第9話 回廊の案内役


 ライムの言葉に、バレンシアがけしきばむ。


「負けてねえよ! あれは他の団が下手打って、別の魔物の軍勢がなだれ込んできたせいじゃねえか」


「んんー。どうあなぁ」


「んだとぉ」


「次は絶対にやっつけてやるであります!」


「ともあれ、だ」


 セトカが咳ばらいをした。


「なんとしてでも、我々は回廊を突破し、無事にカラマンダリン山脈の北側へ抜けなければならない。そのためにも魔神アタランティアとの交戦は避け、神速で駆け抜ける。それがもっとも確実な方法だ。わかったな」


 不満そうな副団長のバレンシアだったが、「異論はねえよ」と言った。


「じゃあ、早く行きましょ」


 ライムが急かすように言ったが、レンジがそれを止めた。


「ちょっと待ってくれ。そういうことなら、その前に話を聞いておくべき人がいる」


 セトカは首を傾げた。


「話を? どなたかな」


 その時、店の入り口でなにか騒いでいる声がした。

 ついで壊れかけてブラブラしている扉が開いて、「あ、こら。貸し切りだ。入れないってのに」と女騎士の声が飛び込んでくる。


「よお、なんか面白そうなことやってるじゃねえか、レンジぃ」


「ギムレット!」


 レンジは立ち上がった。ギムレットは、女騎士たちの制止を意に介さず、ずかずか店内に入ってきた。


「お、美人に囲まれて、モテモテだなぁレンジ」


 ギムレットはそのままドカッ、とレンジたちの席に座り込む。


 そうか。街なかで魔法をぶっぱなすような騒動を起こしてるんだ。この街の冒険者たちの顔役であるギムレットが出てくるのは当然だった。

 たとえ、市内の警備兵がびびって知らんぷりを決め込んでいたとしてもだ。

 この街のトラブルは見過ごさない。ギムレットはそういう男だった。


「紹介する。このネーブルで最強の冒険者、ギムレットだ。ちょうど良かった。魔神回廊に突入する前に、この人の話を聞いておくべきだったんだ」


 その言葉に、セトカたちは顔を見合わせた。そしてギムレットは眉間にシワを寄せた。笑顔が消えている。


「魔神回廊だとぉ」





「なるほど。話はわかった」


 着慣れた軽いレザー装備に身を包んだギムレットは、腕組みをしたまま目を閉じて深く息を吐いた。

 50歳を迎え、壮年を過ぎようかという年齢のはずだったが、その体をまとう筋肉は衰えを知らないかのように張っている。だが顔には、深いシワが刻まれ、戦いに明け暮れた歳月を感じさせる風貌をしていた。

 そのギムレットは、目を開けたかと思うと、笑顔を戻して、レンジの肩を叩いた。


「お前も、大変な役目を引き受けちまったなレンジ。でも俺は、いつかお前がデカいことをやるやつだと信じてたぜ」


 そのまま頭をクシャクシャとされたレンジだったが、されるがままにしていた。

 ギムレットの言葉は調子のいいお世辞などではなかった。どれほどレンジがパーティから追放されようとも、ギムレットだけは見捨てずに彼を支えて来たのだから。


「あんたらの持ってきた地図」


 ギムレットは、テーブルに広げられたデコタンゴール王国家伝の魔神回廊の地図に手を置いた。


「俺たちが15年前に回廊に挑んだ時の古文書と同じだ。おそらく俺たちのものが写しだろう。だが、ここ」


 地図の上を指さした。


「ここは現在では足場が崩れている。北側からだと、右回りで迂回しただろう?」


「その通りだ」


 ギムレットの言葉にセトカがうなづいた。


「それだと、途中でモンスター溜まりが3つ4つある。見つけにくいが、もっといいルートがある」


 すすす、と地図の上のなにも描かれていない場所を指でなぞる。


「この地図はそもそも、完全じゃない。基本的に一本道しか示されてないからな。騒動のあとの警戒態勢を考えると、あんたらが来た時に抜けた道は、使えないと思ったほうがいい」


 ギムレットは団長のセトカを見て言った。


「俺が案内しよう」


「ギムレット、駄目だ。」


 レンジは思わず首を振った。ギムレットの魔神回廊への想いはわかっている。

 しかし、これは危険なミッションなのだ。なにしろ、魔神アタランティアとどこで遭遇するかわからないのだから。


「ギムレット殿。15年前の悲劇については、哀悼の意を表する。だが、なぜ今こんな危険なことに手を貸してくれるのだ。魔神の恐ろしさを一番わかっているのがそなたではないのか」


 セトカが重い声で訊ねた。

 ギムレットが少し考えて、口を開きかけた時、バレンシアがぶっきらぼうに言った。


「ほんとのところ、アタシたちをぶつけて、魔神を倒したいんじゃねえのかよ」


 次の瞬間、ギムレットが身を乗り出してテーブル越しにバレンシアの胸倉のマントを掴んだ。


「俺は! 俺が、このレンジの祖父を回廊で死なせちまったんだ。たった一人の身内をな。俺はこいつに返せねえ義理がある。そのこいつを連れて、あんたらがあの回廊に挑もうってんなら、俺は! 俺は!」


 温厚でいつもひょうひょうとしているギムレットが、そんな風に激高するとこころを、レンジは見たことなかった。

 ショックで声もかけられなかった。


「俺は、命を懸けて守るこいつを義務があるんだよ! それが、俺の……」


 最後は言葉にならず、ギムレットはふっ、と力を抜いてバレンシアを離した。


「わりぃ。俺としたことがな。……頼む。連れて行ってくれ。この通りだ」


 頭をテーブルにこすり付けたギムレットを、セトカが抱き起した。


「部下の非礼をお詫びする。こちらからも頼む。そなたは我らよりはるかに回廊に詳しいようだ。どうか我々に力を貸してくれ」


 バレンシアも決まり悪そうに頭を下げている。

 レンジはギムレットの顔を見られなかった。まだ自分の頬を涙がつたっていたからだ。




 いざ出立と、一行は狼の尻尾亭を出た。

 普段着のままだったレンジは、ダンジョンに挑むべく装備を整えるため、近くにある自宅に帰った。


 前金でもらった金貨も隠さなくてはいけない。300枚ともなると、とても持っていける重さではないからだ。

 人払いをする前に、常連客たちに金貨を見られている。噂はあっと言う間に広がる。長い旅になりそうだ。いつ帰ってこられるかわからない。

 レンジは一人暮らしだったが、家は両親や祖父も住んでいた大きな建物だ。その地下に、大きな金庫があった。祖父オートーが貴重な物を保管するのに使っていたものだ。

 魔法錠で封じるので、普通の盗人ではたちうちができない代物だ。レンジは金庫の奥に置いてある一枚の絵が目に入り、「行ってくるよ」と言って額縁を撫でた。お守りにしている絵だ。

 それから金貨をしまって、念入りに魔法をかけた。


「よおし、忘れ物はないな」


 食料は騎士団が用意してくれているらしいので、身の回りの装備品を確認し、レンジは家を出た。


 たった2日前に、パーティから追い出されたばかりなのに、もう俺はこんな重大な冒険の旅に出ようとしている。

 いつもであれば、しばらく干されたあとで、ギムレットが察してまた新しいパーティを紹介してくれる、ということを繰り返していた。自分からはクビになったと、なかなか泣きつきにいけないものだった。

 それを思うと、なんだか不思議な気持ちだった。


 俺は今、祖父の七光りでもなく、ギムレットのコネでもなく、俺自身の力を必要とされて、仲間たちと旅に出るのだ。


 ゾクゾクした。今までにない感覚だった。恐怖心よりも、そんな万能感、英雄感のようなものに体が包まれていた。


 家を出たレンジが、玄関のドアにカギをかけていると、聞き覚えのある声がした。


「あー、いた。いたいた。いたよー。リーダー! やっぱこっちだった」


 レンジの家は大通りに面している。その往来に、露出の多い盗賊(シーフ)のかっこうをした若い娘が立っていて、通りの先に向かってに手を振っている。


「おまっ。ラウェニア!」


 レンジを追放した張本人がそこにいた。小悪魔のような、底意地の悪そうな笑顔を浮かべて。

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