第2話 夢と選択肢

みそがサラリーマンになっている間は全く夢を見なかった。ある時、たまたま体調不良と連休が重なり十年ぶりくらいに仕事のことを考えなくなるくらい長い休みになったことがあった。

 その時、大事な転換点になる夢を見た。

 休み明けから僕は人が変わったように仕事に手を抜き出した。夜、夢を見られるように仕事と付き合う事を目安に、抜けるだけ抜いた。そして夢に幾つかのパターンがあって、そこから自分の求めている事がわかるようになった。

 サラリーマンを辞めるよう夢が求め、それに応じてからも、夢が見られる生活を最低ラインの目安になんとか踏ん張れている。

 その夜、僕はリンコさんの部屋で布団を並べて眠っていた。最近、リンコさんの家でも、興奮や警戒の夢以外も見られるようになっていた。

 その日の夢はこうだ。

 どうやら僕らのいる部屋は、冷たい水の底にあるらしい。閉じた窓ガラスをすり抜けて、太くて短い人面魚が泳いで入ってくる。明かりを消した寝室では何もかもが艶のない紺色だ。人面魚はゆっくりリンコさんのお腹の辺りをツンツンと口でつつく。恐怖や怒りはなく、波ひとつない水の底で穏やかな気持ちでそれを眺めている。人面魚の口元にやがてオレンジ色のものあらわれ、それをパクパクと飲み込むのが見えた。あれはきっと寝る前に小腹が空いて半分こしたみかんだ。

 そこで覚醒した。悪夢を見た時とは違い、何か別のことで目が覚めたようだ。

 見ると別の布団で眠っていたはずのリンコさんが僕の布団に入ってきている。そしてそのお陰で僕の体は半分以上布団から出ていた。水の中の夢を見るのもうなづけるし、膀胱も痛いくらいだ。

 時計を確認するまでもなく窓の向こうはまだくらい。トイレに立ったついでに見た時計は五時だった。遠くでトラックがバックする音が聞こえる。

 布団に戻るとリンコさんが寝返りを打って、眠たげにこちらを見ている。

「ごめん。起こしちゃった」

 お互いにそう言った。

「リンコさんやっぱり僕たち結婚しよう」

「うんうん。起きたら話聞くね」

 リンコさんはにっこりと目を細める。そして細めた目をそのまま閉じた。

 夢で得た知見を言葉にする事ほど要領を得ない話もないが、空気の冷たさですっかり覚醒してしまった僕の口は止まらない。

 まだ暖かいリンコさんの横に潜り込みながら彼女に語りかける。

「大人になると経験で先々の予想が立ちやすくなるんじゃなくて、予想が立つ選択肢しか選ばなかくなるだけだと思うんだ。だけど寝る前に食べてもいないミカンの事を思いつくような、そういう突拍子もない事が、僕らの生活を色鮮やかにしてくれると思うんだよね」

 そこでどれくらい伝わっているのかリンコさんを見る。彼女は話を全く聞かずに穏やかな寝息を立てていた。そして彼女が隣にいてくれたおかげで、トイレで冷えた僕のつま先は、すっかり暖かくなっていた。

 とりあえず寝よう。

 二人ともまた起きたら、突拍子もない結婚がしたい話をしよう。

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