライムは「むしろ戦闘を回避できそうなチャンスじゃないの」と言った。
「コピー相手が近くにいるかも知れないならさ。うまくまいて、今急いで進めば4層、5層を素通りできるんじゃない?」
「どう思う? ギムレット殿」
セトカに訊ねられて、ギムレットは難しい顔をした。
「ガスジャイアントは、3層と4層に生息しているモンスターだ。今まで魔神に化けているのは見たことがなかった。魔神が、5層から出てきていたのは間違いないと思う。3層にいた、あるいは、今もいる可能性は高いかも知れない」
「では、急いで突っ切るべきか」
「いや、しかし」
「どうした」
「……なにかひっかかる」
ギムレットは、なにかを思い出そうとするように、額に手を当てて黙考した。
「どっちにしろ、チンタラしてる時間はねえんだ。とっとと行こうぜ」
バレンシアが言った。
ギムレットがなにも言わないのを見て、セトカが、「よし」と言って判断を下した。
「魔神が普段いない3層まで出てきたということは、我々の再侵入を警戒していたのは間違いないだろう。やはりここは慎重に行くべきだ。これまでどおりのペースを守って進もう」
セトカの号令で、一行は再び回廊の奥への侵攻をはじめた。
顔色の悪いレンジを見て、マーコットが「おんぶしましょうか」と言ってきた。
「いや、大丈夫だ。ありがとう」
動いていたほうが、気がまぎれる。
レンジは自らを奮い立てて、歩き始めた。
さらに数時間後、一行は回廊の第4層に到達した。幸いにして、途中で魔神との遭遇はなかった。もし魔神が3層にいたならば、追い越して撒けた可能性もある。しかし、楽観は禁物だった。
4層の壁の光石は、紫色だった。神秘的な光に包まれて、洞窟内は荘厳な雰囲気だ。
「ここからは魔物の強さが跳ね上がる。それに明らかに普段よりも、群れで行動している個体が増えている。まずい傾向だ。ここからは消耗する先頭を順に交代しながら、場合によっては総力戦で殲滅する必要があるかもしれない」
そんなギムレットの提案だったが、いざ進んでみると予想と違う点が2つあった。
1つは、群れが増えている、というところが、まだ表現が甘かったのだ。
例えば、4層に入ってすぐに出くわした火噛みトカゲの群れは、20匹を超えていた。その後も、出てくるモンスター出てくるモンスター、すべてギョッとするような大群だった。
かつてのドワーフ貴族の居住区画というだけあって、さっきまでより道が広い。ちょっとした横穴もかなりの広さがあり、そんなところに、見るからにやばそうな魔物が溜まっていることが多かった。
ここまで来ると、レンジにはもう見たことのある魔物は一匹もいない。今までのパーティならば、出会って5秒で全滅しかねない連中ばかりだった。
見ただけでそれがわかるのだ。
草原にはじめてやってきたネズミが、はじめて見るライオンを前にして、「こいつ、俺より強いかなあ」などと考えることはない。
そういうことだ。
予想と違う点のもう1つは、ギムレットはこちらの戦力もまだ甘く見ていた、というところだった。
目が6つある巨大な猪。強力な風魔法を連発してくる大コウモリ。溶岩のような赤い泥で出来たゴーレムの群れ。完全武装のドワーフ戦士のゾンビー……。
それらが群れをなして襲ってきたが、すべて1班の騎士たちが、淡々と片づけていった。
これまでとまったく変わらないスピードで。
さすがにレンジも気づいた。
彼女たちのレベルでは、この程度のダンジョンは、そもそも庭を散歩するようなものなのだ。
ただただ、回廊の守護者アタランティアという頭抜けて強大な存在があるがゆえに、こんなに慎重を期して進んでいるだけなのだった。
彼女たちが、さらにお宝の匂いが増した第4層の豪華な扉にも反応せずに進んでいるのは、それもあるのだろう。
レンジの、というか冒険者の常識ならば、魔物の強いダンジョンほど良いお宝が隠れているものだ。それは、対価が有望で、かつ攻略が容易な場所ならば、すでに先人によって狩りつくされていると考えるからだ。
敵が強く、攻略が難解であればあるほど、その分戦果はでかいかも、という期待感を持ってしまう。
騎士団の面々が、扉を素通りできるのは、そもそも雑魚モンばかりのたいしたことないダンジョン、みたいな。そういう見方をしているのもあるかも知れない。
あらためて格差を見せつけられた気がして、レンジは歯噛みした。
奮闘する1班の背中を見つめていると、班長のトリファシアが、長い髪を払いながらニコリとレンジに微笑んだ。
その笑顔に小さく手を振って応えたレンジは、同時に、北の国の騎士たちがそこまでの強さを持っていることの意味を考えて、暗い気持ちにもなった。彼女たちが住む国では、そうでなくては、生きていけないのだ。
「魔王軍ってさ。そんなにやばいの?」
歩きながら、レンジはマーコットに訊ねた。
長く続く緊張のせいか、天真爛漫だった彼女も、顔が強張って見えた。
「……私たち、聖白火(せいはっか)騎士団の人間は、みんな孤児だったのであります」
「こじ? みなしごの、孤児?」
「はい。魔王軍に親を殺された子どもたちです。みなしごになった、そういう子どもは、国の所有物になって、魔王軍と戦うために鍛えられるのであります」
「所有物だと?」
レンジは、その言葉に怒りを覚えた。しかし、本人が目の前にいることに気づいて、口を閉じた。
「そうです。国の形と、その経済を維持するのに、最低限の人員を除いて、すべての人間が戦力とならないと、魔王軍に対抗できないのであります」
「……そんなにか」
レンジは絶句した。マーコットは笑顔を浮かべて続ける。
「我が6班の前班長のキュラソーどのは、私とよく似ていたであります」
「へえ」
急に話が変わって、レンジはなんだか拍子抜けした。
「キュラソー殿は私の1つ歳上で、私たちはみんなにそっくりだと言われながら、育ってきたであります。もともと私たちは、魔王軍の放った魔物の群れに襲われた村の、食べ残しでありました」
「食べ残し……」
突然文脈に現れた、恐ろしい言葉に、レンジは体のなかを貫かれたような衝撃を覚えた。冷たい氷の柱に、串刺しにされたような。
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