第10話 名誉のための小芝居
「おっすー。レンジちゃん。元気してたぁ?」
口を開くと、ラウェニアの唇がぷるぷると震える。その挑発的なエロい服装といい、一緒に冒険しているあいだ、いつもそばで悶々としてたレンジには、下腹部の海綿体に血が集まってくるのを止められなかった。もう条件反射だ。
むかつくが、やっぱかわいいなこんちくしょう!
心の中の叫びとは裏腹に、口に出たのは「あ、どうも」という一言だった。
「やあ、すみませんすみません」
そこへ追放パーティのリーダー、剣士シトラスが走ってきた。あいかわらず腰が低い。若いのに、すでに苦労人の風格があった。
「さっき、最後のダンジョンの戦利品が全部片付いたんですよ。それで、清算をしようかと」
「ああ、そうか。悪いな。わざわざ」
パーティでは、冒険で得た利益は山分け、という契約になっていた。生活費がいつもカツカツの底辺魔法使いであるレンジは、かなりその配分には意地汚く、露骨に主張をするので嫌な顔をされることが多かった。
しかし、今は違う。なにしろ、普通にはお目にかかれない額の金貨を手に入れてしまったのだから。
「ああ、いいよいいよこれで」
内訳を説明しようとするシトラスを止めて、レンジは自分に用意されていた銀貨をそのまま受け取った。
めんどくさい男に文句を言わせないため、配分の根拠をしっかりと固めてきたシトラスは、拍子抜けした。
「あ、そうですか。では、これで契約は解除ということで」
「ああ。ありがとう。悪かったな色々」
ホッとした顔のシトラスと、レンジは握手をした。
なにしろ、こんなはした金などかすむような大金が、いま自分の家の金庫に眠っているのだ。
そこへ、遅れてシトラスの仲間たちがやってきた。そのなかに、見慣れない顔の男がいた。魔法使いのローブを着ている。まだ若い。10代だろうか。耳にはピアス2つずつ。
男はレンジの視線に気づいて、「あ、ちーっす」と頭を一瞬下げた。
「あ、新人?」
「ええ」
バツが悪そうにシトラスが答える。
俺の後釜か……。
レンジは陰鬱な気持ちになった。たった2日でもう新しい魔法使いが加わっている。
きっと、俺より能力が高いんだろうな。変な年齢の壁もないし。俺を厄介払いできて、みんなハッピーハッピー。良かったじゃないか。
あ、これ、この感じ、エールを吐くまで飲みたくなるやつだ。
レンジは頭を振って、嫌な気持ちを振り払う。
「なー。レンジちゃ~ん」
ラウェニアが蠱惑的な声色で言う。形の良い腰をぐっと右へ入れて手を添えている。
「あんたいつまで冒険者続けんのぉ~? もう28でしょ。いいかげん自分の人生見つめてみなよぉ」
「おい、ラウェニア」
シトラスが焦って、服の袖を引っ張った。
本人はそれを無視して続ける。
「あんたのために言ってんのよぉ。正直もう、あんたを雇うパーティないと思うんだよね。あたしたちも噂で聞いてて、ヤダっつってんのに、リーダーがギムレットさんの頼みは断れないっつってさ。うちらはこれで縁切れていいけど、他のパーティもいつまでもあんたを雇ってやらないと思うよぉ。って、もがもがもが」
ようやくシトラスがラウェニアの口をふさいだ。若い魔法使いの男がそれを見て、ニヤニヤしている。
レンジが俯いて黙っていると、シトラスの手をかいくぐって、ラウェニアがとどめの一言を放った。
「引退しろよモジャモジャ頭! あんた役立たずなんだよバカ」
レンジは自分の頭を撫でた。たしかにモジャモジャしている。生まれついてのモジャ毛だ。だから、そう言われてもしかたがない。後半はなんて言ってるのかよく聞き取れなかった。
「もういいかな。これから出掛けなきゃいけないんだ」
力なくそう言ったレンジに、シトラスは「あの。なんて言っていいか。すみません」と頭を下げた。
レンジが歩き出し、ラウェニアがさらに追い打ちの言葉を放とうとしていて、新入り魔法使いがガムを噛みながら「もういいっしょ」と言いかけた時だった。
「お迎えに上がりましたレンジ殿!」
セトカの良く通る声が、大通りに響いた。
いつの間に現れたのか、おそろいの白いマントに白い鎧という女性騎士たちの一団が、通りの石畳の上に整列している。
そして、先頭のセトカが片膝を地面について顔を上げた。
それにうしろの騎士たちが一斉にならい、ザザッという小気味のよい音がそろった。
「レンジ殿。ともに参りましょう。我らにあなたのその力をお貸しください」
セトカは真摯なまなざしをレンジに向けてそう言った。
「ともに」
セトカがもう一度言うと、騎士たちも「ともに!」と声をそろえて復唱する。
バレンシアもとても楽しそうに声を出していた。
シトラスやラウェニアたちは、なにが起こっているのかわからず目を白黒させている。
レンジは驚いたが、ラウェニアに罵倒されていたのをセトカたちに聞かれていたのだと気づいた。
「ちょっとぉ。目立たないでよね、こんなとこで。あんたらマジで」
魔法使いたちは少し離れた場所にいて、魔術師長のライムがぶつぶつと文句を言っている。
「プライドだとか名誉だとかにマジでムキになるよね、脳筋たちは。わっかんないわー」
そうなのだ。セトカたちは、俺のために芝居を打ってくれているのだ。
レンジは膝が震えた。それは魔物に怯えたときのそれとはまったく違った。まったく、違っていた。
「た、立ってくれ」
レンジの言葉に、セトカは顔を向けただけだった。
レンジは癖で頭をかき、その手を服の腹で拭いたあとで、目の前で片膝をつく女騎士に差し出した。
「ああ。ともに、行こう」
セトカはにっこりと笑うと、その手を握り返し、ゆったりと立ち上がった。うしろに控える騎士たちも立ち上がり、ザンッという音を立てて、両足を揃えた。
壮観な絵だった。
「な、なに。なんなのあんたら」
ラウェニアはうろたえて、シトラスにもたれかかった。そのシトラスはセトカの美しい姿に目を奪われていた。
「きれいだ」
「はあ?」
ラウェニアは目を剥いたが、パーティのほかの男たちも全員同じ状態だった。白い女騎士たちの姿に目を奪われている。
「あのへたれ魔法使いが、どうなってんのよこれ」
ラウェニアの悪態に目もくれず、セトカは手で合図をする。すると、騎士たちはいっせいに左右にわかれ、道を開けた。
そこを、セトカに先導され、レンジは進んでいく。
そして横から現れたギムレットが、「よおし、久しぶりに肩車だ。子どものころによくやってやったろ。懐かしいな」と言って、レンジを股から担ぎ上げた。
「どわああ」
「落ちんなよ。どうだ。いい景色だろう」
視界が高くなり、周りがよく見えた。
往来の人々の目線がこちらに向いている。騎士たちを引き連れて歩くレンジを、みんな見ているのだ。
今までの人生で、こんなに注目されることはなかった。気恥ずかしさと、高揚感が入り混じって、なんだかふわふわしている。
「どおれ。英雄の門出だぁ。派手に祝うとするか」
ギムレットはそう言うと、レンジを肩車したまま懐から皮袋を取り出した。手を突っ込むと、金色の砂が握られている。
砂金だった。さっき魔神回廊の案内をする報酬として、セトカからもらったものだった。レンジの金貨ほどではないが、これもかなりの額だったはずだ。
「それ!」
ギムレットはそれを、空にまいた。
無数の砂金が、太陽の光を反射して、キラキラと輝きながらレンジたちのまわりにシャワーのように降り注ぐ。
周囲の人々がそれを見て、「ワッ」と歓声を上げた。
「私もやりたいであります!」
「お、やれやれ。お嬢ちゃんも」
許可をもらったマーコットは、ギムレットの皮袋に手を突っ込んで、砂金をつかむと、派手にばらまいた。
さらに、二度、三度とそれを繰り返しながら、まるで子どものように、「わーっ」と楽しげな声を出して喜んでいる。
「容赦ねえなぁ」
ギムレットは苦笑した。ほかの女騎士たちも手を叩いて喜んでいる。
しかし、レンジはギムレットの頭の上で揺られながら、ヒュッと、心臓に冷たいものが走ったのを感じていた。
そして、思わずギムレットの肩をつかんだ。
「ギムレット。じいちゃんの代わりに、今度は自分が、ってのはナシだぜ」
小さな声でそう言った。死ぬ気だと思ったからだ。15年前の討伐隊のリーダーだったギムレットが生き残ったのは、オートーが身をていして彼を守ったからだと、レンジは古参の冒険者に聞かされた。
それを聞いて、ギムレットを恨む気持ちがなかった、というと嘘になる。しかしもうレンジも大人だ。ギムレットがまだこの街に必要な男だと、オートーは思ったのだ。その意思は、ギムレット自身が汲み、受け継いでいくべきものなのだろう。
だが同じことを繰り返して欲しくはない。
13歳で天涯孤独の身となったレンジにとって、ギムレットはまさに親代わりだった。
ほかの冒険者の連中がギムレットのことを慕って、「オヤジ」と呼んでいるのをよく耳にした。けれど、レンジにはそれがどうしても恥ずかしくて言えなかった。
今、自然にその言葉が、口をついて出たのを、レンジは自分でも気づかなかったくらいだった。
「ナシだぜ。……オヤジ」
ギムレットの、レンジの足を持つ手が一瞬熱くなった気がした。
次の瞬間、豪快な笑い声が飛び出す。
「言うようになったな、ガキが。まだまだ青二才に心配されるほど、もうろくしちゃいねえよ!」
ギムレットは足を持つ手を揺らした。
「うわ。落ちる、落ちるって」
その騒ぎを見ながら、ライムは呆れた声を出した。
「だーかーらぁ、目立つなって言ってるでしょ。こいつらぁ!」
そして、ローブの腰から杖を抜いたかと思うと、それを振りぬいた。
「あーもう。知らないからね」
そう言った瞬間、上空が淡く光ったかと思うと、砂金の舞うさらにその上から、色とりどりの花が、舞い落ちてきた。
その花びらが、レンジたち一行の行く道を鮮やかに彩っていった。
まるで英雄神話に出てくるような光景に、思わず見とれていたラウェニアだったが、ハッと我に返り、去っていくレンジに大声で叫んだ。
「おい。くそレンジ! どこに、なにしに行くってんだよテメー」
鬱屈した日々の中で浴びせられた罵声は、あんなにキツかったのに、そんな悪態も今のレンジには、なんだかかわいらしく感じられた。
レンジは体をひねって振り返り、右手を挙げてみせた。
「北へ。スライムを、倒しに」
そうして冗談めかした笑顔を浮かべ、去っていく。
「はあ? なによそれ。……わけわかんない!」
残されたラウェニアやシトラス、先日レンジを追放したばかりの面々は、去って行く一団を見ながら、茫然と立ち尽くしていた。
――第1章 栄光への旅立ち編・完
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