第8話 腕相撲対決


「だ、大丈夫かレンジ殿」


 慌てて駆け寄るセトカに抱き起され、レンジはなんとか心を落ち着けようとした。


 まてまて。広大な山脈を隔てて、文化がまったく違う国の話だ。

 レベルの表記も違うのかも知れない。

 例えば、向こうで言うレベル100が、こちらのレベル10なのかも知れない。だいたい10分の1換算。レベル200だったら、こっちのレベル20だ。

 ほら。なんだかそれっぽいぞ。つじつまがあう感じ。


「ちょっと、腕相撲をしてくれるかい?」


 レンジにそう言われたマーコットは、自分を指さして目をパチクリする。


「俺、魔法使いだけど、なぜか腕相撲は昔から結構強いんだよ。さあ」


 マーコットの身長は目算で175センチ強。レンジより大きいが、スリムな体型で、いかにも俊敏そうではあったが、パワータイプでないのは明らかだった。


「わかりましたであります! では失礼して」


 腕まくりをしてテーブルの上にぐい、と突き出されたレンジの右手を、マーコットがぐっと握った。


「よおし、マーコットちゃん。思いきって来い!」


 次の瞬間、レンジは宙を舞った。マーコットはまったく力を入れている感じはなかった。実際、全力など出していないだろう。しかし、レンジが上腕に力を入れた瞬間、そのパワーをすべて飲み込むような力場が前方に発生し、まるで空間ごと引きちぎるようにレンジを吹き飛ばしたのだった。

 レンジはなすすべもなく店の壁に激突した。それも反対側の隅の壁にだ。

 ドカン、というすごい音がした。


「あああああっ。ごめんなさいであります!」


「大丈夫か、レンジ殿!」


 助け起こされて、鼻血を垂らしたレンジは「らいじょうぶ、らいじょうぶ」と言った。


「まじでレベル100越えなのね。わかったわ。これ以上ないほどわかった」


 なんだよあの怪力。腕相撲で人間が飛ぶかよ普通。


 レンジはふらふらして足元がおぼつかない。


「ヒーラー!」


 セトカの号令に、青いローブを着た魔法使いの女の子がレンジに駆け寄った。そして杖をかざして、レンジの傷を癒した。


「あ、気持ちいい。あんがと。回復魔法、いい腕だね」


 最後に鼻血を拭き取ってもらって、レンジは席に戻った。


「なにをやっているのだマーコット! 貴様の使命はなんだ!」


 団長セトカに叱責されたマーコットは、直立不動で唇をかみしめている。


「この身を賭して、レンジ殿をお守りすることであります!」


「その貴様が、レンジ殿を大怪我させるところだったではないか!」


「申し訳ありません!」


「次はないぞ!」


「申し訳ありません! この失態を忘れぬよう! 自分に戒めの楔を打たせていただきます!」


 マーコットはそう言うと、テーブルの上にまだ残っていた、ステーキのプレートから、焼けた黒石を手に取った。肉が冷めても、上に押し付けることで再度加熱するためのものだ。

 それを素手で握ったのだから、ジュウッ、という嫌な音がして煙があがった。

「えいっ」


 マーコットは、その黒石をあろうことか、自分の右頬にあてた。肉が焼ける音と匂い。マーコットは目を見開いたままそれに耐えていた。

 レンジはあまりのことに体が固まったまま、動けなかった。


 十数秒が経ち、ようやくマーコットが石を離した時には、そのかわいらしくほのかに赤らんでいた右頬は、焼けただれ、煙とともに血が滴っていた。

 そして黒石に刻まれていた、ヘンルーダの国鳥である変な鳥の、間の抜けた顔が、その頬に赤黒くしっかりと写し取られていた。


「この傷を、戒めといたします!」


 痛みに顔を歪めもせず、マーコットは直立して胸に手を当てる敬礼をした。


「良し!」


 セトカはマーコットにうなづいて見せた。


 その冗談のような、そして悪夢のようなやり取りを間近で見ていたレンジは、はじめて気づかされた。

 彼女たちの背負っているものの重さに。


 自分の軽率な行動が招いたことだったのに、それを謝ることすらできなかった。


 セトカが向き直って言う。


「レンジ殿。この先、このマーコット率いる第6班は、レンジ殿をお守りする専属の部隊となる。レンジ殿は我が国、いや北方諸国すべての運命を握る最重要人物となったのだ。いかなる犠牲を払ってでも、必ずやスライムたちの前まで、無事にお連れいたす。そして、我らの願いを叶えていただく!」


 その真剣な言葉に、レンジはうなづくほかなかった。


「わかった」


 そう言ったレンジの脳裏に、不吉な予感がよぎった。


 こうなるのかよ。こんなところで。そのことと、もう一度向き合わないといけなくなるなんて。


 不思議な感じだった。運命なんてものがあるならば、今の自分は、それに足元を掴まれているのだと感じた。

 レンジはゆっくりと口を開いた。


「だけど一つ、気になることがある」


 セトカは隣のライムと顔を見合わせて、首を傾げた。


「なんだろうか」


「あんたたち、ここへ来る前に魔神回廊を抜けた時、回廊の主の魔神アタランティアには遭遇したのか?」


 セトカは、ああ、そのことか、と合点してうなづいた。


「いや遭遇していない。回廊の主のことはあらかじめ知っていた。だから遭遇する前に神速で回廊を突破した」


 セトカはさっきの騒ぎでうろたえていた仲間たちに手で合図し、全員を席に着かせる。


「実は我がデコタンゴール王国の王家は、この南方諸国の出身なのだ。はるか昔、新天地を目指して魔神回廊を抜け、カラマンダリン山脈の北に、現在の王国を築いたとされている。その魔神回廊踏破の際の記録が古文書として現在まで王家に伝わっており、今回特別に写しをお借りしてこの作戦に臨んでいる次第なのだ」


「ま、出くわしても、ぶっ殺してやったけどな」


 バレンシアがぶっきらぼうにそう言った。自分の力に対する圧倒的な自信が、垣間見えた。


「無用な戦闘は避けたい。これは時間との戦いでもあるのだ」


 セトカがたしなめるように言う。


「避けられないかも知れない」


「え? なんと?」


 セトカはレンジに訊き返した。


「突破した時の記録ってことは、魔神回廊の元になったドワーフの坑道の構造を網羅してるってわけじゃないんだろう?」


「ああ。最速で最短のルートが記録されている。それで十分だ」


「俺の死んだじいさんが言ってた。魔神アタランティアは魔神回廊の守護者だって。回廊を荒らすものを見逃さないって」


「回廊を荒らすものを見逃さない……」


「じいさんは何度か、回廊で魔神アタランティアと遭遇しているらしい。最後は無謀な討伐に挑んで殺されちまったけどな……。そのじいさんが言ってたんだ。アタランティアはほかの魔物どもとはわけが違う、人間が太刀打ちできる相手じゃないって。俺たちみたいに、カラマンダリン山脈のおかげで魔王の脅威から守られてる、ぬるま湯みたいな冒険者からしたら、あんたたちは人間でありながら、バケモンみたいなもんさ。だけど、じいさんは世界を旅して、西方諸国でも『雷を呼ぶ者』なんて呼ばれてた、大した魔法使いだったんだろう? そのじいさんが言ったんだぜ。人間には太刀打ちできないって」


「オートー殿が……」


 セトカはその言葉を吟味するように思案した。


「あんたたち、神速で回廊を突破したって言ってたけど、立ちふさがったモンスターは排除してきたんだろう?」


「ああ。戦闘が避けられない場面ではな」


「行きは全速で抜けたから、それでよかっただろう。でも回廊を荒らされた守護者アタランティアは怒ってるよ。怒って、突破された経路を、警戒しているはずだ。回廊を荒らすものを見逃さないやつなんだから」


 その言葉を受けて、しばらく考えていたセトカだったが、ようやく口を開く。


「魔神アタランティアについては、古文書の記録で我々もある程度知っている。恐らく、魔王が異界から召喚し、配下として率いている『23神将』の同族だと思われる。23神将は、1体1体が鬼神のごとき強さを誇り、完全武装の1個中隊200人に匹敵する戦闘力を持つと言われている。我が聖白火騎士団もその1体と一戦交えたことがある」


「え、どうなったの」


 これにはライムが答えた。


「まーけーたー。ひひっ」


「負けたんかい!」

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